教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

韓国企業と付き合うと・・・

2009-05-02 00:26:20 | 経済/経済/社会
エレクトロニクス実装技術という雑誌がある。
http://www.gicho.co.jp/ept/index.html

この雑誌の2009年4月号(Vol.25 No.4)に液晶ディスプレイの周辺技術という特集があり、そのなかの41ページについて少し引用したい。



(前略)

開発設計の手掛かりもなく、後発の私には他力本願の途は最早ない。
試行錯誤の実験や驚愕の試作費用に耐えながら、屁理屈論をこね回すこと10年間、自己流の照明光学理論をようやく構築できるようになった。
デジタルカメラ用表示板の開発を大手企業に納入できたのは、すでに2000年を過ぎていた。

2004年には、隣国の著名な企業の副社長が、報奨金を提示して支援を懇願してきた。
導光板に発生した輝線を除去できないので製品数千枚が納入できず、2年間も苦闘しているという。
一ヶ月後に解決案を提示したが、半信半疑で素直に理解してくれない。
やがて不具合はようやく氷解し、要請されて英文の請求書も送ったが、以後の支払いの沙汰はなかった。

さらに、2004年から2006年にかけて隣国企業が10社ほど来訪した。
日本からの移転で第一ロットは生産したものの、第二ロットを自力で開発できず困窮して来たのだろう。
彼らが得意気に提示した仕様書は、形式が整ってはいるが、遵守条件と任意条件、禁止条件が無差別に混在していた。
気位高い彼らだが商談の手法がまったく無為で、案件は頓挫するばかりであった。
戦後の日本が発展できたのは、品質管理手法を必死で学んだお陰だと、彼らと比較して、わが身の幸せを痛感した次第であった。

また、この時期に日本の一流企業複数からも折衝があった。
しかし、バックライトに要求される繊細すぎる寸法精度や高価な試作費用に直面して、開発の途中で挫折してしまった。

2005年に「開発を依頼したい」と商社を同伴して成形業者が来駕された。
心許して技術を語り始めた時、その若い技術者は手帳にペンを走らせるばかり。
期待した商談は皆無。
私のノウハウは盗用され、半年後のFPD展では、その企業の製品カタログに携帯電話用バックライトが写真付きで展示されていた。

(後略)



隣国とは中国でも台湾でもロシアでも北朝鮮でもない。
こんなことをしそうなのは某隣国以外にはありえない。
(中国も少しその気があるが某隣国ほどひどくはない。)

韓国企業の人間は、平気で顔見知りていどのつきあいの日本人に泣きついてくる。
情にうったえられると日本人はおいそれとは断れない。

しかし!

韓国企業の人間は自分の問題が解決すると、泣きついたさきの助けてくれた日本人の恩を忘れるどころか、日本人を足蹴にする。
技術コンサルタント(引用文の著者)に料金を提示して、コンサルタントしてもらって問題が解決して、それでコンサルタント料を支払わないなんて、日本人なら情に訴えて泣きついたひとのやれることではない。
日本人から見たらエイリアン級の理解不可能な傲慢さだ。

このようなことがおこるのは、なぜならキホン的に韓国人は
「日本人にはなにをやっても許される」
と思っているからだ。

むかしはわたしも
「同じ人間なんだから、みんな仲良くすればいいじゃん・・・」
と思っていたのだが、韓国人を見て間違いだと気付いたのだ。
それは遠い彼方の理想論であり、韓国人が韓国人であるかぎりムリだと悟ったのだ。


製造業を営む企業の品質管理についてもお国柄は出る。

アメリカ人は証拠を提示すれば負けを認めることもあるが
「そういう仕様です!」
とつっぱねてそれ以上話を聞かないこともある。

日本人も証拠を提示すれば負けを認めることもあるが
「提示した資料が正しいことは認めるが製品の欠陥は認めない、損害賠償には応じないが同額以上のべつの製品との物々交換になら応じる」
というような、結局のところだれが悪かったのかよくわからなくなるような玉虫色の解決を迫ることもある。

中国人は負けを認めない傾向が強いが、そのまえに輸入代理店のほうから
「中国製だから安いのですが、中国製だから何かあっても自己責任ということで・・・」
というぐあいに、あらかじめトラブルがあっても解決困難なことを提示される。
最初っからあてにしないことにしていれば、それはそれでかまわない。

韓国人は「絶対に」負けを認めない。
どんな証拠資料を提示しても負けを認めない。
文章読解力が小学生なみでも理解できるようなことでも負けを認めない。
ひどいときには、反論できなくなってくると慰安婦とか歴史問題まで持ち出してくるクソ野郎までいるらしい。
さすがに直接これには遭遇したことはないが。

韓国人は絶対に負けを認めないのには、韓国人だからという理由のほかにも理由がある。
韓国で外国人が裁判をおこすと外国人が必ず負けるように国策で仕組んであるから、韓国人は裁判ざたになっても全く困らないのだ。
わたしの会社でも韓国のデッドコピー企業を訴えたことがある。
日米台では全面勝訴したが、韓国でだけ全面敗訴に追い込まれた。
要約をみても日米台の下したあたりまえの判断と全く正反対のことを言って判決を下しており、はらわたが煮えくり返る思いをした。
(こまかいところまで書きたいのだが、面が割れる危険もあるのでこれ以上書くのはやめておく。)

日韓ワールドカップでの韓国側のムチャクチャな誤審を覚えているひとも多いと思う。
あれはワールドカップにかぎらない。
あれとおなじくらい酷いことが法廷でも企業間取引でも常態的に行われているのだ。



わたしはプライベートでも会社でも韓国製の部品は絶対に採用しない。
周りの人が採用しようとしているのを見ても止めにかかる。

日米台の部品メーカーならば、いますぐ採用する用途がなかったとしても技術的なディスカッションを行うことはよくある。
お互いに技術レベルを高めあうためだったり、技術動向の情報交換をするためだったりと、いろいろ理由はある。

しかし相手が韓国企業だとわかったら可能なかぎりディスカッションは行わない。
「いりません」
ただそれだけで、それ以上なにも言わない。
ここまで読んだかたは理由を理解していただけると思う。



当blogの趣旨であるオタ関係についても少しふれたい。

http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090121/p1

「韓国では『ガンダム』はロボットの総称を意味するから著作権は無効」
というトンデモ判決が出ている。
これは都市伝説かのように流布しているが、都市伝説ではなく事実だ。

それによってガンプラなど知的財産により稼ぎ出せるはずの外貨はすべて韓国人のデッドコピー野郎のふところを潤わせるだけになりはてている。

http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/bb64a046e7bc11c0375d473d945a9861

たとえば↑このような感じで。

韓国人の実態をよく知る人にとって、これは雑談における嘲笑の対象ではあっても、別段おどろきではない。
韓国人ならやりそうな内容だからだ。

ついでに言うと、しばらくしたら韓国人が
「ガンダムは韓国起源!」
とでも言いそうな気がするのだが。



わたしは言いたい。
「韓国企業とは付き合うな! 付き合ったらどうなるか、当blog記事のようなハメになるからだ!」