教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

シューティングとはシューティングにあらず (上巻)

2009-05-03 00:12:35 | シューティング
のっけから禅問答のようになってしまっているが、今回はシューティング全般のお話。
今回のお題は、シューティングとはシューティングにあらず、である。

むかしむかし、ハドソンのキャラバン全盛期のころ。
ゲーセンではなく家庭にゲーム機(つまりファミコン)がはじめて普及し、TVゲームというものが一般社会に認知されてき始めたころ。

そのころ、TVゲームというものを大人は理解できなかった。
大人はTVゲームを子供の悪影響の筆頭だとして大々的にネガティブキャンペーンを実行した。
いつの時代もそんなことはあるもので、ポケベルしかり、携帯しかり、ネット環境しかり、である。

そのころ、というかTVゲーム黎明期のころ、TVゲームというとシューティングが多くある時代が続いた。
当然ながらシューティングが批判の代表となる。

その批判とはこうだ。
「TVゲームは子供を凶暴化させる」
のだとか。

まあ、目が悪くなるというものも多くあった。
あと、コミュニケーション能力が身に付くのが阻害されるというのもあったが、どちらかというと凶暴化のほうが攻撃対象だった気がする。
ちなみに、ゲーム脳といってTVゲームをすると脳が破壊されるというオカルトまがいの説もあるが、これはもう少しあとの時代の風説である。

参考までにわたしの父親もTVゲーム諸悪の根源主義者である。
まあ当時の大人は多かれ少なかれ、博打や酒やタバコ以上にTVゲームは百害あって一利なし、TVゲームは日本の将来にとって最も有害なものだと思っているだろうから、これは特別ヘンチクリンな主義主張ではない。

では、当時の大人たちはなぜ「TVゲームは子供を凶暴化させる」と主張したのだろう。

彼らの説はこうだ。
TVゲーム(代表的にはシューティング)では敵を攻撃してやっつける。
だからそれをやった子供も攻撃的になるに違いない! ・・・と。

では、それは本当なのだろうか。

シューティングでは敵を攻撃してやっつける。
まあウソではない。

しかし!
シューティングのおもしろさは敵を攻撃してやっつけることにはない。

ゲーセンでも行って、シューティングのうまい人のプレイを見ていると多くの人は思うだろう。
うまい人のプレイを見て感動するところは敵をやっつけるところにはない。
うまい人が鬼のように降り注ぐ狂気の弾幕を紙一重でひらりとかわす、そのスーパープレイに感動するのだ。

実際にプレイしてもそれは同じだ。
たった1発被弾しただけで撃墜される貧弱極まる機体をみずから望んで手に取る。
そして死と隣り合わせの危険をかいくぐりつづけ、信じられないような敵の攻撃を受け続け、残機をへらしボムストックを減らし、それでもなお先に進む。



(次回へつづく・・・)