海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

無礼者たち

2011-01-22 20:37:29 | 米軍・自衛隊・基地問題

 1月22日付琉球新報掲載〈佐藤優のウチナー評論〉で佐藤氏が、20日に東京帝国ホテルで行われた「菅直人内閣総理大臣年頭外交演説会」について書いている。「普天間問題」に関する菅首相の発言を引用しながら〈菅首相には、この瞬間も東京の政治エリートが県民を構造的に差別し、傷つけているという認識が欠如している〉、〈日本全体のためには沖縄は東京の政治エリートの言うとおりの負担をしろということだ〉と批判し、沖縄に対して〈きわめて無礼な発言である〉とまで書いている。
 問題はその後で、佐藤氏は以下のように書いて評論をまとめている。

〈菅首相は他人の気持ちになって考えることが苦手なのであろう。それだから、この演説が沖縄人の傷口に塩を塗りつけるような行為だということに気づいていない。気づいていない人には気づかせなくてはならない。具体的にはどうすればよいのだろうか?現状で、筆者がもっとも期待しているのは前原誠司外相だ。母子家庭で苦労して育った前原氏は、他人の気持ち、特に弱い立場の人の気持になって考えることができる。それに前原外相は現実主義者だ。菅演説のラインで普天間問題を解決することが非現実的であるということを沖縄が一丸となって前原外相に礼儀正しく伝えることにより、菅政権の認識を変化させる方策を追求した方がいいと思う〉

 沖縄には「あーふらち」という言葉がある。今帰仁では「あーぷらち」になるが、口を「あ」の音を発するように大きく開けることだ。まったく佐藤氏の評論には「あーぷらち」するしかない。
 佐藤氏が前原外相に期待するのは勝手だが、一名護市民としては前原氏と聞いてすぐに思い出すのは、昨年5月と8月に、島袋前市長をはじめとした辺野古新基地建設「容認派」の中心人物たちを東京に呼んで密会を重ねていたことだ。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162387-storytopic-53.html

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-166535-storytopic-25.html

http://www.qab.co.jp/news/2010082520685.html

 去年の5月、8月といえば数ヶ月前のことで、まだ記憶に新しい。それもあって私には、前原氏が〈母子家庭で苦労して育ったこと〉を佐藤氏が強調するのは、読者に情緒的反応を起こさせて前原氏への批判意識を抑えようとしているように見える。しかし、琉球新報の読者もお人好しばかりではあるまい。佐藤氏の評論を読んで「くぬひゃーぬーかんげーとーが」と呆れた読者も多いだろう。
 佐藤氏の評論は22日付琉球新報の3面に載っているのだが、2面には次の記事も載っている。

〈前原外相 変更を主張/「思いやり予算」▼「接受国支援」
【東京】前原誠司外相は21日の会見で、在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)について「もはや『思いやり予算』という言葉は適当でない。今後は(英訳の)ホストネーションサポートという言い方をしたい」と述べた。ホストネーションサポートは直訳すると「接受国支援」となる。
 前原外相は「アメリカのプレゼンス(存在)は日本の安全保障のみならず、この地域の安定のための公共財として有用だ」と強調。「米軍が駐留し、ある程度の必要な経費を負担するということは、両国の国益に資する戦略的な判断だという観点から、思いやりという言葉はずれている」と述べた〉

 いかにも対米従属派らしい発言だが、こういう人物だからこそ菅内閣で外務大臣というポストを与えられているわけだ。そういう前原氏に対して〈沖縄が一丸となって〉〈礼儀正しく伝え〉れば、「普天間問題」に対する菅首相の考え方を変えさようと前原氏が努力するかのように佐藤氏は書いている。いったい、佐藤氏は本気でそう考えているのだろうか。
 島袋前市長らを東京に呼んで密談を交わす前原氏の姿は、〈他人の気持ち、特に弱い立場の人の気持ちになって考えることができる〉と佐藤氏が評価するのとは、まったく違ったものだ。「容認派」と組んで名護市政を内側から揺さぶろうとする策略家そのものであり、十数年にわたって苦しんできた名護市民の〈気持ち、特に弱い立場の人の気持ち〉を省みる気配もない。
 佐藤氏は同評論で次のようにも書いている。

〈沖縄は「守礼の邦」だ。これは礼儀を守る者に対しては、礼儀正しく接するということだ。裏返して言うならば、無礼者に対してはこの限りにあらずということだ〉

 はたして前原氏は〈礼儀を守る者〉だろうか。現職の稲嶺市長を無視して島袋前市長ら辺野古新基地建設「容認派」と密談を交わす行為は、現職の沖縄担当大臣(当時)として礼儀を失していたのではないか。名護市民、沖縄県民にとって前原氏は、菅首相並みかそれ以上の〈無礼者〉ではないのか。そういう前原氏へのはたらきかけを佐藤氏が訴えても、沖縄人は〈無礼者に対してはこの限りにあらず〉という反応しか示さないだろう。もとより、前原氏が佐藤氏の書くとおりに動くという幻想を抱く人もほとんどいないはずだ。

 


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3 コメント

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自殺遺児の気持ち (トサマ)
2011-01-22 21:20:53
僕も前原さんと同じく父親を自殺で亡くしています。
前原さんは一浪して京大入学。
松下政経塾出身。

苦労したものは、弱いものの気持ちがわかる傾向はあるかもしれないが、上昇志向も強いものです。「負けてたまるか、今に見てろ」の心情。

前原さんは基地被害に苦しむ方々に寄り添うよりは、総理の椅子に座ってやろうと思っているように見えます。
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京都新聞「凡語」記事紹介 (京の京太郎)
2011-01-23 10:50:58
2011年1月16日(日)、京都新聞「凡語」(一面下段の記事)欄に沖縄に関わる記事が掲載されましたので紹介します。

「凡語」

22年前に第1回京都自費出版コンクールで審査員奨励賞に選ばれた日高晴子さん(83)が、受賞作の歌集「炎の色」を再版した▼那覇で育ち、1944年秋の空襲で焼き出される。「米艦の基地となすべく抉(えぐ)られて海となりゐつ吾が家の跡は」。歌集には戦争の悲惨さや敗戦後、古里を訪れた際に詠んだ作品も多い▼70歳をすぎてから一時、短歌から遠ざかる。「再版など頭になかった」が昨年、米軍普天間飛行場の移転問題などへの沖縄県民の怒りや本土の人たちの無関心ぶりを目の当たりにして考えが変わった▼哲学者の鶴見俊輔さんは昨秋、「この戦争をはじめたのは日本だ。最後の地上戦は沖縄で戦われた。…その沖縄に米軍基地を押しつけて、戦争の対価を払わせる。…まず、この骨格を知ろう」と書いた▼ところで90年前の1~2月にかけ、日本の民俗学の土台を築いた柳田国男が沖縄を巡っている。見聞は名作「海南小記」に結実し、「日本の古い分家」としての南の列島を見いだすに至る。同時にこの旅は「常民」を主人公とする「一国民俗学」を唱えるきっかけになった、とされる▼自身は多様な姿も描いているが、「一国」という言葉の呪縛からか、柳田の存在の大きさ故か、その後、長い間「一つの日本の中の沖縄」像が独り歩きした感は否めない。まずは南の列島の歴史や文化を謙虚に学ぼう。日高さんの思いに応えるためにも。

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ブログ:日高晴子日記
http://blog.goo.ne.jp/harukohidaka888

(目取真さんのブログから勉強させていただいて、日高さん用に開設したブログです。千葉県のケアハウスで暮らしておられる日高さんから携帯電話のCメールで短歌をいただき、京都でブログにアップしています。)

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 前原氏の選出基盤の地元・京都においても、沖縄との関係を問い直そう、学び直そうという様々な動きが起こっています。
 今年も、微力でも、あせらず、あきらめず、やるべきことはやり続ける、また新たな一年としたいと思います。(京の京太郎)

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何故に佐藤氏は? (キー坊)
2011-01-24 11:59:24
 私はアーフラチ知らないのですが「開いた口が塞がらない」という意味でしょうか?新報とってないので佐藤氏の文章読んでないのですが、紹介されている通りの内容だとしたら、まさしくアーフラチですね。

 対米隷従の申し子ともいうべき前原誠司という政治家を、「他人の気持ち、特に弱い立場の人の気持になって考えることができる」人物なので期待せよと、沖縄の人間対して言うとは、佐藤氏は何かを意図して言っているのだろうか?と訝しいです。他人の気持ちが分る政治家であろうとなかろうと、前原氏はアメリカの指図通りに動くしかないと思います。
 5年前、民主党代表時に「偽メール事件」で、腹心の同僚議員をけし掛けて暴走させ、失脚させて、最後は破滅(自殺)にまで追い込んでいます。こんな人物が、他人の気持ちがわかる政治家であるかどうかも、はなはだ疑問です。
 佐藤氏は今回の発言の責任を追及されなくてはなりません。
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