その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、映画、本などなどについての個人的覚書。SINCE 2008

夏の東京史跡巡り(4) 近藤勇墓所 @板橋

2020-09-01 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

記事タイトルは「東京史跡巡り」になっているのですが、今回は全くの偶然で「巡った」わけではありません。8月のお盆週間の日曜日、私用で埼京線の板橋駅なるところに初めて降り立ったのですが、駅前ロータリーの奥に只ならぬ雰囲気の一角がありました。引き寄せられるように足が向いたのですが、何とあの新選組局長近藤勇の墓所でした!


〈JR埼京線 板橋駅東口ロータリーの奥にあります〉

 

調布市の近藤勇の生地近くにある墓所、龍源寺(住所は三鷹市)には訪れたことがあります。近藤勇の遺体は、処刑された板橋にあるという説と、そこから生地に運んだという龍源寺説があるのは聞いたことがあるのですが、板橋の墓所とはここのことだったのか!と感激。

正面にある近藤勇と土方歳三の名を刻んだ慰霊碑は、側面に沖田総司、芹沢鴨などその他の亡くなった新選組隊士の名も刻まれています。これって、多少なりとも新選組の小説や映画・ドラマに馴染んだ人にはかなりの感激です。しかもこの慰霊碑の建立は新選組の名物剣士永倉新八と言うから泣けるじゃないですか。


〈慰霊碑〉

 

慰霊碑の周りには、近藤勇の墓石や龍源寺は胸像ですがここは全身像、そして永倉新八の墓碑も建っています。暑い夏の夕刻、この場にはひんやりとした不思議な冷気が漂っているような気がしました。

〈埋葬当初の墓石〉

 

 

 新選組は、歴史的な評価としては決して高いとは言えない集団(ありていに言えば、権力(幕府)側のテロリストグループともいえますし・・・)だったとは思うのですが、歴史的に滅びゆく武士階級の棟梁を支えようとする意地、多摩の半農民が見た武士の夢、もしくは歴史のあだ花と言った、何か我々庶民を引付ける磁力があるのは事実です。

 

所要もあり、じっくりと見物と言うわけにはいきませんでしたが、あまりにも偶然としては嬉しい出会いでありました。


〈永倉新八の墓〉

 

2020年8月16日


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