海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

沖縄戦慰霊の日

2016-06-23 23:55:41 | 米軍・自衛隊・基地問題

 6月23日は沖縄戦慰霊の日で、午前中、八重岳にある三中学徒之碑を訪ねて手を合わせた。昨年、沖縄戦から70年を迎え、元学徒の皆さんも80代後半となり、この場所での慰霊祭は最後となった。それでも、実際に先頭が行われた八重岳・真部山を前にした碑に対して強い思いを抱いている元学徒の皆さんもいる。

 元学徒の一人は、碑の建立には元副知事だった宮里松正さんの力が大きかったと言い、彼が生きていたら…、と話していた。兄を亡くした、という妹の方が家族と来ていて、碑に花束や酒をささげ、まだ酒は飲んでなかったはずね、と話しながら打ち紙を焼いていた。

 安倍首相の来沖に抗議するために、摩文仁にも行きたかったのだが、71年目に誰がこの碑を訪ねるのだろうか、と考えると、こちらを優先せざるを得なかった。遠くに伊江島を眺め、セミの声を聴き、野ボタンの花を眺めながら、元学徒の方が話す71年前のことに耳を傾けた。

 三中学徒之碑の近くには、国頭支隊本部壕・野戦病院跡がある。そこも訪ねて酒やお茶を供え、線香をあげて手を合わせた。ヤンバルの戦闘は4月の中旬には本格的な戦闘が終わるのだが、この地に置き去りにされ、自ら命を絶った傷病兵たちの無念を忘れてはならない。同時に、敗残兵となった友軍による住民虐殺についても。軍隊は住民を守らない。そして、下っ端の兵士も守りはしない。

 八重岳ではコノハチョウが舞い、フタオチョウの亡骸が地に落ちていた。貴重な蝶なので捕獲しないように。

 きしもと食堂で昼食を取ってから名護市に戻り、午後2時から名護高校内で開かれた南燈同窓会の慰霊祭に参加した。三中、三高女の後輩たちが受け継ぐ形で慰霊祭が続けられるのは理想的な形なのだろう。同窓会長のあいさつでは、辺野古新基地建設や先島への自衛隊配備、安保法制に対しても明確に反対の意思を示していた。

 続けて午後3時から開かれた少年護郷隊之碑の慰霊祭に参加した。第三遊撃隊として陸軍中野学校出身の将校たちの指揮下で戦闘に参加した少年たちも80代後半から90代になっている。大半の方はすでに亡くなり、4名の方が参加していた。また、来年も顔を見せてほしいと切に思う。

 最後に名護岳にある和球の碑を訪ねて酒とお茶を供え、手を合わせた。沖縄戦から60年を最後にこの日で慰霊祭は開かれなくなった。宇土部隊の兵士たちで存命の方に話を聞きたいと思いつつ、高江や辺野古の抗議行動に追われて時間が過ぎた。

 テレビで映るのはだいたい決まっているのだが、沖縄の各地域で何十、何百という慰霊祭が開かれている。訪れる人のいなくなった碑でも、これまでどれだけの祈りが捧げられてきたことか。足腰が弱り、行きたくても行けない人たちの祈りが、今でもどれだけそこに届けられていることか。

 

 

 


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