数日、ブログをお休みしていました。
どうも最近、姿勢が悪くなった、自分でも自覚していたので駅前の「整体」にはじめて行き、それ以外にも左側の肋骨のまわりに違和感を感じていたので、行きつけの内科を受診、「肋間神経痛」と診断されメチコバールというビタミン12のお薬を一週間分処方して貰って一日3回服用することになりました。それだけでは物足りなく、YouTubeもいろいろ見ましたが、以下の2つは特に役にたつように思ったので、自宅で活用しようと思い、さらに食事もビタミン12が含まれた食材を毎回取り入れるようにしました。特に「やってはいけない姿勢」は予防にもなり、パソコンや家事で前かがみの姿勢が多い方にも、と思いUPすることにしました。
肋間神経痛の人がやってはいけない姿勢
肋間神経痛に効果的な対処方法。マッサージ方法
毎日、頑張ろうと思っています。
ところで私の「畏友」がイタリアに行って毎回楽しい便りをしてくださっているので、先日、このブログに掲載したのですが、どうも一部がぬけていたようなので、正しく掲載しようと思います。
「イタリア紀行」をなさっている中で、メラーニ首相に関する話題をイタリアの一部大衆はどのように受け取っているか、についてです。第二次大戦の日独三国同盟でも、なぜかイタリアだけは軽く見られていたこと、これもわが畏友は憂慮しておられます。
ではご覧ください。
🟢イタリア人も変わったのではないか?
イタリアに来るとメローニについて何か顔を曇らせる。そして反論としてはファッシストの系譜だからいやだというレッテル主義だ。さらに国民が選挙に行くのがアホらしくて行かないから彼女の支持率は半数をこえる。実際はせいぜい28%しかないのにと怒りを込めて僕に歯向かってくる。
僕はメローニのおかげでイタリアはハンガリーのようにプーチンに媚を売る様なことがなく西側の日本を含めまとも国とつきあってるじゃないか!と言っても乗ってこない。まあ僕がメローニについて聞いてもいい返事はこない。相手に話しているのがそのレベルの差だろうからだが、本当に大衆とは困ったモノでメローニ=ファシスト=ムソリーニ と決めつけるレッテル主義に侵されているバカさ加減はどこの国も同じだと思うね!
さて上記は別の話だが、昔の僕が育った働いた頃のイタリアは<いい加減な国だ!><あいつらが三国同盟にいたからドイツと日本は勝てなかった>などとの馬鹿げた議論は別にしても、<イタ公>に表される侮蔑がずっと底辺に流れており、侮りの対象だったのも事実だ。しかし最近のイタリアはいい加減なという要素がないのを僕はイタリアに来るたびに感じるね!今回イタリアに来たが、予定では3回積替があった。たとえばフランクフルトからイタリアのバーリに来たが、フラクフルトからミラノで飛行機をバーリ行きにかえ荷物もそこからミラノで積み替えをせねばならない、そんなことがかっての偏見からイタリア人にできるわけもないから信用したらだめだとの決めつけが未だにある。他の2件は、ローマでの乗り換えであって、荷物が他人任せである以上、できるはずもないと予想していたが、3件とも成功したのだ。人間が乗り換えできても、人任せの荷物はどっかに行方不明になるか紛失だろうと決めつけて予想していたが完全に外れた。
さらにイタリアに来て驚いたのは、今日本でも流行りつつある、無線で近くにいるタクシーを呼びつけるシステムだ。ドイツやアメリカが発展することは理解できるが、事前にはイタリアなどそれができるわけがないとの前評判だったが、とんでもない!
今回食事や空港に行く場合、この無線(例えばUBER など)でほとんどが数分以内にやってくる。日本の地名はたしかに論理的でなく、システマティックに一対一の場所をアイデンティファイすることが難しい事情もあるが、そんなことは他の世界ではなんぼでもある。
日本はこれがどれだけ遅れているのか、どこかの頭の悪い自民党の若手やらがライド・シェアの方向に女性の性的被害の危険をも顧みず、掛け声をあげているが、この無線による配車の2倍以上あるだろう効率化を図った方がよほど解決になるだろうが・・本当に政治家の頭の悪さはここにありということだ
まだ四日滞在予定だがイタリアの明るい未来に僕は期待を持っている。その歴史的ローマ帝国のプライドを現に運転手やホテルマンに鼓舞しているが、そんな激励をすると、喜んでいる姿、実はイタリア人もそんないい加減な民族に扱われる怒りとちゃんとやらねば国際社会でバカにされるとの矜持があってこそうまく先進国にモテる様にするのだということを確信せざるを得ないのだ!
以上です。わが畏友は誰かに媚びるなんて全くゼロ、厳しい批判をなさるけれどそれは真っ正直さと叡智からきています。クライン孝子さんと「すごい賢人で日本にはなかなかいないタイプ、口はワルイけれど憎めないお方」と意見が完全に一致しました。
言論の自由については絶対に譲りません。
メローニ首相の生い立ちや考え方などは先日のブログに書きましたので、本日はこのようなメローニ首相の見解を添えます。
五日前に発表のメローニ首相の文を載せます。
>70年前、1954年10月26日、豪雨と強烈なボラ風の下、多くの女性と男性がトリエステに入るイタリア軍を歓迎した。 その夜、町全体が見ていた。トリコロールと一緒に兵士が彼らを抱きしめ、彼らと一緒に残りの国民に強く抱きしめるのを待っていた。 その日、祖国はトリエステに戻り、トリエステは祖国に戻った。 愛と苦しみ、敗北と勝利、苦しみと希望の長い物語の集大成に至るイタリア人の記憶に刻まれた日。
第一次世界大戦のトリエステがイタリアのルネサンスと統一の成就の象徴となっていたら、第二次世界大戦末期の都市は全く異なる物語を体現していた。 ユーゴスラビ占領の40日間、偽人たちの虐殺、英米政権とトリエステをイタリアから「自由領土」と境界した条約の結末。 東アドリアの州-ポーラ、フィウメ、ザラ-の損失と、それらの土地からのイタリア人の排出により、新たな「トリエステの質問」が加えられ、イタリアとユーゴスラビアの間で、自由世界と共産主義世界の間で争われた都市である。
しかし、トリエステ問題は議長間の外交論争と政府間の関係に限られたことはありません。 それは、世代のイタリア人の心に火をつけ、文化と衣装の議論をアニメ化した人々の質問でした。 Stivaleの各町の若者たちが、サンセルジオのアラバードが立ち並ぶトリコロールとトリエステの旗を持ってパレードし、サンレモでは白い鳩の飛翔が歌われ、同時に愛の宣言と挨拶と イタリアでのトリエステの帰還の約束。 1953年11月、トリエステの反乱は、引き裂かれたトリコロールによって引き起こされ、救済の前提となった。 あの頃の戦没者6人は、Zarat出身の非常に若い14歳のピエリーノ・アドバティを含む、再び復活するための理想的な後押しを国民に復活させた。
トリエステのイタリア帰国7周年は、約束を新たにし、新たなマイルストーンを迎える機会となることを願っています。 その約束は、祖国への忠誠の宣言を、アイデンティティ、その価値、その象徴に繰り返し繰り返し、我々が継承者である歴史を未来に投影するということです。
今日のトリエステはもはやイタリアとヨーロッパの郊外の都市ではなく、ルーツ、自由、民主主義、仕事、機会で作られた共通のアイデンティティに根差したヨーロッパの中心です。 地理的位置づけは戦略的ノードの中心にあり、アドリアティックに投影された大規模な物流プラットフォームを目指す都市であり、そのため地中海のみならず地中海でもある。
イタリアがG20に生かすのに役立ったインド・中東・ヨーロッパの経済回廊の発展から生まれる大きな成長の見通しを考えます。 それは、主人公を意図し、決定的な役割を果たすことができる基本的な戦略的イニシアチブです。
トリエステは、イタリアの都市の中で「最もイタリア」と「最もミニヨーロッパ」と同時に、イタリアとラテンのアイデンティティの間の自然の架け橋でもあり、スラブ系とドイツ系の民族が最も近い。 これにより、イタリアにとって常に基本的に重要である西バルカンへの投影にも主役を担うことができます。 アドリアティックの向こう側で起こることはすべて私たちにとって関心があり、ヨーロッパの民家の外に長く留まることができない地域に対する大きな責任を負っています。 このためにさえも、イタリアは勢いと決意をもって、西バルカンからヨーロッパへの再統一のプロセスが続けられるよう、努力し続けます。
しかし、トリエステ - その企業、生産性の高い生地、海洋投影 - は、イタリアの先天的な地政学的創業を支援する重要な役割を果たすことができます。これは、Plan Matteiの推進的な後押しでも、前向きで平等なアプローチであり、捕食的ではない その大陸の民族と国々に向けて。
70年前、トリエステがイタリアに戻った。 今日はこの長い愛の物語を祝います。
Piazza dell'Unità d’Italiaに厳かな旗が掲げ、窓にトリコロールアローの素晴らしさを賞賛します。
深く苦しめられたイタリア性に包まれたトリエステの魂は、視点、誇りと未来を問う。 そして、私たちはこの野望を支援する準備ができています。 トリエステは私たちの一部だから。 トリエステはイタリアです。
ブログ主・・・第二次世界大戦後の日本・ドイツ・イタリアは平坦な道ではありませんでした。
ドイツではナチスのしてきたことの罪悪を抱えながら、「ノーといえない政治や文化の自主独立」に及び腰で、移民・難民を超大量に抱え、国内の治安は大変悪化しています。
またイタリアは貧しく、戦後まもなくの映画「自転車泥棒」で表現されたように、祖国統一運動の誇りは、いつのまにか自信を失い、政治が混乱し、当時のソ連に対し、指揮者のアッバードやピアニストのポッリーニのように共産党寄りといわれる言動を伝えられています。(リッカルド・ムーティから再度ヴェルディのオペラで示された祖国統一運動や古代ローマの正当性を貫くようになりましたが、治安は悪く、南イタリアは税金を払わない人々も多く、北イタリアに負担がかかったそうです。
「ローマから南はアフリカだ」という声も、イタリアの経済の挫折で自嘲的に言われたのを聴いています。・・・しかしイタリア人の名誉の為に、今のナポリなどマフィアが犯罪を多発した状況が改善され、治安が良くなっているようです。
★ ブログ休んでいる間に世界のニュースは多くの国で続々と伝えられています。
これは次回からにしましょう。北朝鮮のミサイルも大変心配です。
ウクライナを討つために北朝鮮から多くの兵士がロシアに入国しているようですが、これを止めるには・・・。とても恐ろしい、もちろんイランやイスラエルも。
ブログのティールーム
北朝鮮の軍がロシアに行き、ウクライナ討伐に加わっているということ、北朝鮮の暴発は止めることができないのでしょうか。
これは今のキーウ市長が、ボクサーとして世界チャンピオンになり、世界的なヴァイオリニストであるギャレットが「ウクライナ国歌」を演奏しているところです。
どうかご無事に・・・と願うばかりです。
David Garrett - Hymn of Ukraine - National Anthem of Ukraine
キーウ市長、クリチコ氏 独占インタビュー
領土でロシアに譲歩なら「国民投票必要になる」 キーウ市長、ゼレンスキー大統領にくぎ - 産経ニュース
ビタリ・クリチコ (ウクライナ語 : Віталій Кличко, ラテン文字転写: Vitali Klitschko, ウクライナ語発音: [ʋiˈtalij klɪtʃˈko], 1971年 7月19日 - )は、 ウクライナ の政治家で、現 キーウ 市長、元 キックボクサー 、元 プロボクサー世界チャンピオン。
キーウ