海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「ある教科書検定の背景」 2

2010-01-15 18:37:18 | 「集団自決」(強制集団死)
【障害となる沖縄戦の記憶】
 だが、米軍再編と連動した沖縄の自衛隊強化が、全て円滑に進んでいるかというとそうではない。宮古島の下地島空港の軍事利用については、地元に強い反対の声がある。下地島には民間専用のパイロット訓練施設として三〇〇〇メートルの滑走路がある。島の位置や滑走路の規模からして、自衛隊だけでなく米軍もその軍事利用を望んでおり、それに呼応した一部議員の画策によって二〇〇五年三月には、当時の伊良部町議会で自衛隊誘致決議が上げられたこともあった。しかし、伊良部町民の反対運動は激しく、住民説明会で議員たちは厳しい追及を受け、議会決議は撤回された。
 他にも注目すべきこととして、国民保護計画の策定が、国が目標としていた今年三月末時点で、沖縄県内では三割の自治体しか策定されていないことがある。これは全国の九割に比べると極端に少ない。宮古島市や石垣市、多良間村、竹富町、与那国町などは軒並み未策定であり、石垣市にいたっては計画の前提となる条例の制定もなされていない(沖縄タイムス二〇〇七年五月一日付朝刊)。中国との有事=戦争を想定して島嶼防衛の強化を図っている政府・防衛省・自衛隊にとって、このような状況がゆゆしきことであるのは言うまでもないだろう。
 ここにおいて問題となるのが沖縄戦の記憶である。沖縄島のような大規模な地上戦がなかったとはいえ、宮古島や石垣島、その周辺離島の人たちも空襲や艦砲射撃、飢えやマラリアによって多くの犠牲者を出している。石垣島においては日本軍によって住民がマラリアの猖獗地に強制移住させられ、三六〇〇名余が亡くなっている。特に波照間島では残地諜者として島に入り込んでいた陸軍中野学校出身の山下虎雄と名のる日本兵が住民を脅迫し、西表島南風見に強制移住させたことで多くの犠牲者を生んだ。その記憶は今も島民に強く刻まれている。沖縄島における「集団自決」や住民虐殺の記憶も共有されているし、いったん有事=戦争になれば、狭い島の中では逃げ場所もなく、多くの犠牲者が出ることを住民は身をもって知っているのである。
 離島地域では急患移送で自衛隊に助けられることも多い。その限りでは自衛隊に感謝しているであろうし、与那国島のように艦船が寄港して隊員が買い物をすることを喜ぶ島民の声もある。しかし、自衛隊が軍隊としての素顔を見せるとき、住民の警戒感は一気に高まる。自衛隊の後ろに旧日本軍の亡霊はいまだつきまとっているし、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓は、県民の中に広く浸透している。

【沖縄戦の記憶の暗殺】
 一九七二年の施政権返還によって自衛隊が沖縄に配備されてから三五年になる。この間自衛隊は軍隊としての素顔を隠し、宣撫工作を重ねることで県民の中に浸透することを追求してきた。その一定の成果を踏まえ、米軍再編の中で対中国を想定した南西領土防衛を前面に打ち出し、沖縄を米軍の拠点としてだけでなく、自衛隊の拠点にもしようとしている。そこで大きな障害となっているのが、旧日本軍の県民に対する蛮行により生み出された反軍感情であり、戦争、基地への否定感を生み出す沖縄戦の記憶なのである。
 沖縄戦がそうであったように近代戦は総力戦である。住民が積極的に協力しなければ自衛隊の戦闘にも支障が生じる。沖縄戦の記憶をいかに「修正」し、県民の自衛隊への協力態勢を作り出していくか。七二年から追求されてきたが、いまだ十分になしえていない壁を突破していくことが政府・防衛省・自衛隊の課題として浮上している。そのためには自衛隊の宣撫工作だけでは限界があり、側面からの支援が必要となる。ここでこの二、三年に沖縄戦に関わって起こった次のような出来事に注目したい。
①二〇〇四年一月二三~二六日、天皇夫妻が国立劇場沖縄の開館にあわせて来沖し、初めて宮古島と石垣島を訪問する。
②二〇〇五年五月二〇~二二日、藤岡信勝拓殖大学教授をはじめとした自由主義史観研究会のメンバーが、渡嘉敷島、座間味島で現地調査を行う。
③二〇〇五年六月四日、自由主義史観研究会が東京で集会を開き、「集団自決強要」の記述を教科書から削除するよう文部科学省に指導を求め、さらに教科書会社や出版社に記述の削除を要求する決議を上げる。藤岡信勝代表は〈この集会を起点にすべての教科書、出版物、子ども向け漫画をしらみつぶしに調査し、一つ一つ出版社に要求し、あらゆる手段で嘘をなくす〉と発言。(沖縄タイムス二〇〇五年六月一四日付朝刊)
④二〇〇五年八月五日、旧日本軍の梅澤裕・元少佐と故赤松嘉次・元大尉の弟が、岩波書店と大江健三郎氏を大阪地裁に提訴。 
⑤二〇〇五年八月一四日、「小林よしのり沖縄講演会」が開かれる。
⑥二〇〇六年五月二七日、曾野綾子著『ある神話の背景』が『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 日本軍の住民虐殺命令はなかった!』(WAC)と題名を変えて再出版される。
⑦二〇〇七年三月三〇日、高校教科書の検定結果が公表される。文部科学省が「集団自決」は軍の命令や強制であったという記述に意見をつけ、それらの記述が削除、「修正」されることにより、「集団自決」への軍の関与が曖昧にされる。
 在日米軍再編の議論が本格化し、「抑止力の維持」が打ち出されて沖縄における自衛隊の強化が進んでいく一方で、これらの出来事は起こっていった。これは偶然ではない。個々の出来事はそれぞれの団体や個人の考えで行われているように見えても、その底流に流れている意志は共通している。それは沖縄戦の記憶と歴史認識を「修正」すること、つまり旧日本軍の沖縄住民への蛮行=否定的側面を隠蔽する一方で、住民の犠牲を国家のために身命を捧げたものとして賛美し(殉国美談化)、軍隊への否定感を取り除くことによって沖縄における自衛隊の強化を側面から支援していくというものである。
 ①は沖縄戦に直接は関係ないように見える。しかし、二〇〇四年の一月下旬という時期は、自衛隊のイラク派兵を前にして、日本への「テロ攻撃」の可能性がいわれた緊迫した状況にあった。そういう中で警護の難しい宮古島・石垣島をわざわざ訪問した意味は何だったのか。一つにはイラク派兵によって戦時下に入ろうとしている日本の領土の境界を訪れる国見としての象徴的意味があっただろう。同時に天皇の軍隊としての旧日本軍がもたらした悪しき記憶を慰撫し、南西領土防衛のために宮古島や石垣島を拠点化しようとしている自衛隊を先導する意味を持っていたのではないか。
 そして、②から⑦に関しては、沖縄戦の記憶と歴史認識を「修正」するために渡嘉敷島と座間味島で起こった「集団自決」の軍命の問題を標的にしている(⑤の小林講演会では直接は言及されていないが、「集団自決」に対する軍命の否定は、小林もこの間主張してきた)。
 注目すべきは②から⑦の連関である。②の現地調査をふまえた③の集会における決議と藤岡代表の発言をみれば、④の提訴とのつながりを考えざるを得ない。実際、④の裁判で原告となっている梅澤氏や赤松氏の家族を支援している人達のなかには、自由主義史観研究会と関係のある人も多い。そして⑦の教科書検定で、文部科学省が「集団自決」への軍の命令や強制について記述変更を求めた理由として挙げたのが、④の裁判において原告の元隊長が軍命を否定する意見陳述を行っているということであり、「集団自決」をめぐる学説状況の変化である。文部科学省が学説状況把握の参考にした「集団自決」に関する著作物の中には、⑥で再発行された曾野綾子著『ある神話の背景』も挙げられている。

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