Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ホールとサロン(5)

2024年04月13日 06時30分00秒 | Weblog
指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ
ロドルフォ(テノール):ステファン・ポップ
ミミ(ソプラノ):セレーネ・ザネッティ
マルチェッロ(バリトン):マルコ・カリア
ムゼッタ(ソプラノ):マリアム・バッティステッリ
ショナール(バリトン):リヴュー・ホレンダー
コッリーネ(バス): ボグダン・タロシュ
べノア(バス・バリトン):畠山 茂
アルチンドロ(バリトン):イオアン・ホレンダー
パルピニョール(テノール):安保克則

 毎回声量豊かな歌手が勢ぞろいする「プッチーニ・シリーズ」だが、今年もロドルフォ役のステファン・ポップを筆頭に”パワー系”歌手が集まった。
 アルチンドロ役のイオアン・ホレンダー(ウィーン国立歌劇場元総裁)以外は全員暗譜で、ヤノフスキからお叱りを受けそうな状況である。
 私は、ステファン・ポップは初見だったのだが、彼の放つオーラが凄まじく、”ステファン祭り”と化したのは必然だったのだろうか?
 こういうタイプの歌手には、やはり大きなホールが似合うようである

J.S.バッハ(鈴木大介編):
 リュート組曲 第2番 ロ短調 BWV997(原曲:ハ短調)
 組曲 変ロ長調 BWV1010(原曲:無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調)
 組曲 ト短調 BWV1011(原曲:無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 & リュート組曲 第3番 ト短調)
 組曲 ニ長調 BWV1012(原曲:無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 )

 こちらは東京国立博物館の平成館ラウンジが会場で、ショパンが好んだ「サロン」に近いといって良い。
 鈴木さんのクラシックギター(ヤマハGC82)の響きは繊細で、こうしたサロン的な会場がフィットする(というか、ホールは無理だろう)。
 アンコールの2曲目は、第一夜と同じく「G線上のアリア」だったが、第一夜とはアレンジが異なるように聴こえた。
 優しく語りかけるような楽器の響きが曲調にも合って快い。

 「ワーグナーは、この曲を、愛妻コジマの誕生日のプレゼントにしようとして作曲し、ひそかに楽員たちに練習させた。
 そして、誕生日の12月25日の朝、コジマの寝室に通じるらせん状の階段に勢ぞろいした楽員たちに、まだ寝ている彼女のためにこの曲を演奏させたのである。
 美しい音楽の調べに驚いて目を覚ました彼女は、思いがけない贈り物に涙を流して喜んだという。
 曲は、全体に牧歌的な気分にみちあふれていて、聴いていると、長男を得たワーグナーの喜びと、コジマへの感謝の気持ちが痛いほど伝わってくる。

 クラシックの名曲は、ホールやサロンで演奏されるために作られた曲が殆どだが、そうでない曲もある。
 妻(コジマ)という一人の人間のために、家で演奏することを想定して作られたのが、「ジークフリート牧歌」である。
 グールドのピアノ編曲版を聴くと、ラストの4~5分間は殆どささやきのように聴こえる。
 そもそも第三者に聴かせることなど想定されていないのである。

3.サイレント・イヴ~「クリスマス・イヴ」より

 私は本は「濫読主義」で、音楽も「濫聴主義」なので、たくさんのCDを聴くのだが、その中で驚いたのが、ピアノ編曲版「サイレント・イヴ」の演奏である。
 弾いているのは扇谷研人さんという方なのだが、弾き方が「ささやく」ようで、はなっから演奏会で弾くことなど考えていないところにビックリしたのである。
 これに近い演奏をするピアニストとしては、アンドレ・ギャニオン以外は見当たらないと思う。
 こういう、「ホールでもサロンでも聴けない音楽」も大切にしたいと思う。

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