ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

2091、2015年も

2013年12月05日 | Weblog
1日のNHK大河ドラマ48回で新島襄が「グッバイ、また会わん」と言って逝きました。
幕末に国禁を犯してアメリカに渡ろうとした人物に吉田松陰と新島襄がいます。
松蔭は失敗しましたが、襄はアメリカに渡りました。
松蔭は死して、襄は生きて日本の近代化に大きな功績を残しました。
両者とも教育者として多くの人材を育てました。

今年(2013年)の大河ドラマ「八重の桜」は新島襄の妻(八重)が主人公です。
再来年(2015年)の大河ドラマは「花燃ゆ」で、吉田松陰の妹(文)が主人公です。
八重は会津、文は長州出身で群馬(上州)の女性ではありませんが群馬と関係があります。
新島襄は群馬県安中藩士。
文の夫は初代群馬県令(知事に相当)の楫取素彦(かとり・もとひこ)。
楫取素彦は吉田松陰とは深い信頼関係で結ばれ、松陰が投獄されたあと松下村塾の塾生指導に当たっていました。
楫取は松蔭の2人の妹と結婚しています。(松蔭には4人の妹がいた)
最初の妻寿子とは死別しています。
文は松陰の末妹で久坂玄瑞と結婚しましたが、玄瑞は禁門の変で自害しました。
楫取が文と再婚したのは明治16年で、群馬県令として前橋にいたころです。
明治新政府では中央の官職につかなかったので長州閥の政界人に比べあまり知られていませんが、群馬県では慕われています。
楫取の在任中に群馬県庁は高崎から前橋に移転し、県庁の裏に「楫取素彦の顕彰碑」が建っています。

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