環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

地球的規模の環境問題に正面から対応出来ない 「自然科学」 と 「社会科学」

2010-09-09 12:18:43 | 環境問題総論/経済的手法
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これまでにもくり返し書いてきましたように、「私の環境論」他の多くの日本の環境分野の専門家や活動家の議論と異なるのは「環境問題」と「経済(活動)」を最初から関連づけて考えていること、そして、環境問題の解決のためには「民主主義の考え方」と「その実践」が必須なこと、具体的には環境問題の解決は、従来の公害とは違って技術的な対応だけでは不十分で、経済社会の制度の変革をともなうこと、21世紀に主な環境問題を解決した「エコロジカルに持続可能な社会」の創造のためには、さまざまな「政策」とそれらの政策を実現するための「予算措置」が必要なこと、つまり、環境問題の解決に当たって、「技術の変革」と「政治と行政のかかわり」を強く意識していることです。

20世紀の安全保障の議論は「軍事的側面」に特化されていましたが、21世紀の安全保障の概念は軍事的側面だけでなく、さらに広く「経済活動から必然的に生じる環境的側面」へと展開していかなければなりません。戦争やテロがなくなり、世界に真の平和が訪れたとしても私たちがいま直面している環境問題に終わりはないからです。その象徴的存在が「気候変動問題」であり、「生物多様性の保全問題」と言えるでしょう。

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20世紀の経済成長の本質は資源・エネルギーの消費拡大でした。21世紀の経済成長は資源・エネルギーの消費を抑えて達成しなければなりません。

自然科学は私たちが直面している環境問題の現象面を分析し、理解するのに役立ちますが、環境問題の主な原因が「人間の経済活動の拡大」であることを考えますと、環境問題の解決には「人間社会」を研究対象とする社会科学からの総合的なアプローチ(法体系や制度などのソフトな変革など)が強く求められます。

これまでの自然科学は、多くの場合、人間を除いて問題を考えてきました。環境問題とのかかわりが深い生態系の説明(最近の状況は分かりませんが)では、たとえば次の図のように、人間の存在が抜けており、自然を「人間社会の外側」に置く傾向がありました。


このような傾向に対して、3年前に初めてお目にかかった名城大学大学院総合技術研究科教授の垣谷俊昭さんは、名城大学人文紀要(第42巻2号、2006年)に寄稿された論文「地球環境問題と文明と人間のこころ」の中で、現在の地球規模の環境問題を考えるときにとてもわかりやすく、そして、私にとっては新鮮な「現在の生態分布の模式図」を掲げておられます。


生態系の最上位に位置する人間の置かれた状況を表現する逆三角形(生態学の法則に違反し、ライオンより圧倒的に多い個体数など)の不安定感とその解説が「地球規模の環境問題の深刻さ」を視覚的にも科学的にも巧みに表現されています。





一方、社会科学の分野でも、特に経済学は「外部不経済の内部化」という言葉に象徴されますように、人間社会の外側にある「自然」を研究対象とせず、しかも、その判断基準は「お金の流れ」であり、お金に換算できないことは無視してきました。


このように少なくとも20世紀の「自然科学」も「社会科学」も、そして、21世紀に入って10年が経過した現在でも、自然科学や社会科学は私のブログのテーマである21世紀の「共通の根っこである私たちの不安(経済、福祉、環境などの不安)」に正面から対応できないのが現状です。

このような現実から、次の関連記事が示唆するように、世界の経済学者や社会科学系の学者や著名人のほとんどが「経済危機」は語れても、同時に「環境問題」を語ることができないのだと思います。

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また、著名なエコノミスト、イェスパー・コールさんは、およそ10年前、月刊誌『論争』(東洋経済新報社 1999年11月号)で、エコノミストについて、次のように述べています。

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エコノミストは将来を予測できるという思い込みは、20世紀末における最大の神話の一つといってよい。たしかに金融がここまで自由化され、世界中のメディアが情報を探し求めているとき、エコノミストやその仲間であるアナリストのコメントが需要されつづけるのは不思議なことではない。しかし、これだけは肝に銘じておこう。

昨日の予想がなぜ今日はずれたかを、明日説明できる者--これがエコノミストの正確な定義である。

エコノミストは、一国の経済動向や成長の原因を後から検証することはできる。しかし、何が景気回復や冨の拡大の引き金になるかを予測することは、彼らにとってもともと不可能なことである。
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イェスパー・コールさんの「エコノミストの定義」「エコノミストは将来を予測できるという思い込みは20世紀末における最大の神話の一つといってよい」いうメッセージは、私のエコノミストに対する認識を見事に表現して下さっています。翻って考えれば、私たち一般人の「経済の基礎知識」の形成に大きな役割を果たしているマスメディアは「エコノミストは将来を予測できる」という前提で日々、大量のフローの情報を流し続けていることになります。

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私たちが長年にわたって築き上げてきた「自然科学」や「社会科学」の現状が「21世紀の新しい社会づくり」の基礎知識として十分でなく、エコノミストがもともと将来を予測できない状況下では、私たちは賢明な政治的リーダーの下に、不十分ではありますが自然科学と社会科学の知識を総動員して 「現実の政治と政策」で現状を変え、未来に希望を見いだせる「エコロジカルに持続可能な社会」を創造することが「不安の解消」につながるはずです。 

とはいえ、日本の政治状況は日々のマスメディアを通じて私たちが十分認識しているとおり、混乱していますし、政治を支える官僚組織は見事なまでの縦割り組織で、システマティックな対応がまったくできません。
 
ですから、私は「日本の将来像」を議論するときに、国際的に見ても総合的に高い評価を与えられている「スウェーデン」が考えている「21世紀社会の方向性」を十分に検証し、その考え方に合理性があると判断される場合には、 「スウェーデンの考え」を日本の現状から出発して希望が持てる日本の未来を創造する助けとすべきだと思うのです。

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