教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ブシ道 と オタ道

2009-05-12 00:00:06 | オタネタ全般
5000円札で有名な新渡戸稲造の著作に「Bushido: The Soul of Japan」(和名は「武士道」)というものがある。

むかし、とある爺さんが
「女子大生が武士道を読んで「おもしろい」と言っていた。若い人が読んでもおもしろいと感じるのには驚いた」
と言っていた。
そこで、当時わたしもマネして読んでみたわけだ。

ところが!

じつはこれが全くおもしろくない。
途中まで読んだがダルいので読むのをやめてしまった。

この本の構成は以下のようなものになっている。

いま手元にないので不正確なのだが、たとえば・・・
『欧米では自殺は不道徳でありチキンあつかいされるが、日本では名誉を保つための行為として切腹が肯定される。』
・・・といった論調になっている。

そのため、日本人から見たらあたりまえの価値観を描いているにすぎず、全く新鮮味を感じないのだ。
それもそのはず、著作「Bushido」は欧米人むけに英語で書かれたものなのだから、そもそも日本人が読むようなことを想定していない。
わたしはむしろ、日本人なのに読んでおもしろいと感じる人がたくさんいるほうがフシギに思う。

新渡戸稲造ほどの構成力や完成度は望むべくもないが、これくらいなら誰でも、たとえばわたしでも書けそうな気もしてくる。

そこで、だ。
わたしもマネゴトを考えてみたわけだ。

ブシ道はもうやられてしまった。
なので、オタ道でも書いてみてはどうかと思ったわけだ。

武士道のような論調にするとこうなる。



日常では、男性の同性愛は理解しがたいものとして敬遠される。
二次元では、ボーイズラブとして女子に絶大な人気を誇るいちジャンルとして確立している。
これは現実の男×女の恋愛には望むべくもない何かを二次元に求めた結果のものであり、男×男で女が登場しないのではあるものの実は異性愛の物語なのである。
したがって一見すると同性愛だが日常における同性愛とは全く異なり、また生物学的にも論理的にも二次元の中にしか存在することができない。



日常では、ひとりの男に多数の女が集まるのは他の男のヒガミを買う対称となる。
二次元では、ひとりの男に多数の女が集まるのは常套手段である。
二次元では主人公の視点は読者視点になっているため、主人公ひとりに多数の女が集まる状況を見ても、読者が主人公をヒガむ感情が発生しないためである。
現に、主人公とカップル化したヒロインであっても、萌えキャラとして愛され続ける。



日常では、オタはダメなヤツの代表である。
二次元では、オタはオタであるほど尊敬される。
同じ趣味を共有するもの同士のコミュニティーにあっては、少なくともその場だけかもしれないが、オタであることを悔やむ者はいない。
またオタは、より幅広い知識を保有しており、より深い洞察が可能であり、場合によっては高い完成度の創作を可能とし、より高いレベルのオタになることを欲している。
したがって、より高いレベルのオタであれば、オタ仲間から尊敬の念を獲得することができるのだ。



なんだかいくらでも書けそうな気がしてきた・・・。

新渡戸稲造クラスの構成力をもってして英語の著作におさめでもしたら、一躍欧米のヒーローになれるかもしれない。
さて、だれか書いてみようという猛者はいないものか?