海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』を読む 2

2009-05-11 23:55:00 | 「集団自決」(強制集団死)
 秦氏は本書のあとがきで、次のようにも記している。

 〈集団自決問題の全容を解明するための第一次的資料や情報は、まだ十分に出そろってるとは言いにくい。軍・官の公文書の多くが戦火で失われた。戦後の諸情報は、沖縄の政情や援護法適用とのからみもあり、厳格な資料批判に耐えられぬものが少なくない〉(329~330ページ)。

 これまで明らかにされてきた「集団自決」に関連する資料や証言を〈戦後の諸情報〉と一括りにし、それが〈沖縄の政情や援護法適用とのからみ〉で、あたかも信用性に乏しいかのように描き出している。しかし、秦氏は自らのいう〈戦後の諸情報〉を本書でどれだけ検証しているだろうか。戦史研究者という肩書きで政治的な印象操作を行っているだけではないか。さらに、当の秦氏はどれだけの〈厳格な資料批判〉を行って本書を編み、執筆しているのだろうか。
 本書の第七章として秦氏は、自ら執筆した〈集団自決問題の真実ー同調圧力に屈した裁判所〉という一文を載せている。その中で、照屋昇雄氏の「手記」に言及し、「集団自決」の隊長命令は〈援護法適用とのからみ〉で作り出されたもの、という論を展開している。
 照屋昇雄氏は元琉球政府社会援護課の職員で、「集団自決」の赤松隊長命令説は渡嘉敷島住民に援護法を適用するために作り出されたと証言し、原告側はそれを裁判所に提出した。大江・岩波沖縄戦裁判の一審、二審では、それに対しどのような判断が下されたのか。以下に、二審の判決文から引用する。

 〈梅澤命令説及び赤松命令説は、沖縄において援護法の適用が意識される以前から具体的な内容をともなって存在していたことが認められるから、援護法適用のために捏造されたものであるとする主張は採用できない〉(188ページ)

 〈…戦闘に協力した住民を広く準軍属として処遇することになっていたのであるから、梅澤命令説及び赤松命令説を後日になってあえて捏造する必要があったとはにわかに考え難い〉(188ページ)

 〈照屋昇雄の話は、訴訟の係属中に発表されたものでありながら反対尋問を経ていないこと、内容的にも、その年代や、伝聞なのか実体験なのか、捏造したという軍命令の内容や、戦後10年以上後に捏造したような命令書が厚生省内で通用した経緯など、あいまいな点が多く、他方、赤松大尉の家族や関係者に対する裏付け調査や信用性に関する吟味もないままに新聞・雑誌・テレビ等向けの話題性だけが先行して(この点は後に見る宮平秀幸新証言とも共通する。)その後の裏付け調査がなされた形跡もないことなど、問題が極めて多いものといわざるを得ない〉(193~194ページ)

 〈以上の次第で、援護法適用のために赤松命令説を作り上げたという照屋昇雄の話は全く信用できず、これに追随し、喧伝するにすぎない前掲の産経新聞の記事(甲B35)や「日本文化チャンネル桜」取材班の報告(甲B38)も信用できない〉(194ページ)。

 一審・二審の判決では、隊長命令は〈援護法適用のために捏造された〉とする「照屋昇雄供述」は、完全に否定されているのである。秦氏は第七章を執筆するにあたって、このような一審、二審の判決文を踏まえた上で、「照屋昇雄供述」を〈厳格な資料批判に耐えられ〉るものと判断したのだろうか。だとしたら、秦氏は照屋氏の供述に対する一審・二審の判断が誤りであり、照屋証言は真実であると証明しなければならない。しかし、第七章で秦氏は、一審・二審における「照屋昇雄供述」への判断を具体的に検討し、批判することなく、ただ、二審の〈小田判決〉の結論を二行引用して終わりなのだ。
 秦氏がそうやって援護法をめぐる一審・二審の判断への反論を回避した理由は、結局のところ、それを論破できなかったということだろう。「集団自決」の隊長命令が援護法適用のために捏造されたものであるという主張は、照屋昇雄氏を担ぎ出して原告側が主張したことであり、主要な論点の一つとして裁判で議論されたことだ。その結果として下された判決文に反論することなく、素知らぬ顔で援護法問題や照屋昇雄証言をあらためて秦氏が持ちだしていることに呆れはてる。
 裁判と歴史研究は別のもの、と秦氏は言い逃れするかもしれない。しかし、秦氏は原告側の支援者として裁判に深く関わっていたのだ。大江・岩波沖縄戦裁判は、原告側・被告側双方から「集団自決」(強制集団死)に関する膨大な資料と証言が提出され、歴史研究者も支援者として関わりながら議論が展開された。秦氏もその当事者の一人だ。一審・二審の判決文を読めば分かるように裁判官たちも、資料・証言の緻密な検証を行った上で証拠として採用・不採用を決め、判決を下している。「照屋昇雄供述」をめぐる一審・二審の判断が誤りだというなら、それを具体的に明らかにするのは、裁判で原告側を支援してきた戦史研究者の最低限の務めではないか。
 秦氏は戦史研究者として弁護団にアドバイスも行ったであろうし、資料検証の手助けも行ったのではないか。その結果としての敗訴なら、秦氏は専門家としての矜持にかけて、裁判で下された「照屋昇雄供述」への判断に具体的に反論すべきではないのか。それをやらずに何が今さら援護法問題であろうか。
 秦氏はもしかすると、一審・二審の判断を具体的に論じると、読者が判決文を読んでしまうと恐れているのだろうか。実際、判決文を読めば、今さら援護法の問題を持ち出す秦氏のごまかしがすぐに分かってしまう。判決文にはこういう分かりやすい指摘がある。

 〈援護法が交付された昭和27年4月30日より以前の昭和25年に発行された「鉄の暴風」に、控訴人梅澤及び赤松大尉が住民に自決命令を出した旨の記述があり、その内容が具体的に記述されていること〉(二審判決文188ページ)。

 援護法が交付される以前から、「集団自決」が隊長命令によるものということは、慶良間諸島で語られていた。だからこそ「鉄の暴風」にもそう書かれた。こういう明白な事実があるから裁判では〈照屋昇雄の話は全く信用できず〉と断じられたのだ。秦氏も当然そのことは知っているはずだ。秦氏は判決文のこの指摘にどう反論するのか。秦氏が判決文を回避して本書で援護法の問題を持ち出すのは、確信犯として歴史の偽造を行っていると見なされても仕方ないであろう。

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