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鞍馬山での寒行、少年のような鞍馬天狗を見る・・「神と人のはざまに生きる」(5)

2017-02-07 | 日本の不思議(現代)


引き続き、現代の稲荷巫女・三井シゲノさんの語りの聞き書きを行ったアンヌ・ブッシー氏の「神と人の間を生きる」のご紹介を続けさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。 

シゲノさんの証言によりますと、鞍馬天狗は、少年のような姿で飛び跳ねているということです。

サナト・クマラも、少年霊だということですから、これは事実かもしません。     


           *****

          (引用ここから)


私は「寒行」といえば、いつも「滝寺」のお滝と「伏見の稲荷山」の「白滝」へ参っておりましたが、大阪に暮らすようになってまもない頃は、京都の北にある鞍馬山へも「寒行」をしに行っていました。

4、5人のお連れができ、電車で京都まで、それから貴船の山麓まで行き、そこから雪道や氷の張った道を登って、鞍馬山・奥の院の魔王さんに詣でるのでした。

大体、酷寒の2月8日に発ちました。

鞍馬の山奥に3日、時には1週間籠もりました。


私の「白高(しらたか)さん」は、軽薄な振る舞いを許しません。

行は絶対でなければならず、限りがあってはならないのでした。

私は灯したろうそくを一本ずつ左右のひじの上に乗せて、滝に臨み、手で九字を切りました。

すると、ろうそくの炎がぴゅっと燃え立つのでした。

足には藁草履をはき、石の上に立ち、ろうそくの燃え尽きるまで冷水を浴びるのです。

冷えも、ろうそくによる火傷も感じませんでした。


私たちはまた、「龍王さん」の住む池まで足を運びました。

山の中には「行所」というものがありまして、行者のために藁むしろを貸してくれるので、私たちも夜はそこを訪れ、山に向かって北西にむしろを敷かせてもらいました。


たくさんの「お滝」に参りましたが、要は、「滝行」を怠らないことです。

村にいるかぎり、私は毎日「お滝」へ行きました。

私にとって行をするということは、力の限り水をかぶり、食を絶ち、絶対にそれを怠らないことでした。

知っていることは、すべて「白高(しらたか)さん」に教わり、この身一つで学んだのです。

行や祈祷や祭式などについて、誰かに教えを乞いたいと思う度に、決まって「いかんで」と、「白高(しらたか)さん」に止められたのです。


「白高(しらたか)さん」に「オダイ」の心得を教わったのは、「寒行」の最中のことでした。

「寒行」の最中には、「山の神さん」を見ることもありました。


鞍馬の魔王山では、全身全霊で行をしておりますと、ほんとうにおかしな足取りでとっとこたんと石から石へ、飛び移ってゆく魔王さんの姿が見えたのです。

7、8つの少年といった風体で、両足でほんとうに楽しそうに遊んでいました。

ポポポと、飛び跳ねたり、パンパンと手をたたいたり、パッと宙に飛び上がったりと。


また「滝寺」の「お滝」へ行けば、「白高(しらたか)さん」が見えました。

そして、度々飛んでもないことが起こります。

たとえば私が滝に向かって九字を切ると、水が飛び散るのです。

止めどなく流れ落ちる滝に打たれたりすることが、実際にどのような結果をもたらすのかはわかりません。

たんに脳の中の血の巡りが、異常に良くなるだけなのかもしれません。

それで、頭が冴えるのでしょうか?

ともかく確かなことは、日課の滝行をしている間には、驚くほど正確に、翌日、翌々日に起こることがすべて先にわかってしまったのです。
 
         ・・・



その日シゲノは、私(著者)に、かつての「滝寺」の跡地まで足を延ばすよう勧めた。

笹の茂みをかきわけながら、急な坂をよじのぼり、「お滝」の上方にある磨崖仏の彫られた岩に達した。

シゲノから聞いていたとおり、この岩壁は数多の仏像に覆われていたことがわかったけれども、それらはすでに消滅あるいは破損してしまっていた。

立札では、それらの仏像が8世紀のものと推定されていた。

この近辺は一般に「千坊」と称されており、そこに見られる瓦は8世紀に平城京の屋根を覆っていたものと同一のものであることもわかっている。


今一度、私はここでの発見にただ茫然とするばかりだった。

この地は、少なくとも8世紀の昔から、山で修行する行者を惹きつけてきたが、彼らが「滝寺」を建立し、山麓にすむ農民の信仰を仏教と習合させた。

「山の神」は「観音菩薩」とみなされ、「龍神」は「弁財天」とされたが、それらはそれらの古の神々の存在を否定することではなかった。

それどころか、新しい信仰を支える土台とし、またそれらに威光を当て、不滅なものにするものであった。

シゲノが幼い時に見た「滝寺」の堂守たちは、この地の長い歴史の詳細を知る最後の者であった。

言い伝えの奥底に埋もれていたここの山神と水神信仰が、目の見えないシゲノのおかげで、再び日の目を見るに至ったのだ。

この一連の出来事は実に意外なものと言える。


             ・・・


あの「お滝」で、「白高(しらたか)さん」がどのように私に会われたか?

なぜ「白高(しらたか)さん」はあそこにいたのか?

またどういうわけで、この私を「オダイ」としてお選びになったのか?

ということを、「白高さん」は私の口を通して語りました。


「白高(しらたか)さん」が自らおっしゃるには、「自分はかつて伏見の稲荷山の二ノ峯の眷属の白狐で、そこの社で「白高」の名の下に修行をしていた」ようです。

けれども一つ愚かな真似をなさって、そのために琵琶湖の北の竹生島に流されたのです。

「弁天龍王さん」を祀るその島での暮らしは、はなはだ辛いものだったようで、3年の後、ようやく二ノ峯に帰るのを許されましたが、ばつの悪いところに戻るくらいならと、他の地を求めにいった。

そうして旅を続けるなかで、ある日大和の「滝寺」に辿り着いたとのことです。


ちょうどその時、私は「お滝」で10か月間お籠もりをしている最中だったのです。

私の方は、ひたすら滝に打たれている目の見えない女でありましたが、「白高(しらたか)さん」はそんな姿に興味を示されたのでしょうか?

私を「オダイ」に選んだのです。

こうしたことすべては、私の口を通して語られたのです。

まことに不思議なものでした。

こうして私たちは「白高(しらたか)さん」が白狐、雄狐であると知りました。

私はといえば、「滝寺」の「お滝」へ参る時によく、日も暮れる頃、「白高(しらたか)さん」のお姿を目にしますが、それは何かしら不思議なものです。


                ・・・

動物を神々の化身あるいは乗り物とみなすのは民俗宗教の基本要素の一つであるが、これはまた仏教との習合によって更に強調されている。

仏教は、六道輪廻や死者の魂が畜生に生まれ変わる理論を説き、なお禽獣を台座、乗り物にした諸仏諸尊の形象にも満ちて、霊獣、動物霊を取り入れる手法も多く存在している。

中でも「キツネ」は、僧をはじめ修験者達によって修されてきた一連の祈祷修法の中で中心的な位置を占めている。

密教の「茶吉尼天(ダキニテン)法」や、修験の「狐付呪大事」などがその代表的なものである。

シゲノの話を通して、このように単なる動物ではない「狐」という霊獣は、自由自在に身を変じ、異界とこの世の境を飛び越える存在にして、ちょうど「オダイ」と対をなすことが明らかにされる。

神々の序列の中で、全く上位にあるわけでも、全く下位にあるわけでもなく、吉ともなれば凶ともなる、比類なき仲立ち、仲介役。

このような存在をこそ、シゲノは真の師匠とし、また夫、旦那として認め、「オダイ」と一体を成していると確信していた。



           (引用ここまで)

             *****

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