先日3歳上の従姉妹がなくなって
その関連でその弟に逢うことが出来た
従姉妹の娘が計画してくれて
天皇さんと同い年の男の子(今では爺)
叔母に連れられて(4~5)歳くらいの時
わが家を訪ねてくれていた
来るたび兵隊さんを見に行こと私が誘い出して
43連隊と云う大きな兵営の(今は大学)門の歩哨
(鉄砲を体のわきに立て直立不動の姿勢で
不審なものの門にちかずくのを阻止する)
今考えると兵隊人形のようなそれが気に入ったのだろう
長い間立って見ていた
時によったら
(規模は小さいがイギリスの宮殿の衛兵交代のようなセレモニー)
歩哨の交代に出くわす事もあってボーナスをもらった気分であった
負んぶして帰ったことも
たのしかったなー昔 マッタケを風呂敷一ぱい持ってきてくれたなー
じいばあ二人時のたつのも体の不調も忘れて話がはずんだ
私はその叔母 (来てくれた人の母親)が好きであった
昭和の大恐慌(1926年)の波にさらわれて
一と言われていた豪農から転落して
町中で貧乏のどん底生活をしていた時
その叔母だけが手を差し伸べてくれた
裕福であったから?
いえほかの叔父叔母達も金持ちであったが
親戚にそんな貧しい家があるのを恥じて
寄り付きもしない
私の家が実家であったのに
私は今でもその叔母に感謝思い出すたびに涙がでる
昔からいう墓に布団もきせられずの心境なのです
戦争のどさくさの時自分の家の納屋によんでくれ
畑仕事を少し分けてくれ食糧難を回避させてくれたり
数えればきりがない
昨日来てくれた人も叔母そっくりで優しい感じに歳とっていた
男の人で優しいは社会の荒波を乗り切り家族を養う
にはきつい処があったであろう
短い時間ではて立ち至ったこともきけず
心残りではあったが車を運転してくれる人に気を使って
早々に帰って行った
また会ってもっと話てみたいと思うことしきり