海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

クレーン付き台船の移動とオイルフェンス設置阻止行動

2016-02-16 22:22:41 | 米軍・自衛隊・基地問題

 16日は瀬嵩の浜からカヌー9艇で出発した。ほかに辺野古のほうで4艇が初心者練習。沖縄も冷え込みが厳しく、濡れた手足の先がかじかんだ。寒さをこらえるには、カヌーを漕ぎ続けるのが一番いい。

 辺野古弾薬庫下のフロート近くまで行き、コンクリートブロックを積んだ台船の様子を見た。まだ動く気配はなく、国と沖縄県が争っている代執行訴訟の影響があるのだろうか。裁判所が和解案を出す中で、ブロック投下を強行すればマイナスが大きい、という判断が働いているのか。

 米軍のビーチではオイルフェンスが浜に並べられ、タグボートで引っ張って長島近くから航路方向に設置したり、海底ボーリング調査を行う海域を囲う形で設置作業行っていた。破損したオイルフェンスを新品に替えることも同時に行われている。

 福島県から抗議に来た皆さんを含めて、フロート沿いに並んで監視と抗議活動を行った。

 そのあと緑のクレーン付き台船(第八十八福丸)が元の掘削地点に向かって動き出したので、カヌーチームも抗議船に乗り込んで長島側に移動した。

 第八十八福丸は、この日は移動しただけで、海底ボーリング調査は行わなかった。前日まで海にあったというガイドパイプがなくなっており、その地点には目印らしいフロートが浮かんでいた。

 作業船がオイルフェンスを運んできて、スパッド台船のそばから長島の岸壁そばまで伸ばし、ボーリング調査地点を完全に囲おうとした。カヌーチームがオイルフェンスをつなぐ地点で待ちかまえていたので、作業船は近づくことができず、設置作業を中断して引き上げていった。

 カヌーチームがいなくなれば、作業船が戻ってきて設置するのは分かり切っていたので、その場に待機し持久戦となった。寒さが厳しい中、午後4時過ぎまで粘り、作業船が姿を見せなかったので、瀬嵩の浜に戻った。

 カヌーチームの取り組みは、こういう地味で忍耐のいる活動が多い。ニュースやドキュメンタリー映画では派手な場面が並ぶが、それは何分の一もない。だが、海保とぶつからなくても、6時間以上カヌーに乗り続けるだけでもきつい。それを毎日続けることが成果を生むのだ。


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