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2011/11/24news 中国、日本産食品の輸入再開へ 10都県産は対象外

2011年11月25日 | ネット・ニュースなど

2011/11/24news 中国、日本産食品の輸入再開へ 10都県産は対象外

【北京=島田学】中国政府は24日、東京電力福島第1原子力発電所の事故後から続けていた日本産食品への輸入規制を実質的に解除すると日本政府に正式に通知した。これまで輸入を禁止していた加工食品や日本酒、調味料など大半の食品について、日本の政府機関が発行する原産地証明書を添付すれば輸入を認める。

 中国の食品輸入行政を担う国家品質監督検査検疫総局が輸入再開の方針を各地の検疫当局に通知した。ただ福島、栃木、群馬、茨城、千葉、宮城、新潟、長野、埼玉、東京の10都県産の食品については「放射能の影響が懸念される」として引き続き全面的に禁止する。

 日本産食品の輸入規制を巡っては、温家宝首相が5月に原産地証明書の添付を条件に規制を緩和すると表明。ただ、中国の検疫当局はその後も証明書の書式を決めないまま事実上の輸入規制を続けていた。日本側の再三の緩和要請に、中国の楊潔●(ち)外相は23日の日中外相会談で「安全確保を前提に真剣に検討したい」としていた。

 実際に輸入規制が緩和されても、中国市場では日本産食品がすぐに受け入れられる状況ではない。日系食品輸入業者は「放射能汚染の風評被害は予想以上に深刻だ。安心・安全というイメージをどう取り戻すかが課題だ」と指摘する。

 財務省貿易統計によると2010年の対中輸出総額は約13兆800億円で、そのうち食料品は0.4%の約500億円。


福島、栃木、群馬、茨城、千葉、宮城、新潟、長野、埼玉、東京の10都県産の食品については「放射能の影響が懸念される」として引き続き全面的に禁止する。

日系食品輸入業者は「放射能汚染の風評被害は予想以上に深刻だ。安心・安全・・・、規制の数値が甘すぎるからね。


現代日本の美術 杉山寧

2011年11月16日 | BOOK(売却した本)

現代日本の美術 杉山寧

集英社

ブックオフ105円(1300円)

           

杉山 寧(すぎやま やすし、1909年10月20日 - 1993年10月20日)は、日本画家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。

東京浅草に文房具店を営む杉山卯吉の長男として生まれる。本籍・神奈川県。1928年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。山本丘人、高山辰雄らと「瑠爽画社」(るそうがしゃ)を結成、日本画の革新をめざす運動に携わる。

1929年、帝展に出品、1931年、美校日本画科卒、結城素明に師事。1934年、第1回日独交換留学生に選ばれベルリン大学に学ぶ。1943年、朝鮮満洲支那へ取材旅行。

1947年、日展特選、1950年、日展審査員。1956年、日本芸術院賞受賞、1958年、日展評議員。1970年、日本芸術院会員。1974年、文化功労者、文化勲章受章。

1958年6月、長女・瑤子が三島由紀夫と結婚。三島は瑤子を選んだ理由について「芸術家の娘だから、芸術家に対して何ら幻想を抱いていないこと」を挙げた。

日展常務理事。1974年、日展理事長。1976年、西ドイツより大功労十字勲章受章。1977年、東京国立近代美術館評議員。1950年代から1986年12月号まで『文藝春秋』の表紙画を描いた。

 

杉山寧 「水」

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2013/09/23 本を探す、草取りをする日々

2011年11月01日 | メモ

最近、新刊で買ったのは、松本清張傑作映画ベスト10、ムーミン谷の名言集くらい。

アマゾン・リサイクル品で買ったのは、黒澤明MEMORIAL10、完本・池波正太郎大成の鬼平犯科帳1、2、3、4と剣客商売1、2、3、4、開高健全集10、11、12、太宰治全集10など、評価違いで、ガサイ本が2回も送付されて来たので、注文を止めた。

ブック・オフなどの店舗で安いリサイクル本を探す日々。

手に取って確認出来る、ブックオフ、ゲオ、ブック・ワンなどリサイクル店が良い。

高い本は買わない。

読後、売却。

ブックオフなどで、単行本105円を購入、売却時10~50円、平均20円、80円で読んだ計算、汚れ、破れ、古くない本を購入し、読後、すぐ売る方向が基本。

本棚に置く本は、好きな作家だけ、そして2度3度読むものを置いている、本棚からはみ出た本は、売却。

 

栗山町墓園の区画の周辺の草取りをしていたら、高齢(70歳から80歳位)の男性に話しかけられる。

「ここは、〇〇さんの墓のあったところ、買ったのですか」と聞かれる。

私は、「小樽市銭函の寺に納骨堂があるので、母に頼まれ、墓石を撤去しました。母と兄は、栗山町に来るのは不便なので、墓地は必要ないと言うので、この区画を次男の私が譲り受けました。〇〇を知っているのですか。」と聞く。

すると、その人は「〇〇さんが、養子に入る前に、私の父が養子に入っていました。以前、墓があった際、お参りしていました。」と答え、私の祖父を知っており、父のことも知っていた。

祖父は、昭和30年に死亡。

父は、昭和33年に死んでいる。

私は4歳、全く父の記憶はない、写真で知っているだけ。

祖父、父を知っている人に出会う。

その人の住んでいるところは、栗山町杵臼とのこと。

奇遇、奇縁。(2010年8月9日)

 

   

願船寺横の旧栗山墓地、インターロック回収、北海道夕張郡栗山町字湯地76

栗山町で一番早くできた墓地~栗山町湯地の願船寺地続きにある台山墓地。この墓地は明治28(1895)年に出来墓地名の由来は、開拓の父泉麟太郎様の郷里宮城県角田市にある長泉寺台山和尚の名をとってつけられたといわれている。泉麟太郎様夫妻の墓や渡辺大助様夫妻の墓等があります。その他に 雨煙別・大井分・南角田・円山等の墓地があります。現在は、きれいに整備されたトキト山墓苑が道道札夕線の栗山町大井分の丘陵にある。しかし遠い。

栗山町で一番早くできた「台山墓地」、北海道夕張郡栗山町字湯地76、国道234号に近くて便利

Photo

泉麟太郎~1842-1929 

明治時代の開拓者。天保(てんぽう)13年生まれ。陸奥(むつ)仙台藩角田(かくだ)領主石川邦光の家臣。明治3年邦光の命で第1陣51人とともに北海道室蘭(むろらん)郡に移住したが,家臣の反対で邦光がひきいる第2陣の移住が失敗,同地は伊達邦成(くにしげ)らの支配となる。邦光の弟光親(みつちか)をまねいて開発事業に従事,23年夕張(ゆうばり)郡アノロ原野に1村をつくり,角田(かくた)村(現栗山町)と名づけた。昭和4年死去。88歳。

(2013/07/09)

   

 

 

インターロックの回収する。

ホーマックで買った境界杭を古い杭の横に打ち込む。

栗の木の根を抜く必要あり。

祖父の植えた栗の木、20年前、墓地の撤去の際、切断した。

根もそろそろ朽ち果てているはず。

敷地が広いので、草取りが大変。

早く整地して、コンクリート板を敷く予定。

予定は未定。

年内に終了したい。

パラダイス・ヒルの中華・水仙花で昼食する。

墓作りの作業員、3人だけ、閑散。

(2013/09/11)

   

秋分の日、祝日。

インターロックの回収、祖父の植えた栗の木の根、鶴嘴で土を掘り、抜き取る作業、木を切断して20年、腐れていた、何とか土から抜く、投げ捨てる場所がないので、そのままにして置く。

インターロックを回収して、コンクリート板を敷く予定、年内に終了したい。

パラダイス・ヒルの中華・水仙花で昼食する。

ブックオフ恵庭店に立ち寄り、好みの写真集は少ない。

山本梓など105円の写真集を4冊購入して帰宅する。

墓参りの人、3組だけ。

(2013/09/23)