海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

暴力につぐ暴力で強行された高江の強制排除。

2016-07-23 00:37:25 | 米軍・自衛隊・基地問題

 21日は朝から高江に行った。県民大会は交通整理をしていたので内容を聴けなかったのだが、工事再開を目前にした緊迫の中で夜を明かした。

 ほとんど寝る間もなく警戒態勢を続け、22日早朝に始まった沖縄県警と全国動員の機動隊による暴力むき出しの弾圧にさらされながら、高江N1ゲート前に設置したテントや車両を守るために抵抗をつづけた。

https://www.youtube.com/watch?v=7rr8dI4P6xI&feature=youtu.be

 写真を見て分かるようにN1ゲートの前は北と南から攻めてきた機動隊に埋め尽くされる状況となった。ゲート前に何年も置いてきた街宣車の上で粘ったのだが、並べた車両が次々と撤去されていくのに、いろんな物を使ってできる限りの抗議をした。

 街宣車の上の市民を排除するために機動隊員が上ってきてからは、その対応に忙しくてカメラを手にする余裕などなかった。どうにか少しだけ映像を撮ったが、多くのメディアや個人が高江の暴力の実態を伝えている。

 まわりにいる人だれもが機動隊に殴られ、踏みつけられ、腕や手首、足をねじられ、首を絞められた人もいた。3人が救急車で運ばれていったが、まさに機動隊の暴力につぐ暴力によって高江の着陸帯建設工事は再開されたのだ。それが日本政府・安倍政権の沖縄に対する姿勢である。

https://www.youtube.com/watch?v=VQFBBxrlqfA&feature=youtu.be

 街宣車の上で、市民を引きずり降ろそうとする機動隊員と激しくやりあったのだが、現場のリーダーである山城さんの方から、このままではけが人が続出するので降りよう、という提案があり、残念ながら車体と腰を結んでつないであったロープをほどいた。

 

 街宣車を下りたあと、森の中を抜けて機動隊のいない所から県道に出た。レッカー車の移動を止めようとしたのだが、一人ではどうしようもなかった。しかし、こんなことでめげてはいられない。あきらめたら終りなのは、辺野古も高江も同じだ。鉄壁に見える態勢にも隙間はある。相手の弱い所を見つけて、どんどん食らいついて抗議行動を展開すればいい。

https://www.youtube.com/watch?v=s7sWkMTVtKA&feature=youtu.be

 機動隊員に両腕をつかまれて移動するとき、N1ゲートの前を通った。あふれかえる機動隊や私服刑事の数は安倍政権の沖縄に対する姿勢を示している。それは彼らが沖縄の民衆運動をどれだけ恐れているかの証でもある。ヤンバルの小さな集落に、全国から500名規模の機動隊員を送り込まなければ、ゲートを一つ開くことさえできなかったのだ。

 警察・機動隊は県道70号線を10時間にわたり封鎖した。機動隊の壁を作って市民を力づくで排除し、抗議行動の拠点となっていたテントを破壊した。そして、工事に使用するパワーショベルやキャタピラー式のトラック、プレハブ小屋などを運び込んでいった。

 N1の入り口付近では草刈りや木々の伐採が行われていたが、これから着陸帯の建設現場まで長い工事用道路をつくる必要がある。そのためには大量の砂利を運ばねばならない。それに対する抗議が2011年には続いた。抗議するには今後も多くの人の力が必要だ。ぜひ高江に結集を!

 


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