毎朝通る道筋に、ひともとの見事に咲き誇る一重のバラの株がある。背丈は50cmくらいの小さな株だが、枝が広がり、バラの花が全体を覆うごとく、何百と咲いている。毎朝、そこを通る度に、その美しさ、豪華さ、そして個々の花の可憐さに惹かれて、見入ってしまう。ところが、今朝通勤の途中でそこを通りかかると、なんということだ。ほとんどすべての花が、引きちぎられ、切り取られ、丸坊主にされてしまっている。心ない人の仕業だろうが、哀しくなった。こんな行為を、自分の感情を表すために行う人の心が、情けなく、哀しい。
それによく似た感情を、今朝のテレビで味わった。東京の新大久保で行われている民族差別主義者のヘイトスピーチデモについてだ。「殺せ!」「出て行け!」「死ね!」などというヘイトスピーチを韓国人・朝鮮人に向けて発する日本人たちの薄汚なさ、哀しさ、情けなさ。これが同じ日本人の言葉かと思うと、日本を劣等な国としか思えない。相手の立場に立って物事を考えることができない若者が増えてきた。いや、若者に限らない。「自己中」は、人間社会をぎすぎすしたものに変えてしまう。相手の立場に立つことのできる人がいなくなることが、人々を戦争や貧困に引きずり込み、哀しい歴史を作ってきた。
日本にはヘイトスピーチを規制する法律がない。ヨーロッパでは、多くの国にヘイトスピーチを規制し、罰する法律がある。なぜ日本にはそれが無かったか。それは、日本人は相手の立場に立って考える良い伝統があったから、こんな法律はなくてもよかったのだ。ヘイトスピーチをする人などいなかった。ところが、日本の良いところを嫌う人や、戦争をしたい人が現れて、日本を情けない劣等人種の国にしてしまう。
ヘイトスピーチをする人たちは、自分だけを愛し、国を愛さない。国に泥を塗ることを平気でできる人たちだ。橋下徹という人、大阪市長という公職に就いている人が、日本をおとしめるようなことを平気で言う。日の丸に頭を下げず君が代を歌わない人を、愛国者ぶって処分する一方で、日本の名誉を傷つけても責任をマスコミに押しつけて平気でいられる人。そういう人に国を愛するなどと言ってもらいたくない。
それによく似た感情を、今朝のテレビで味わった。東京の新大久保で行われている民族差別主義者のヘイトスピーチデモについてだ。「殺せ!」「出て行け!」「死ね!」などというヘイトスピーチを韓国人・朝鮮人に向けて発する日本人たちの薄汚なさ、哀しさ、情けなさ。これが同じ日本人の言葉かと思うと、日本を劣等な国としか思えない。相手の立場に立って物事を考えることができない若者が増えてきた。いや、若者に限らない。「自己中」は、人間社会をぎすぎすしたものに変えてしまう。相手の立場に立つことのできる人がいなくなることが、人々を戦争や貧困に引きずり込み、哀しい歴史を作ってきた。
日本にはヘイトスピーチを規制する法律がない。ヨーロッパでは、多くの国にヘイトスピーチを規制し、罰する法律がある。なぜ日本にはそれが無かったか。それは、日本人は相手の立場に立って考える良い伝統があったから、こんな法律はなくてもよかったのだ。ヘイトスピーチをする人などいなかった。ところが、日本の良いところを嫌う人や、戦争をしたい人が現れて、日本を情けない劣等人種の国にしてしまう。
ヘイトスピーチをする人たちは、自分だけを愛し、国を愛さない。国に泥を塗ることを平気でできる人たちだ。橋下徹という人、大阪市長という公職に就いている人が、日本をおとしめるようなことを平気で言う。日の丸に頭を下げず君が代を歌わない人を、愛国者ぶって処分する一方で、日本の名誉を傷つけても責任をマスコミに押しつけて平気でいられる人。そういう人に国を愛するなどと言ってもらいたくない。