平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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核兵器廃絶へ

2023年08月30日 | Weblog

核兵器廃絶へ

     戸田先生 原水爆禁止誓言66周年 2023年9月8日

1957年9月8日 戸田先生、神奈川で原子爆禁止誓言された。当時、世界の核兵器保有国の核軍核競争がエスカレートし世界濁る中、戸田先生が核兵器禁止誓言をなし灯りをともしたのだった。のち、弟子の創価学会第三代会長 池田先生が恩師の悲願実現へ世界平和へと行動された。この日は、創価学会、師弟誓願の日である

 

世界総合情報    2023年     

 ウクライナ、ロシア 戦死者 35,4万人 米軍

 

 ブラジル 前大統領 8年出馬禁止 権力乱用設定 上訴 7

 

ギリシャ 米国 乱射事件 2人死亡 パーティー会場 7

 

スーザン内戦 多数の死者 数百万人の家を追われる (内戦長期化)

 

イスラエル 大規模作戦 西岸で8人死亡 7

 

日本 核処汚生水放出 中国、韓国等反発 7

 

         核廃絶へ

      広島原爆投下 1945年8月6日

       1回の投下で約14万人が死亡

       長崎原爆投下同年8月9日

      1回の投下で死亡 同年12月末で7万3千人超

 

戸田城聖が1957年9月、原水爆禁止宣言を発表する。

その弟子の池田大作が、恩師の精神を受け継ぎ、世界へ核兵器廃絶を訴え、また、核廃絶提言し、また、平和行動されてきた。

 

核兵器の恐ろしさ 婦人体験談

 ピカッと、爆音、外に出ると、皮膚がワカメのように垂れ下っていました。全身真っ黒で、男女の区別もできない人もいました。
ある日、父が負傷した青年を連れて帰ってきました。お兄さんの頭は、4の1ほどがなくなっていて、傷口からウジが群がっていました。ウジを取っても取っても、なくなりません。とうとう、お兄さんは息をしながらなくなりました。     中島婦人    ( 2020年9月20日S新聞体験談)

 

 

婦人体験談 (当時学生 広島在)

 午前8時 一舜の閃光(せんこう)直後爆風  外に出た時、広島は地獄に変わっていた。 真っ黒に焦げた顔。赤くただれた皮膚、ボロボロになった服を着た血だらけの人たち、病院に押し寄せてきた。階段や玄関まで負傷者があふれていた。(助けて下さい)(子供がーーー)。   毎夜のように、病院の広場で遺体が焼かれた。絶えない炎と人間の臭い。(2016年8月7日S 体験談)


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