海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「復帰」直後の沖縄の声

2011-10-30 19:52:50 | 米軍・自衛隊・基地問題

 1972年5月15日に沖縄の施政権が返還されてから来年は40年を迎える。辺野古新基地建設に向けて、日本政府は年内に環境アセスメントの評価書を沖縄県に提出し、来年6月を目途に埋め立てを申請する方針を打ち出している。
 日本政府がスケジュール通りに進めるなら、5・15平和行進が行われる5月中旬から沖縄戦慰霊の日がある6月にかけて、日本政府と沖縄の間で緊迫した状況が作り出される。6月には県議会議員選挙もあり、「日本復帰」40年を迎える来年は沖縄にとって、日米両政府の沖縄統治のあり方を根本から問う、まさに大きな節目となるはずだ。
 施政権返還直後の沖縄を撮ったニュース映像がユーチューブにアップされている。

http://www.youtube.com/watch?v=WGP4_hKfsjg&feature=related

 当時私は小学校6年生だった。映像の中でマチヤグヮーで買い物をしている子どもたちの姿に、1960年代の自分の姿が重なって見える。ドルから円への切り替えは、子どもたちにとっても「復帰」による変化を実感させた。
 「復帰」後、沖縄は大きく変わった。だが、米軍基地だけは変わらない。
 5月になると沖縄ではよく耳にし、目にする物言いだ。沖縄の過重な基地負担を軽減すると政府は言う。「日本復帰」から39年が経っても、いまだに「負担軽減」という言葉が使われること自体が異常なのだ。本来なら、大規模な基地の返還がとっくに行われているべきだった。今、政府が唱える「負担軽減」にしても、実態は沖縄内部での基地のたらい回しでしかない。
 映像の中で高校1年生の少女が言っている。

 私、ほんとは、日本もアメリカも大嫌いです。沖縄人の心が分かるのは、ここに住んでいる沖縄人だけだと思います。

 その言葉に共感を覚える沖縄人は今でも沢山いるだろう。彼女にその言葉を口にさせている日本と米国の沖縄に対する姿勢は変わらないままだ。自民党政権から細川連立政権、自社さ連立政権、自公政権、民主・国民新政権と変わっても、米国への隷従と沖縄に米軍基地の加重負担を強いることに変わりはなかった。

 KEYSTONE OF THE PACIFIC オキナワ。その険しい道はなおも続く。

 映像はそう締めくくられている。まるで他人事のようだが、沖縄に険しい道を歩ませているのは誰か。「本土決戦」の時間稼ぎのために沖縄を捨て石にし、米軍の占領下で基地が建設されると、昭和天皇のメッセージやサンフランシスコ平和条約で沖縄を切り捨て、「本土」で反基地運動が高まると沖縄に基地を移し、米軍の好き勝手にやらせる。沖縄の険しい道とは、日本政府とそれを支持し、あるいは無関心を装った日本人の多数意思によって作られたものだ。それが曖昧にされてはならない。
 鳩山首相が「最低でも県外」と言ったのは沖縄県民の「期待値」を高める誤りだった。野田内閣の閣僚がそうほざいている。民主党ばかりではなく、自民党にも同じことを口にしている議員がいる。沖縄に険しい道を歩ませて平然としている連中である。彼らの支持を受けて野田政権が環境アセスメントの評価書提出、埋め立て申請へと踏み込むとき、1972年に発せられた高校生の声は、沖縄で深く共感を広げていくだろう。それは日米両政府に対して強い抵抗を生み出す力の一つとなるはずだ。

 


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