海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

初の北回りで今まで最多の砂利搬入。

2016-08-23 21:24:00 | 米軍・自衛隊・基地問題

 23日は早朝から作業員の車に対する抗議を行ったが、午前5時前には作業員は動き出しており、5台の車両がいったんメインゲートに入って作業員を降ろすと、南側に向かったうち3台は西海岸を再北上して安波ダムの駐車場に移動し待機していた。メインゲートの作業員は別の車両に乗り換えて人目をごまかし、N1の工事現場に入った。

 高江橋では前日に続き、砂利を積んだダンプカーの車列を止めるために、抗議する市民が集会を開き、車を並べてダンプカーを待ち構えた。機動隊に力づくで引きはがされ、指を負傷した辺野古の島袋さんも元気に姿を見せたが、厚く巻かれた包帯が痛々しかった。

 前日は橋の上に止めた車をどかすのに手間取り、ダンプカー10台の砂利はN1に搬入したものの、メインゲート内に下した20トントレーラー2台分の砂利は搬入することができなかった。沖縄防衛局と警察、北勝建設は前日とは搬入方法を変え、通勤時間帯を避けたうえで再び護送船団方式で国場組の採石場を出発し、初めて北回りのコースを取り県道2号線を通ってN1表ゲートにやってきた。

 私は観光客を装った私服警察の偵察車を追って安波ダムに行ったのだが、途中でN1に向かう警視庁機動隊のバスとすれ違い、さらに沖縄県警機動隊のバスもN1に向かっていった。直後にダンプカーの車列が北回りで出発したという連絡が入った。こちらの態勢、動きを読んだうえで、裏をかく形で車列が向かってきた。

 高江橋で待機していたメンバーは、機動隊の規制で車を北上できず、徒歩で安波方面に向かい、途中でやってきたダンプカーの車列に抗議した。私は車で抗議したのだが、最後はパトカーに止められてダンプカーがそばを通るのを見送らざるを得なかった。そのあと車を降りてN1表ゲート近くで抗議したが、大阪府警の機動隊にガードレールに押さえつけられた。

 23日は前日搬入し残したトレーラー車の砂利と、この日に新たにメインゲートに運び込まれたトレーラー車の砂利を加え、10台分の砂利が再びやってきたダンプカーで搬入された。1日ではこれまでで最も多い20台分の砂利が搬入された。北回りのコースを取ったのは、一度砂利を降ろしたダンプカーがメインゲートで再度砂利を積み込むための方策でもあった。

 最初の10台分が搬入された時点で、大半のメンバーはN1裏の方に引き揚げてしまっていた。N1表ゲートの動きを見てまだ車が来ると思い、残っていたメンバーに呼びかけて警戒に当たったのだが、10人ぐらいしかいなくて大阪府警の弾圧に抑え込まれた。

 応援に来ようとしたメンバーは警察の規制によってN1表ゲートまで来ることができなかった。23日は沖縄防衛局と警察、北勝建設にうまくしてやられたが、一方で相手のいろいろな動きを見ることができた。

 日本政府が莫大な資金と警察・機動隊という暴力装置を使って工事を進めるのだから、それを阻止するのが難しいのは承知の上だ。相手の動き、やり方を分析して、より有効な抗議方法を考えていくしかない。連日、夜も明けないうちからの行動が続く。


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