ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

退屈だった「時代祭」

2009-10-24 | 日記風
京都も秋の装いだ。京の三大祭りの一つ、「時代祭」を群衆の一人として見た。三大祭りのどれもまだ見ていないので、初めて見る京のお祭りだった。さすが京都は外国人の観光客が多い。時代祭の群衆も外国人の割合が半分くらいはいるのではないかと思われるほどだ。

 肝心の「時代祭」だが、何の感動もない。つまらない。要するに仮装行列だった。あまり考えもなく、もう少し違うものを期待していったのだが、よく考えると時代祭という名前からも分かるように、いろんな時代の扮装をして町を練り歩くだけだ。平安神宮の創建に併せて明治時代に始まった時代祭は、明治維新から平安時代までの衣装を着た市長や市会議長、商工会長などの地方のお偉方がただ黙って平安神宮から御所まで練り歩くだけ。歌舞音曲も盛り上がりも何もない。それでも観光客は多い。外国からの観光客はその服装が物珍しいし、喜んでいるが、その意味が分かる人はほとんどいないのではなかろうか。

 3年前から室町時代の扮装が始まったが、それまでは南北朝時代の南朝を正統とする戦前の皇国史観の影響で、室町時代の政権は国賊とされ、時代祭にも出されていなかった。太平洋戦争が終わって60年もたっても、日本人は皇国史観を克服できなかったということだろうか。足利義満の金閣寺が京都でもっとも多くの観光客を集めているのにもかかわらずである。

 他の祭りのうち、「葵祭」は公家のお祭りで、「祇園祭」は庶民の祭りだという。祇園祭は見てみたいと思うが、公家の祭り「葵祭」は見てみたいとも思わない。どうせ上から目線の祭りなのだろうから。やはり地方の力あるお祭りに比べて、京都のお祭りはつまらない。

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1 コメント

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はじめまして (茶々)
2009-10-24 16:05:22
たしかに
そういう見方もありますね。

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