若い時国民病と言われていた結核に感染
肺に空洞ができ菌もたくさん出ていました
ただ安静にするしか治療法がなかった時代
ああもう死ぬと恐れおののいて居た
その時すがる思いで宗教のほんを沢山読みました
歎異抄もその中の一つでした
善人よりも悪人が優先して救われる
なんで?と疑問に思ったのですが
その後手術する治療法が出来幸い命はとりとめたのですが
あの時の疑問はいつも心のどこかに残っておりました
それから気を付けて見ていると
沢山の人々がそのことに引っかかているようで
繰り返し繰り返し 本 雑誌 テレビなどで取り上げられる
先日もNHKの教養番組でそのお話
で私なりに到達した心境を書いてみたいと思って
要するに4の5 の言わず阿弥陀様に全てを
まかせて念仏を唱えよ
相手に自分の全体重をかけよと
そうすれば人間善人も悪人もない
早く逝くか遅く逝くはは問題ではないと想います。
如何にして生きたかだと想います。
自分が人のために何が出来、力を注いだかです。
悪人はこれが出来ません。
自分のために生きているからです。
人のために生きられる人間になりたいですね(^-^)
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無理なようでしたら構いません。
自らを悪人と自覚する人こそ弥陀の正客ということです。
正に「弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」なんですねぇ。
失礼致しました。仏教者の端くれ・yo-サンでした。