アトリエ 籠れ美

絵画制作、展覧会、美術書、趣味、その他日常の出来事について
平成27(2015)年5月4日より

スケッチ記その2

2017-02-17 16:05:23 | 絵画制作記、スケッチ記、版画制作記
 本日、午前11時にアルバイトが終了したので、急いで帰宅し、昼食を取ってからスケッチへ行ってきました。スケッチを再開して2回目、2週間振りです。

 少しずつ感覚が戻りつつあり、今日はモチーフである樹木群をそれほど苦労せずに画面に収めることができました。

 しばらくはこうしたリハビリが必要かと思います。今日は少々風は強いですが、気温もちょうどよく、また晴れてもいたので、スケッチをするには恰好でした。

 どうやら毎週金曜は午前11時にはアルバイトを終えられそうなので、ひょっとすると毎週金曜はスケッチに行けるかもしれません。楽しみです。

 付)前回書き忘れましたが、スケッチの際には、必ず土屋鞄のユニック・リベルタ・ラージトートに必要な画材を入れて出かけているので、これでようやくこのトートバッグをその本来の目的で使い始めたことになります。経年変化の早い素材だそうなので、どうその色合いが変わっていくのか、肌触りはどうなるのか、興味津々です。

 注)今回でスケッチブックを使い切ったので、次回から新しいスケッチブックを使い始めます。今日も結局鉛筆淡彩画になってしまったので、早くリハビリを終えて、鉛筆スケッチに切り替えたいところです。

 蛇足)今日は昼食時に焼酎お湯割りをたらふく飲んでしまったので、多少酔っ払いながらスケッチすることになってしまった。とにかく眠かったです。酒を飲んでからスケッチに行ったのは人生初です。これといって不都合はありませんでしたが、飲み過ぎるのはよくないので、今後は気をつけたいと思います(って多少は飲んでもいいってことですか)。

甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)

2017-02-17 06:15:34 | 画材、技法、芸術論
 明治時代以降、西洋画の流入により日本画に新たな課題ができた。それが日本画で裸婦が描けるのかというものだった。つまり日本画で裸婦を描いてちゃんとした作品になるのか、様になる絵になるのか、ということだった。

 この問いに見事に応えてくれたのが、大正時代に活躍した日本画家、甲斐庄楠音だった。彼の作品を見ればわかる通り、見事に裸婦、すなわち人肌が表現されている。

 裸婦を描くということは必然的に肌を描くことになる。ここに課題があったわけだが、彼は日本画で人肌を表現できた最初の人となった。いや、最初で最後かもしれない。私は彼以外に人肌をちゃんと描いている日本画を見たことがない。

 もちろん人には個性があるから、甲斐庄楠音の肌の表現は独特だ。だから土田麦僊に「穢い」と言われてしまう。しかし穢かろうが何だろうが、彼が人肌の表現をできたことに変わりない。

 甲斐庄楠音はレオナルド・ダ・ヴィンチに私淑したといってもいいくらい、ダ・ヴィンチから多大な影響を受けている。それは未完の大作「畜生塚」を見れば明らかだ。しかし考えてみると、ダ・ヴィンチも人肌の表現にはこだわった。「モナリザ」を見ればその異常なくらいの執着振りがはっきりわかる。だから甲斐庄がダ・ヴィンチに魅かれたのは無理もない。

 人の肌そのものを描くことに成功した甲斐庄楠音は、日本の絵画史において稀有な存在だ。もっともっと高く評価されてしかるべきだと思うのだが、どうだろうか。