海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』を読む 3

2009-05-19 21:28:21 | 「集団自決」(強制集団死)
 本書の第七章「集団自決問題の真実」で秦氏は、照屋昇雄氏の手記や証言に関して次のように記している。

 〈昭和二九年(一九五四)から琉球政府援護課に勤務した照屋昇雄の手記(巻末の付属資料参照)や証言によると、渡嘉敷島の自決事情を調査したが、軍命令とする住民は一人もいなかった。そこで玉井喜八村長と相談して自決者への法適用には困難があるので、赤松隊長に「自決命令書」を書いてもらうことになった。そして村長が兵庫県加古川市に住む赤松を訪ね、署名捺印をもらって厚生省に提出した。照屋は汚名を甘受した赤松隊長を、「神様のような方」と書いている〉(二六三~二六四ページ)。

 この赤松隊長が援護法適用のために「自決命令書」書いたという話は、照屋昇雄証言で最も重要な部分である。大江・岩波沖縄戦裁判で、照屋証言を裏付けるものとして、赤松隊長の署名捺印の入った「自決命令書」の実物かその写し、あるいはその実在を証明するものが裁判所に提出されていたら、照屋証言の真実性は高まったはずだ。しかし、原告側はそれを提出できなかった。それも当然で、被告側代理人の近藤卓史弁護士が厚生労働省に問い合わせたところ、そのような「自決命令書」は存在しないとの返答だったのである。二審判決文にはこうある。

 〈本訴の被控訴人ら代理人である近藤卓史弁護士は、平成18年12月27日付け行政文書開示請求書により、厚生労働大臣に対し、前記産経新聞に掲載された「沖縄県渡嘉敷村の集団自決について、戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するために、照屋昇雄氏らが作成して厚生省に提出したとする故赤松嘉次元大尉が自決を命じたとする書類」の開示を求めたが、厚生労働大臣は、平成19年1月24日付け行政文書不開示決定通知書で「開示請求に係る文書はこれを保有していないため不開示とした。」との理由で、当該文書の不開示の通知をしたことが認められる。……なお、控訴人らは、当審で、書類の保存期間満了による廃棄等の可能性や、沖縄本土復帰の時に沖縄側に引き渡されたなどと主張し、正論20年6月号の論考(甲B107)を提出するが、所管庁への調査嘱託や引渡しの法令上の根拠、事務取扱規程等の裏付けも全くない話であり、採用できない〉(193ページ)。

 つまり、照屋証言は本人がそう言っているだけのことであり、「自決命令書」について厚生労働大臣は〈これを保有していない〉として〈不開示とした〉のである。控訴人らが主張した〈廃棄等の可能性〉や〈沖縄本土復帰〉時の沖縄側への引渡しについても、法令等の裏付けがないとして〈採用できない〉としている。玉井元村長も故人となっている今、照屋証言の真実性を裏付けるものは何もないのだ。いや、むしろ、厚生労働省にあるべき「自決命令書」がないのだから、照屋証言は宮平秀幸証言と同じく「虚言」と断じられても仕方ないであろう。
 二審判決文ではまた、生前の赤松元大尉が雑誌『潮』の手記で、自決命令は住民の誤解だった、と主張していることをあげて、援護法のために「自決命令書」を書いたとする照屋証言との矛盾を指摘している。実際、赤松元大尉が戦後一貫して行ってきたのは、「集団自決」に対する自らの命令の否定であり、援護法のために「自決命令書」を書いたとする照屋証言とはまったく逆の行為だったのである。そのような赤松元大尉の言動からしても、照屋証言は「虚言」としか思えない代物なのだ。
 さらに、二審判決文は、赤松元大尉の娘や控訴人である弟の赤松秀一氏が、生前に赤松元大尉から照屋氏の言う「自決命令書」について聞かされていなかったこと。また、二人が照屋証言を知って以降に書いた陳述書や本人審尋にも、同「自決命令書」のことがまったく出てこないことなどを指摘し、次のように述べている。

 〈照屋昇雄の話は、身近にいた者たちとしてみれば、あまりにも荒唐無稽なあり得ない話として、明らかに黙殺されているものと理解される。また、昭和55年に死亡した赤松大尉が、余命が3ヶ月しかないと告げて村長に村史から自決命令の削除を求めて何度も電話をしたのであれば、そのことを、家族が知らないなどということもあり得ない〉(192ページ)。

 〈身近にいた者〉とは故赤松大尉の家族であり、陳述書を提出した娘や控訴人・秀一氏のことだ。この二審判決文に対して、当の娘や秀一氏が反論したということは聞かない。それは二人にとって照屋証言が、〈あまりにも荒唐無稽なあり得ない話〉であり、判決文がいう〈明らかに黙殺されているものと理解される〉という指摘を二人が肯定しているからであろう。
 秦氏が持ちだしている照屋昇雄証言とは、しょせんその程度のものなのである。このような二審判決文における照屋証言への判断には一切触れることなく、秦氏は照屋証言があたかも事実であるかのように扱い、先に引用した文章を書いているのである。いったい秦氏は戦史研究者として、照屋証言にどのような〈厳格な資料批判〉を行ったのか。二審判決以後、独自に調査して故赤松大尉の署名、押印がされた「自決命令書」の所在を確認したとでもいうのか。原告側を支援してきた秦氏なら、故赤松大尉の家族に話を聞くことも可能だろう。故赤松大尉の娘や秀一氏に「自決命令書」について見解を確認したのか。本書を読む限り、そういうことをした形跡はない。
 つまり、照屋証言について二審判決文を覆し、その真実性を証明する根拠は何一つ示さず、戦史研究者としてやるべき〈厳格な資料批判〉を行うこともなく、秦氏は素知らぬ顔で照屋証言を持ちだしているのだ。故赤松大尉の家族すら〈あまりにも荒唐無稽なあり得ない話〉として〈黙殺〉している照屋証言を、あたかも事実であるかのように平然と書く秦氏は、もはや歴史研究者として失格であろう。

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7 コメント

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Unknown (ni0615)
2009-05-20 15:07:15
目取真さん
こんにちは
>〈身近にいた者〉とは故赤松大尉の家族であり、陳述書を提出した娘や控訴人・秀一氏のことだ。この二審判決文に対して、当の娘や秀一氏が反論したということは聞かない。それは二人にとって照屋証言が、〈あまりにも荒唐無稽なあり得ない話〉であり、判決文がいう〈明らかに黙殺されているものと理解される〉という指摘を二人が肯定しているからであろう。

それは、チャンネル桜のビデオが裏打ちしていました。拙ブログ
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/397887/
(動画は削除されてしまいましたが)
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お礼 (目取真)
2009-05-20 17:08:10
ni0615さん、情報提供有難うございました。
すでにチャンネル桜が故赤松大尉の家族の見解を報道していたことは知りませんでした。
常識的に考えても、これだけ重要な事実があったのなら、家族に話さないことは考えられません。
チャンネル桜もさすがに、家族の見解は無視できなかったのでしょう。
そういう経緯を秦郁彦氏が知らないとは思えませんから、確信犯として照屋証言を持ちだし、歴史の偽造をやっているのでしょう。
秦氏といい、藤岡氏といい、つくづく卑劣な人たちだと思います。
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事実の可能性 (キー坊)
2009-05-21 10:36:15
お二人の考えに逆らう事になりますが、照屋昇雄氏の証言が事実である可能性が、無いとは言えないと私は思っています。
もちろん、作る会などに買収された照屋氏を擁護しようという気は毛頭有りません。

一つは、厚生省は当時、座間味でも条件として「隊長命令」を要求していたようです。渡嘉敷の「隊長命令」も捏造を承知の上で、要求しても不思議は無い事だったと推測します。
だが、今となっては、それを認める事はお役所にとっては、とんでもなく不名誉なことで、否定する以外の態度は取れないでしょう。

二つに、遺族にとっても、父親であり長兄である嘉次氏本人が「捏造」に加担していたと認める事はこれまた、とんでもなく不名誉な事であり、沖縄側が勝手に「命令文書」を捏造した事にしたいのではないか、という憶測は可能だと思います。
だから、弁護人は照屋氏を承認として申請できなかったのだと思います。
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「推測」「憶測」 (目取真)
2009-05-21 14:44:28
キー坊さんの「推測」や「憶測」についてですが、裁判も歴史の検証も、「推測」や「憶測」を言い始めたら、いくらでも言えるのではないでしょうか。
「自決命令書」は本当は存在するが、それを認めるとお役所にとって不名誉だから隠している、と言ってしまえば、もはや論理も実証もありません。
故赤松隊長の家族の心理も、いくら「憶測」しても仕方がありません。
父や兄が「集団自決」を命じたという不名誉を晴らそうとしている裁判で、勝つか負けるかの瀬戸際にあるのに、家族が嘘をついてまで「命令文書」のことを隠すでしょうか。
今回の裁判で考えなければならないのは、「憶測」や「推測」、あるいは「思いこみ」などでいくら自説を展開しても、裁判のように第三者の目による厳しい検証には耐えられないということです。
原告側が一審・二審で敗訴した一番の理由もそこにあります。



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憶測の理由 (キー坊)
2009-05-21 23:45:27
目取真さん、コメントをどうも。
私は、照屋証言が事実である可能性あると推測はしてますが、厚生省や赤松遺族が否定してくれたことは、裁判の行方には良かったと思っています。
明確な「隊長命令」を記述した「鉄の暴風」と沖縄タイムスを訴えないで、これを引用して不明瞭な表現で「隊長命令」を書いた「沖縄ノート」と大江・岩波を訴えたこの裁判は、所詮は歪曲派による謀略裁判だと思うからです。常識的感覚の裁判官なら誰でも、何故?と疑問を持つと思います。

私が、照屋証言は事実かもしれないと思った訳は、1970年3月に赤松氏と元隊員が沖縄を訪ねた時、記者会見で、赤松氏と同席した連下元隊員が「責任というが、もし本当の事を言ったら大変な事になるのですよ」と、高飛車な態度で言ったこと。
72年に石田郁夫氏が赤松氏を自宅に訪ねたときの質問で、何故慰霊祭に行ったのかと尋ねられて、赤松氏は「今まで私を悪役に仕立て上げてきたことを水に流してくれという、向こうの頼みで行った」と、不遜にも思える答え方をしていること。
そして、曽野綾子が「事実は神のみぞ知る。神でもない人間に他者を裁けない」などと、高所から見下ろすような言説で沖縄告発に乗り出してきたこと。

彼らにとっては「切り札」とも思える「自決命令の捏造」、私は、それが在ったと仮定した方が、以上のような連中の言説の裏(邪悪さ)が見える気がします。でも、私は自分の憶測をこの欄で「主張」したいのではない事をご理解いただきたい。曽野綾子以下の歴史歪曲勢力の狡猾さ、卑劣さを見る事ができるのではないかと思うだけです。
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Unknown (ni0615)
2009-05-23 13:06:31
1970年当時の、連下、赤松、曽野の高飛車は、「援護法関連での自決命令の捏造」といったことではなく、赤松隊に協力したものの最後に寝返った渡嘉敷村旧有力者たちへの「俺達以上の旧悪をばらすぞ」「玉砕現場での扇動はおまえ達がしたではないか」、という恫喝だと思います。

なぜそう思うかというと、1970年当時の赤松手記ニ編、さらには梅澤1986手記を読んでも、「援護法」の「え」の字もでてきません。

赤松、梅澤家のメンツというよりも、「母が遺したもの」と、玉井村長がなくなったこととで、照屋偽証言は発案されたのだと思います。

玉井村長の名誉を汚すから生前は黙っていた、という理屈は成り立つでしょうか? もしそうなら、原告連中は「死者になれば名誉を毀損して」憚らない、ということになります。

援護法適用への尽力、それ自体は両村行政の柱でしたから、そのための配慮は当然していたでしょう。それが、赤松や梅澤をそれほど悪くは思っていなかったであろう村当局者達の心の負担であったことは確かでしょうが。

それにしても照屋証言ビデオの中に、照屋も参加した東京の援護法資格審査委員会とやらに、茅誠司さんが出てきて「隊長命令があったことにしてくれ」と赤松に頼んだ、とのくだりに至ってはおっそれ入谷の鬼子母神というほかありません。
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争点・論点ずらし (目取真)
2009-05-23 15:39:14
照屋昇雄氏にしても、宮平秀幸氏にしても、梅澤裕氏にしても、「集団自決」に関わった大半の人が亡くなり、反論もできない今になって、好き勝手に言っているとしか見えません。
裁判官が「荒唐無稽」「虚言」「戦後つくられた記憶」という厳しい表現で彼らの証言を評価するのも、その証言のいい加減さに立腹しているのではないでしょうか。
だいたい、『鉄の暴風』は1950年8月に発刊されていて、援護法の問題が出る以前から「集団自決」の隊長命令が書かれているわけです。
それだけですでに、隊長命令が援護法適用のために作られたということが嘘なのは証明されています。
原告側が援護法を問題化しようとしているのは、争点・論点ずらしを狙っているのでしょう。
彼らが設定しようとしている土俵にのらず、援護法問題に争点・論点をずらし、援護金欲しさで「隊長命令」が作られたかのように描くまやかしを批判することが大切だと思います。
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