荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

新聞に促されて門仲/深川伊勢屋から、

2021年03月18日 | 散文

先ず、新聞記事を紹介します。

 

「富岡八幡宮の境内を出て、西に約10メール進むと、線香のにおいがたちこめる深川不動堂に着く。和菓子や漬けもの、宝飾品など計40店舗が並ぶ参道の『人情深川ご利益通り』はたくさんの人で賑わっていた。」 (余談:ハト屋パン店がある「人情下町キラキラ橘商店街」はここからのネーミングでしょうか?)

 

新聞は「伊勢屋」を紹介しています。

 

「1907年創業。だんご、のり巻き、大福、いなりなどを販売。喫茶店も併設する。」

 

伊勢屋脇から深川不動堂の参道を行きます。新聞記事を紹介します。「成田山新勝寺の東京別院。1703(元禄16)年以降、永代寺境内の富岡八幡宮で度々行われた出開帳を起源とする。本堂の外壁には不動明王のご真言。」

 

表通りからここまでの角地です。伊勢屋はなかなかの大店です。

 

振り返ります。門前の大通りは「永代通り」で、その地下には「東京メトロ東西線」が走っています。

 

「人情深川ご利益通り」を行きます。

 

門前町を形成する商店を眺めながら行きます。

 

 

大きな屋根が現れました。

 

境内前に路地があります。東には富岡八幡宮の杜です。

この話、続きます。

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新聞に促されて門仲/富岡八幡宮境内

2021年03月18日 | 散文

新聞に促されて富岡八幡宮の境内に居ます。

 

富岡八幡宮拝殿です。横綱力士碑がある裏からやって来ました。

 

表参道の石畳です。

 

振り返る社殿です。 新聞記事を紹介します。「富岡八幡宮は、1627(寛永4)年、八幡神像の霊夢を見た長盛法院が、当時永代島と呼ばれた小島に創建したとされる。その後、周辺の砂州一帯は埋め立てられ、徳川将軍家からの保護も受けて、江戸随一の門前町として栄えた。」

 

境内に大関力士碑や、巨人力士身長碑があります。巨人力士の手形や有力関脇力士碑などもあります。

 

説明板です。

 

反対側には「深川めし」屋があります。

 

本店は深川江戸資料館前にあります。アサリ味噌汁ぶっかけご飯にしてはけっこうお高いですよ。

 

その前に、「伊能忠敬」像があります。「二百余年前、この『深川の八幡さま』にに通い、旅の安全を祈願した人物がいる。日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図『大日本沿岸輿地全図』(伊能図)を完成させた伊能忠敬(1745~1818)だ。」

 

「忠敬は上総国の小関(現千葉県九十九里町)の出身。下総国の佐倉(現同県香取市)で事業家として成功。幼い頃の『地球の大きさを知りたい』という夢をあきらめきれず、50歳で江戸に出てきた。門前仲町に居を構え、正確な一歩を積み重ねる歩測の練習をしながら浅草の暦局に通って、歴学や天文学を学んだ。その後、55歳から17年間にわたり、全国測量の旅にでかける。」

 

「忠敬は北海道から九州まで計10回の旅のうち、遠国に出かけた8回の出発前、門人と一緒に参拝したそうです」 「歩測しながらの過酷な旅は、数ヶ月から時には2年にも及び、忠敬自身の全旅行距離は計3万5千キロ。しかし、全図の完成を見ぬまま、忠敬は73歳の生涯を終える。3年後の文政4年、門人の手によって、全図は完成、幕府に献上されたが、明治期の皇居火災で正本が焼失するなどし、いまの日本人が伊能図の全貌を知るのは今世紀に入ってから。米国で大量の写しが見つかった2001年だ。今年は伊能図の幕府献上から200年にあたる。」

 

「世界測地系の採用を記念して」の記念碑です。

 

タイムカプセルもあります。

 

富岡八幡宮を退出します。

行き先は、すぐ隣と言っても差し支えない近くです。

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