ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1465、あの日、パナマホテルで

2012年03月20日 | Weblog
今日は本を紹介します。
タイトルは「あの日、パナマホテルで」です。
804、シアトルのロミオとジュリエット」で「HOTEL on the CORNER of BITTER and SWEET」は日本語にまだ翻訳されていない、と書きましたが、昨年12月に日本語訳版が出版されました。
日本語版が出版されたことを知ったのはラジオでした。
本を紹介するコーナーがあり、昨年5月に亡くなった児玉清さんが担当していました。
女優の中江有里さんが児玉さんの後担当していましたが、数日前に番組は終わってしまいました。
今年1月頃この本を紹介していたので、早速買って読みました。
中江さんは読書家としても知られていて、年間300冊以上読むそうです。

詳しいストーリーは書きませんが、ぜひ読んでみてください。
感動します。
本の最後「謝辞」で著者「ジェイミー・フォード氏は「パナマホテルのオーナー、ジャン・ジョンソンさん。彼女は三時間もかけて例の地下室を案内してくれたし、日本町の精神の保存に飽くことなく貢献している。彼女がいなければ、このホテルはブルドーザーにかけられて、もはや忘却の彼方へと消失していたことであろう。」と書いています。
歴史的建物を守り、日本町の歴史を伝えているジャンさんに感謝。
今度行ったらもっといろんなことを聞いてみようと思います。

1980年ごろ大陸横断鉄道で全米を旅行していたとき、シアトルのユニオンステーションで降りました。
シアトルにはかつて大きな日本町があったことは知っていましたが、その時は日本町の足跡を見つけることはできませんでした。

訳者の前田一平氏は「訳者あとがき」で、「初期のシアトル日本町を描いた作家として永井荷風を忘れてはいけない。明治三十六年(1903年)に渡米した荷風はその見聞をまとめた『あめりか物語』で、最初の寄港地シアトルの日本町を驚きをもって報告している。目につく看板は日本語ばかりで、寿司、豆腐、蕎麦、それに汁粉を売る店が軒を連ね、まるで日本の町にいるみたいだと記している。二十世紀初頭には、既ににぎやかな日本町が形成されていたことがわかる。」
と書いています。
現在、シアトルに日本町はありませんがシアトルとその周辺には多くの日系人と日本人が住んでいます。

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