ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

856、ブルース・リー

2010年07月21日 | Weblog
7月20日はブルース・リーの命日です。
ブルース・リー(李小龍)は1940年11月27日サンフランシスコ生まれの中国人ですが、アメリカで出生届を出していたので米国籍もありました。
18歳で渡米しシアトルに移り住みます。
1973年7月20日に香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んだあと昏睡状態に陥りクィーン・エリザベス病院へ搬送されますが死亡が確認されました。
公式な死因は脳浮腫で葬儀は香港とシアトルで行われ、遺体はシアトルのダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬されました。(5月にシアトルに行ったとき、行けなかったのが残念)

1973年に主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに全世界で公開され、大ヒットします。
しかしこのとき彼はすでに亡くなっていました。
ハリウッドにも進出しこれからという時でした。

ここでいつも話題になるのが「ブルース・リーは本当に強かったのか?」という疑問です。
「俺が強い、といえば鼻にかけていると思われるだろう。だが、一番じゃないといえばウソをつくことになる」生前のブルース・リーが好んで口にしていた言葉です。
武術家、マーシャル・アーティストとしての自分の技量には絶対的な自信を持っていたようです。
渡米直後の1960年には日本人空手家に挑まれ、シアトルのYMCA内の体育館で立ち合い、わずか10数秒で相手を倒したというエピソードもあります。
私の知り合いの極真カラテの道場主に上の質問をしたら「そういう質問自体がナンセンスだ、彼はあくまでムービースターだよ。」と言っていました。
ブルース・リーの映画を見ていると身のこなし、技のスピードなど演技とは思えない本物の動きがあります。
私がタイムズ・スクエアで彼の映画を見ていた頃すでに亡くなっていました。
135、カラテ」を参照

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