ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

民主党政権がやること

2009-05-30 | 政治
15兆円に上る補正予算が成立したらしい。「未曾有」の経済危機に対応するというふれこみらしいが、どうみても選挙対応のばらまき予算でしかない。後期高齢者保険でお年寄りを切り捨て、母子家庭への加算額を切り捨て、医療を崩壊させ、アメリカと同じ格差社会を一段とすすめて、「漫画の殿堂」を建て、高級官僚天下りのための外郭団体をまた30以上も増やし、トヨタやキャノンなどの救済を税金で行うなど、国の借金を大幅に増やすだけで、構造的な改革がまったくないアホウなアソウ補正予算だ。

 このツケは、2年後の消費税の値上げでまかなうことを広言しているアソウ政権。国民の税金を使って自分たちの選挙運動をしている脳天気な自民党。2年後の消費税増税には絶対に反対だ。給料を切り詰め、社会保障を減らし続け、はては雇い止めで労働者を露天に迷わせ、そのあげくが消費税増税だって、バカにするんじゃないよ。

 アソウさんは口を開けば民主党の政策は財源の裏付けがないと批判する。野党は予算編成の権限を持っていないのだから、財源の裏付けが無くて当たり前なのだ。財源を握っている与党と同じ政策を出したら、野党の意味もない。しかし、今回の補正予算に限らず、先の本予算も、自公政権が経済対策と称した大盤振る舞いは、日本の基盤を崩しかねない危うさを持っている。

 彼らは今度の選挙で民主党に政権を取られることを前提にして、民主党が政権を取っても国庫の中は空っぽにしてやろうと、片っ端から使いまくっているようだ。いわゆる埋蔵金といわれる金まで全部空にしてしまおうということらしい。民主党が政権を取っても、国庫が空っぽではいい政治はできないだろうと思っている。そして民主党政権が困って増税を言い出せば、再び選挙に持ち込んで政権に復帰しようという戦略なのだろう。その先の日本のことまで考えてはいない。自民党にとっては国民の生活よりも自民党の政権をどうやって維持するかの方が大事なのだから。

 一時も早く解散して欲しい。民主党が政権を取ったら、ただちに修正予算を出して欲しい。自民党のアベ、フクダ、アソウといった選挙による信任を得ないでできた政権がやった悪いこと「教育基本法の改悪」「医療制度の改悪」「自衛隊の海外派兵特措法」などをまず廃止して欲しい。そして、自民党政権による無駄な公共事業である八ツ場ダムの中止、高速道路のこれ以上の建設の中止、上関原発の建設中止、核燃事業の中止、辺野古の米軍基地建設の中止、米軍再編強化への反対をやってほしい。政権を取った民主党がやらねばならないことは山積みである。

ホタルが飛ぶ街

2009-05-28 | 日記風
京都の東山の麓、秋の紅葉で有名な南禅寺には、まるで古代ローマの水道を思わせる水路閣があり、そこから銀閣寺まで哲学の道に沿って琵琶湖疏水が流れる。琵琶湖の水を京都市内に流す古来の人の知恵が、春の桜や秋の紅葉の名所ともなって、近くに住む私たちのよき散歩道にもなっている。

 この琵琶湖疏水に、ゲンジボタルが棲んでいる。その成虫がいま疏水の上をすいす~いと飛び始めた。夕食を終えて、腹ごなしに散歩に出ると、ホタルの淡い光が疏水の上に光の輪を描く。岸辺の草の茂みには、しがみついたホタルの明滅する光が葉の裏から透けて見える。そばを通る車のライトが迷惑だが、車も減ってくる時刻になると、いっせいに飛び出すホタルの光が、幻想的で美しい。思わずうっとりと見とれてしまう。

 街の中でホタルの乱舞を見られるところは、広い日本でもそう多くはない。私が知っているのは、山口市くらいだった。京都市内でこんな景色が見られるとは思いもしなかった。街の中にホタルが飛ぶ小川がある。それは今の時代では贅沢なのかもしれない。でもこれが本当のはずだ。この光景を忘れ、思い出すことさえも拒否してきた近代日本の資本主義は、日本の各地でホタルの棲む川を汚し、コンクリートで固め、人と川を隔て、川を排水路のように水を流すことだけのものにしてきた。川は死んでしまった。

 琵琶湖疏水もエネルギーを使った水をきれいに保つ努力がされており、コンクリートで固めた三面張りだが、それでもホタルの棲む条件はかろうじて残っているのだろう。それは住民の努力で守られているらしい。疏水沿いの道には都会によく見られる無粋な蛍光灯やアーク灯の街路灯はない。疏水の内側は従って暗く、ホタルのかすかな瞬きが美しく見える。柳は少ないが桜の並木があり、疏水の上に樹影を架けている。こんな風景の疏水沿いの道をゆっくり歩きながらホタルの光の舞を見ていると、やはり浴衣や着物を着て、歩いてみたいと思わせる。京都なんだなあ。

ジュゴンに会えなかった

2009-05-26 | 南の海
一年半ぶりに南の島のジュゴンに会いに行った。ミンダナオの第一の都市ダバオから車で3時間、バンバン飛ばして2時間半くらいのところ。ダバオハイウエイという名前がついた道路だが、2年前に舗装されたときに、その名前が付いたらしい。なつかしい村の人たちが集まって、暖かく迎えてくれた。

 ダバオは暑くて人が多くて、排気ガスが充満していたが、田舎に来るとさすがに空気はよくなるが、騒音は相変わらずだ。カラオケの大音量が田舎でも響いている。彼らはどうやらこの騒音がなければ寂しくて生きていけない人種なのかもしれない。

 かんじんのジュゴンは今回はなかなか現れてくれなかった。これまでいつでも会いに現れてくれたので、簡単に会えると考えていたのだが、本当はかなり頑張ってみていないとジュゴンの出現は見逃されやすい。実際、地元の人に聞いても見たことないという人が多く、日本人には簡単に姿を現すのに、地元の人間には姿を現さない、なんて冗談を言われたりしたものだ。

 しかし、潜ってみたり、よく観察している人に聞いたりしたら、どうやら最近はジュゴンの出現が少なくなっているらしい。ジュゴンのえさの海草藻場も減っているように感じた。辺り一帯のバナナプランテーションの開発がすすみ、泥が海に流れ込んでいるのが海水の透明度を減らしている原因で、藻場も減少し、ジュゴンも減っていると思われる。悲しいことだ。そしてそのバナナを買っているのは日本人。

 今回は、川をさかのぼってアップランドに行ってみた。車に揺られて道とも思えない道を分け入って山の中の集落を訪ねた。いくつかの村は昔訪ねたことがあり、地元の人が私を覚えていてくれたのはうれしかった。夕方になったので、途中の村で最後にしたが、後で聞くと、その村の向こうは反政府軍の統治する村だそうで、反政府軍と政府軍のテリトリーの境界付近まで行ったことになった。昨年からアロヨ大統領が反政府軍との休戦協定交渉を一方的に中止して、まとまりかかっていた休戦協定を廃棄、政府軍が武力攻撃を始めたため、ミンダナオの各地で戦闘が続いている。




 来年は、フィリピン大統領の選挙がある。フィリピンの人たちは選挙が好きで、大統領選挙になると、国中がまるでお祭り騒ぎとなる。現アロヨ大統領は出馬しないらしいが、彼女のことだから選挙になるまではわからないかもしれない。しかし、彼女の人気は地に落ちている。ジュゴンの町でも昨年低気圧で大波がきて、海辺の多くの家が壊されたり、流されたりしたが、この異常な災害もみんなアロヨのせいだというのが地元の人の冗談の一つである。異常気象や気候変動もアロヨのせいだという具合に冗談を楽しんでいる。それほどアロヨ大統領の人気は無くなっている。

 空の青さは変わらぬ青さだったが、海の青さは少しずつ減ってきている。変わらぬ青さでいて欲しいと、願うのは日本人の勝手なのだろうか。

楽しい言葉遊びの本

2009-05-17 | 読書
 森 絵都「あいうえおちゃん」という絵本を読んだ。子供用の本のように見えて、じつは大人が読む本のように思える。中身は単純。あいうえお順にすべてひらかなで簡単な文章を書いたもの。一つの文章は三つの文節からなり、それぞれの頭に同じ音を使うのが、ルールだ。言葉遊びの本。

 単純だが、面白い。たとえば、「あきすに あったら あきらめな」とか「はっきり はだいろ はげあたま」とか「きらくで きままな きみでいい」など、楽しめる。「ろくじに ろうばと ろてんぶろ」なんてのもあって、じつに楽しい。荒井良二さんの挿絵も楽しい。

読んでいると、自分でもなにか書いてみようと思い立つ。すこし考えると次々と文章が浮かんでくる。これもなかなか楽しい。「あ」で始まるものだけでも、
「あしたも あんたは あさねぼう」
「あんたも あたしも あほばかり」
「あかるい あしたは ありません」
「あめでも あしたは あらしやま」
「あしたも あさっても あめばかり」
「あめりか あいさつ あそうさん」
などなど。

 ついついこのゲームに嵌ってしまい、いつもこの文章を探すようになってしまった。あたまが、言葉探しに占領されたようだ。これは困った。明日からフィリピンにジュゴンを見に行く予定だが、英語ではなくこんな言葉がどんどん出てくると困ってしまう。なんとか頭を切り換えねば。

 フィリピンも豚インフルエンザの感染が疑われる国に指定されていて、帰ってくるとしばらく健康チェックをして報告させられることになっていて、うるさいなあと思っていたら、日本ではすでに国内感染者がいっぱいいるらしい。これならフィリピンから帰ってきた人よりも、フィリピンでは日本から来た人に疑いを掛けられることになりそうだ。そんなことよりも、青い海とジュゴンをしっかり見てこよう。しばらくブログもお休みです。


もっと冷静になれ

2009-05-16 | ちょっと一言
「冷静に対応していただきたい」って、冷静さを失った人たちが叫んでいる。そんな姿をテレビで見ている私たちは、至極冷静。豚インフルエンザの国内感染が一人見つかったと言って、神戸市内の幼稚園、保育園、小中高校は一週間の休校だって。呆れてものが言えない。「もっと冷静になって欲しい!」

 マスクをあわてて買いに走る人びと。マスクは売り切れ品薄だとか。呆れてものが言えない。危機を煽りながら、「冷静に対応していただきたい」というマスコミ。呆れてしまう。「お前の方が冷静になれよ!」って、テレビに怒鳴りたい。

 毒性は普通のインフルエンザと同じくらいだという。なんでそれでこんなに大騒ぎするのか。毎年インフルエンザは感染者がいっぱい出ている。死者も出ている。「もっと冷静になれよ」。国民の税金をそんなことに無駄に使うなよ。

インフル 水際作戦という無駄使い

2009-05-14 | 政治
小沢一郎が辞めて、空前の無駄使い補正予算が強行採決され、アソウが解散を狙い始めているときだが、もう一言「豚インフルエンザ」の対策について書こう。「豚インフルエンザ」の感染を防止するために、乗客が驚き呆れていても平気で大まじめで、重武装して検疫をやっている日本の「水際作戦」こそ、究極の無駄使いだと思う。豚インフルエンザのウイルスを国内に持ち込ませないとして、外国から来た人や外国へ行ってきた人を一人一人チェックして、感染した可能性のある人をすべて一週間も足止めし、ウイルスを一匹も日本に入れない体制をとることって、ものすごい無駄使いだ。

 鎖国の時代と違って、毎日何十万人という人が国から出たり入ったりしている今の時代、どんなにがんばってもウイルスが入り込まないようにすることは結局は無理な話だ。何日間か、何週間か、ウイルスの侵入を遅らせることならできるんだろうけど、たったそれだけのために何十億、何百億というお金をかけることにどれほどの意味があるのだろう。そういうのを、本末転倒というのだが、意外とみんな本気で「水際作戦」は絶対必要だと思いこんでいる。バカじゃないだろうか。

 世界で数千人くらいの感染数で、100人に満たない死亡者しかでておらず、しかも流行が下火になりつつあるような「豚インフルエンザ」にそんな大騒ぎをして無駄使いするお金があるのだろうか。もしあるとするなら、そのお金は別の所に使うべきではないか。死者のほとんどがエイズ患者や別の感染症、栄養失調など体力のない人だったといわれている。つまり、健康な人ならウイルスに感染しても別に問題ない。すこし熱が出てもしばらくしたら回復する。

 もし、「水際作戦」なんかに無駄使いする金があるなら、食べるものも食べられず栄養失調で体力のない失業者やぎりぎりの年金生活をしているお年寄りに十分な食事ができるような福祉事業をし、失業者には仕事を与え、国民が健康を保てるような政策にお金を使うべきだ。そうすれば、ウイルスなんて怖いことはない。死亡する人もいるかもしれないが、風邪をこじらせて死ぬ人も、A型ウイルスで死ぬ人も結構いるんだから、とくに豚インフルエンザを特別に怖れることはない。水際作戦で大騒ぎして無駄使いするより、よっぽど政府の政策としては推奨できる。

 こんな当たり前のことをどうして日本の医学界が言えないのか、本当に不思議だ。医者たちも医学者もみんな製薬業界の言いなりになっているのか。アソウ政府が大騒ぎするのは、選挙前に危機管理能力があることを見せたくてマスコミを動員して宣伝しているからだろう。そしてそのペテンを見抜けないマスコミたち。いや、見抜こうと思わないマスゴミたち。いわゆる「安心・安全」というのは、みんなこんなものなのだ。本当の原因を取り除かないで、対症療法で巨大なお金を使いその場をごまかす。その陰に、莫大な税金が使われ、それを懐にできる業界が存在する。消費税でつねにお金を払わせられるのは庶民。

 日本の庶民はもっと利口にならなけりゃ。


豚インフルエンザ 何をアホな

2009-05-11 | 日記風
職場では、豚インフルエンザ対策で、感染国や感染の疑いのある国から帰国した人は、一週間以上勤務に就けないという決まりを作ったらしい。そんなアホな。来週、フィリピンへ行く予定なのだが、帰ってきたら仕事に戻れないらしい。しかも一週間も。閉門蟄居なら昔だったら重罪だ。

 京都に比較的近い大阪に豚インフルエンザの感染者がアメリカ経由で帰ってきたから、厳重な警戒をするということらしいが、そんなアホな。分からないのは、マスコミも日本政府も自治体もなにをそんなに大騒ぎしているのだろうか。豚インフルエンザが人から人へ感染していると言ったって、毒性はたいしたことないし、世界でも感染者は2000人を超えた程度だ。死者は50人程度。昔のペルシャ風邪の恐ろしさに比べればほとんど無視できる程度だ。危険性から言えばA型インフルエンザの方が、日本でも死亡者は毎年のように多く出ている。A型インフルエンザだったら、マスコミは安心したような書き方をする。どうもおかしい。

 安心・安全と称して、最近はどうも本末転倒のようなことが多すぎる。よく考えればおかしいことを、ヒステリックにマスコミが書くと、いっせいにみんながヒステリー症状を起こす。人一人の命は地球よりも重い、というウソ八百の言葉がもてはやされたのはそう古くない。一人の人間も豚インフルエンザで死なせてはならないとでも言うような警戒態勢は一体何のためなのだろう。そんなことを言うなら、日本政府は毎年3万人以上の人が自殺に追い込まれていることをなぜ問題にしないのだろうか?毎年1万人の人が交通事故で死亡していることをどう思うのだろうか。

 一人の人間も豚インフルエンザで死なせないという立派なことがやれるのなら、交通事故の死者を一人も出さないとどうしてしないのだろうか。それは交通事故をなくすためには、車社会から足を洗うしかないことが分かっているからだ。車社会を脱すれば、交通事故はなくなる。しかし、交通事故が無くなれば困る企業がいる。トヨタのような自動車産業を困らせないように、事故は少ない方がいいが、自動車産業は残したいと自民党政府は思っている。政治献金をもっとも多くくれるのがトヨタなどの企業だから。

 交通事故が本当に無くなれば、保険会社も困る。これらの企業は事故はなくては困るのだ。一人の命が地球よりも重いなどと彼らは決して思っていない。本当にそうならお金儲けはできないから。

 豚インフルエンザで大騒ぎするのは、アソウ政権が安心・安全のために頑張っていると見せたいというのが大きな動機だ。選挙が近くなければそれほどのことはやらなかっただろう。そして、大儲けをしているのが製薬会社。世界中からタミフルの注文が殺到している。マスクを作る会社も儲かっているだろう。

 それにしても、大げさな。風邪をひいたのと大して代わらない症状の豚インフルエンザにどうしてこんなに大げさに騒ぐんだ。そのために、外国へ行っただけでなぜ仕事を休まねばならないんだろう。おかげで給料も減る。閉門蟄居なら飯もあまり食うなと言うのだろうか。困った。フィリピンには豚もいっぱいウロウロしている。豚と戯れるのは毎度のこと。今回もいっぱい豚と遊んでくるつもりだが。私は豚を食べない。豚がかわいそうだ。エジプトでは豚を殲滅する政策さえ始まっているとか。イスラム教徒とキリスト教徒との確執が、豚インフルエンザの発生で変な方向へ行ったらしい。豚インフルエンザは、人騒がせ。いや、マスコミこそが人騒がせ。


ガンと言われて・・

2009-05-09 | 日記風
 「胃ガンと言われましたか?」診察室へ入ったとたん、医師からそう聞かれて、私は一瞬言葉を失った。前日、健康診断を受けて帰り、今朝突然病院から電話を受けた。気になる所見があるので、再検査をしたいから都合が付いたら早めに来て欲しいと言うものだった。ちょうど今日は休日で予定もなかったので、病院に行った。診察室へ入ったとたん、その言葉を聞かされたのだ。

 「いいえ、何も聞いておりません」と答えると、医師はあわてて取り繕おうとしたが、もう言ってしまった言葉を元には戻せないと思ったのか「昨日の胃のバリウム検査の結果、胃に腫瘍の疑いという担当医師の所見があった」と言う。私は初めて聞くことで、「ええっ?」と思ったが、電話を貰った時点である程度覚悟はできていたので、「やっぱり・・」と思った程度であった。

 再検査するには胃カメラによる検査しかないという。内視鏡を使った検査は私はまったく受け付けず、今まで一度だけしか経験がない。それは胆石の疑いがあったとき、胆管に造影剤を入れて内視鏡で検査をする必要があるときだった。私ののどはどうしても内視鏡の挿入を受け入れず、嘔吐を繰り返して拒否し続けた。医者は困って、結局全身麻酔をすることで解決したことがある。そのことを考えて、今回も胃カメラの検査は私にはできないと言ったが、医者も強制することはできないが、胃ガンであるかどうかを検査しないで治療はできないと言われると、同意書にサインをせざるを得ない。

 まるで鎖につながれた囚人のごとき存在になって、私は胃カメラの検査を受けた。思った通り、私ののどはカメラを受け付けず、嘔吐しそうになったが、食べ物も飲み物も入れていなかったせいで、声と涙を出すしかなかった。それでも看護師には声を出すな、目を開けろ、つばを飲み込むな、我慢せいと叱られ続けて、10分ほどの検査を耐えた。

 検査の結果はまったくのシロ。医者からも看護師からも「よかったね」「おめでとう」と言われて、私もホッとしたが、いったいあの医師の所見はどうなるのだろうか。たしかに「疑い」と書いてあり、はっきり腫瘍と書いてはいなかったが、そういわれるとガンにかかった身近な人の死も経験しているのだから、再検査を受けざるを得ない。結果が良かったから、怒る気にもなれないけれど、なんとなく釈然としない気も残る。

 まあ、それでもガンの疑いが晴れて、今日の天気のように晴れ晴れとしたのは事実だから、良しとしよう。疑いが晴れた後になって、連れ合いからは「あなたがガンになるはずがない」と言われた。これは喜ばしい褒め言葉なのか、それとも悲しむべき侮蔑の言葉なのか、悩ましい。彼女も心配してくれていたことは疑いないのだが・・。


滝と花と迷い道

2009-05-09 | 花と自然
 連休の一日、奈良県と三重県の県境にある渓谷に出かけた。50個以上の滝が連続して見られることで有名な「赤目四十八滝」という。京都から近鉄で3回も乗り換えて、赤目駅までたどり着いた。ここからバスで10分くらいなのだが、バスが1時間に1本しか出ていないので、時間はかかる。このあたりは伊賀の国になる。伊賀の忍者で有名なところらしい。伊賀の忍者の頭領であった百地三太夫の砦がこの近くにある。三太夫の配下の忍者が修行に及んだのが赤目四十八滝であったという。

 そういえば、赤目という言葉から連想した白土三平の「カムイ伝」に赤目という名前の忍者が登場していた。ここの地名からとった名前だったんだと今更ながら納得してしまった。しかし地名の赤目はどこから由来したのかは、分からずじまいだった。

 さすがに大型連休で、しかも好天が続いたせいで、赤目四十八滝は人の波だった。でも登山のつもりできた私にとっては、ゆっくりと散歩ができて、一つ一つの滝を眺めながら歩くのも、日頃の登山と違って楽しめた。若者たちや二人連れが思い思いの格好で歩いている。杖をついたお年寄りの姿もある。渓流に沿った道は観光客用にしっかりと作られており、コンクリートで固めたところも多いが、それでもハイヒールで歩くにはかなり難儀な道なので、登山靴を履いた私にとってはきわめて歩きよい。

 町では桜も終わり、渓谷では藤の花がいたるところで薄紫のマントを樹林にかぶせているように咲き誇っている。やはり藤は川のほとりが良い。夏の花にはまだ早いが、渓谷沿いにはいろんな花が咲いていて、目を楽しませてくれる。京都北山の花の少ない山を歩いている目には、ここ伊賀の深山の花たちがうれしい。

 渓谷の入り口では、シャガの花がいっぱい咲いている。この花は水辺に咲くが、杉の木立のような薄暗いところにも咲いている。暗い樹林のしたに咲いている真っ白なシャガの花の群れは、ただ薄暗いだけの杉林を明るくしてくれる。




 それからジュウニヒトエの花たち。コマンネンソウ(ヒメレンゲ)は、北海道でたくさん見たマンネングサによく似ているが、ここでは少し違った種類らしい。渓谷添いの岩角にはイワタバコの特徴ある葉が付いているが、あの紫色の花はまだ見られない。赤目五瀑と言われるやや大きい滝もあるが、四十八滝のほとんどは高さが1-2mくらいのかわいい滝が多い。


一つ一つに名前が付いていて、髑髏滝とか乙女滝、霊蛇の滝、千手の滝、雛壇の滝、姉妹滝などの名前と滝の姿を見比べつつ、納得したり頭をかしげたりしながら、2時間ほども掛けて渓谷を登り切り、県道に出た。

 県道をしばらく歩いて再び山道にはいる。ここからは5万の地形図の道を見ながら山を越えて室生寺へ出ようと考えた。今度の山道にはテンナンショウ(マムシグサ)があちこちであのちょっと不気味な茎を伸ばして、先端に特徴的な花を付け始めている。その中で少し葉っぱが異なるものがあったので写真に撮った。図鑑を見てもよく分からないが、どうやらユキモチソウらしい。ユキモチソウは花の筒の中に白くて膨れたお餅のような花芯をもっているので、すぐ分かるはずなのだが、どうやら開花したばかりの花にはその白いお餅のような花芯は未発達らしい。それでいくら図鑑を調べても分からないはずだ。


 花の少ない杉林が続き、そのうちとうとう道が無くなってしまった。道を見失ったかなと途中まで引き返し道を探すが、室生寺の方角には道らしい踏み跡も見あたらない。何度か上ったり降りたりを繰り返していたが、地図の登山道はどうやら廃道になってしまっていると結論づけざるを得ない。藪こぎをすれば室生寺まで行けなくもないだろうが、時間がどのくらいかかるか分からないし、室生寺で家族と会う約束をしていたので、引き返すことにした。元の県道へ出るまでに立派に舗装した林道があり、その道をたどれば電車の通っている町に近いように思われたので、この林道を歩くことにした。立派な舗装した林道なので、途中で通る車を見つけて便乗させて貰おうと思った。

 ところが思惑がはずれてしまった。この林道はどこにも通じておらず、行き止まりの林道だったから、この大型連休といえども車一台も走っていない。むしろ連休でなければ山仕事の車が少しは走っていたかもしれないが、まったく車の姿がない。あきらめてただひたすら舗装道路を歩く。この調子で歩いていくと、町まで2時間ほどかかりそうだ。そこからバスを探して駅まで行き、電車で室生口まで乗り、さらにバスに乗って室生寺へ着くのは夜中になりそうだ。もっともそんな時間になるとバスもなくなるだろう。そんなことを考えながらも、歩くしかない。

 町までの半分くらい歩いた頃、一台の車が通りかかった。まことに地獄に仏とはこのこと。手を挙げて車を止めようとすると、車の方も私に用があるようでこちらに来て止まった。「この道はどこへ抜けるだろうか?」という質問が来た。「行き止まりです」と言いながら、「しめた、この車はこれから待ちの方へ引き返すだろう」と考える。この車を逃したら、今日は野宿かも知らないと思うから、必死の思いで町まで乗せてもらえないかと頼んだ。この人がいい人で、喜んで乗せてくれた上に、ついでだから室生寺まで載せて蔵ルことになった。まったく仏に見えたものだった。

 車の人は、この近くの温泉に行き、そこで温泉に入って夜は車で寝るのだという。私と同じ京都から来たらしい。何度も何度もお礼を言って別れたが、よく考えればせめて名前くらい聞いておくべきだった。名前も知らない親切なおじさんに、ここからお礼を言います。本当にありがとう。

 ピークはまったく踏めなかったが、実によく歩いた一日だった。最後は車に乗ってしまったが、道に迷ったこともあって6時間は歩いた。やれやれ。地形図の歩く道が廃道になることは里の近くの山(里山)で、よくあることだ。よくある原因はゴルフ場ができて、登山道が無くなっていること。今回は道が使われなくなって踏みあとも無くなってしまったらしい。山仕事をする人の踏み跡があるので、かえってわかりにくくなってしまう。地形図を信用しすぎるとときどき困ったことになる。

高速道路料金の値下げはお門違い

2009-05-03 | 環境
 高速道路の利用料金が土日に半額になったことや、最大1000円に抑えられたことなどによって、どこの高速道路も混雑がひどくなっているようだ。50kmを超える渋滞もあちこちで起こっているらしい。車を使わない生活になったので、あまり関係ないのだが、こんなニュースを見ていると、どうもおかしなことをやっていると思わざるを得ない。

 まず、不公平感は大きい。車を使わない人間には何もメリットがない。それにもかかわらず、高速料金を大幅値下げをしたために失われる利益は、国民の税金でまかなわれるのだ。さらに、車に乗ってもETC登載の車だけがこの利益を受ける。これによって大儲けのETC会社には、経団連の会長のキャノンの会長が親分に座っている。そして車が売れるとトヨタが儲かる。このあたりが儲かるように誰かが仕組んだとしか思えない政策だ。

 この政策は今すぐやめて欲しいと思うのは、やはり環境に非常に悪いと思うからだ。地球温暖化のもっとも大きい原因は化石燃料の消費であることは間違いない。しかもその4割は車による消費だと言われている。その車の消費がさらに増えるような、今回の政策はどうみてもおかしい。そのおかしさを象徴するのが、トラックやバスがこの高速道路の値下げの適用外になっていることだ。バスは公共の交通機関だ。車を止めてバスや電車のような公共交通機関へと誘導するような政策が求められているのに、まったく逆の政策が行われている。金融不況で車が売れなくなったというニュースは、喜ばしいと思っていたのに、景気対策と称してどんどん石油を消費し、排気ガスを排出する車を増やすような政策を行うとは、どう考えてもトヨタとキャノンを喜ばすためとしか思えない。麻生さんはトヨタとキャノンからいくらもらったのだろうか?

 バスとトラックこそ、高速道路の利用料を土日だけではなくいつも無料にすべきだろう。そうすれば車に乗る人は減り、日本の石油消費量は減少する。そうすれば原油価格も下がり、電気代も下がる。景気のためにも良い。その真逆をやるアソウ政権は、もうみさかいが無くなったらしい。

 普通乗用車の高速料金をいますぐ元に戻し、バスとトラックの料金を無料にして欲しい。バス代も安くなるだろう。不公平感も無くなる。エネルギー問題の解決にもつながり、環境問題の解決にもなる。どうしてこんな簡単なことが分からないのか。トヨタに遠慮する必要はない。オバマはクライスラーに引導を渡した。日本も自動車会社にそろそろ破産宣言をしてもらいたい。いまこそ車社会から新しい社会へ脱却のチャンスだ。