雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

教育格差が未来を奪う?

2015-02-15 16:15:13 | 社会
今日の日経新聞に面白い記事が載っていた。
『教育格差が未来を奪う』というタイトル。”やまぬ機会不平等の連鎖”とのサブタイトル。

頑張れば必ず報われる、競争の機会は平等に与えられている・・という考え方をメリトクラシーと呼ぶらしい。
出自に関係なく能力と努力が到達地位を決めるという近代の基本理念なんだそうだ。
そして、世の中を支えるそんな原理原則が突き崩れているという危機感が広がって久しい。
親の経済力や家庭環境が学力を左右することの不安。
親の年収や学力を合成した指標(SES)と子供の学力との関係で、SESが高いほど学力も高いと
いうだけでなく、SESが最低で毎日家で勉強する子と、SESが最高で全く家庭学習しない子とを
比べてみた時、後者の方が学力が上だったという結果。
不幸の連鎖と言うべきこの事実をどう断ち切るか・・・みたいな、まあざっくりと言うとこの様な内容だった。

自分が読んで感じたこと。それは、そんなことは今に始まったことではないでしょ?ということ。
原理原則が突き崩れているという危機感が広がっている?何を言ってるのっていう感じ。
物事の捉え方自体が自分とは違うわ。

先ず、経済的な格差が学力とほぼ比例しているという話は、自分が小学校の時代からあった。
極端に言えばお金持ちの子の方が貧しい家の子に比べ、押しなべて勉強がよく出来た。
昭和30年代なんて今よりもっともっと貧富の差が激しかったと思う。
しかし今の時代と違って誇れることは、この件からは話は逸れるが、『貧しい家の子を、その他の子供たちが
貧しいことを理由には決していじめたりしなかった』ことだ。
夫々が自分たちの立場を理解していたし、静かだったし、必要以上にその問題についてあげつらったりすることは
無かった。
昔、まことしやかに言われていたこと。
知能指数の高い貧しい子と、知能指数が低くて家庭教師が付いている子とでは、家庭教師が付いている子の方が
学校の成績良いんだって・・・・という話。本当か嘘かは知らないが。
SES云々という話はこの件と似ている。

そして一番自分が強く思うことは、日本は資本主義の国だし民主主義だし、皆とても自由だと言うこと。
何をしようが法に触れなければ良い訳で。
お金持ちになりたければ一生懸命働けばよい訳で、その為に学歴が必要なら一生懸命勉強すれば
良い訳で、貧しくても今は奨学金制度もあるしで、貧しい=上の学校へ行けない だとは思わない。
貧しくて学歴が低いということが、貧困の連鎖になって居るとは決して思わない。

『努力は報われる』と自分は思う。そうでなければいけないと思う。
報われないと思う人はおそらく頑張りが、一生懸命度が足りないのだと思う。
上に立つ人たち・トップと言われる人たち。彼らが全て裕福な環境で育ち高い学歴を持っているかどうかは
知らないけれど、おそらく凡人には理解出来ないほどの思い、それこそ血の滲むような思いや我慢そして努力
をして来た人たちだ。

貧しくても立身出世した人だっている。
学歴が無くても貧しくても、頭と知恵と体と根性を振り絞って頑張ればいい。そうすればきっと道は開けるはず。
頑張ったら頑張っただけの結果だと思う。

貧困の連鎖と言うけれど、貧しい⇒学歴が無い⇒ちゃんと勉強していない⇒大きな会社には就職出来ない⇒
収入が少ない⇒裕福な暮らしは出来ない⇒結婚する。子供が出来る⇒でも親が頑張って働く姿を見せない。
怠けた生活をする。きちんと躾をしない⇒子供は親を見て、どうせ頑張ったって駄目なんだと最初から諦める
⇒だから勉強しない⇒・・・・同じことの繰り返し。
貧困の連鎖って、こういうところから来るのではないのか?これが嫌で、何とかしなくてはと頑張る人は
抜け出そうとするし頑張るし。貧しくても知恵と根性と体で這い上がれるでしょ?それをしない怠け者が
貧困の連鎖を繰り返さざるを得ないのでは?
だから人によるってことだと思う。
そりゃ裕福に生まれた方が恵まれているとは思う。でもそれが幸せの全てじゃないはず。
人は生まれる環境を自分で選べない。でも貧しい・・こんな親なんて・・と泣いているだけじゃ
何も変わらない。

世界は開かれているのだから、自由に生きれる日本と言う国に生まれたのだから
頑張って自分の手で、その貧困の連鎖と言うものを断ち切って欲しいと思う。
誰にでも成功するチャンスはある。でもそれは、誰にでも簡単なことじゃない。






美しい日本語を使おう

2015-02-15 13:13:43 | 社会
『今度、ばあばに連れて行ってもらおうか・・・。』
昨日久し振りに聞いた『ばあば』という言葉。電車の中での母親と子供の会話。

私は『ばあば』という言葉が大嫌いである。一体いつから、そんな呼び方が世の中に蔓延し出したのか!?
『じいじ』『ばあば』という呼び方、『パパ』『ママ』も嫌いだがそれ以上。
日本には”おじいさん・おばあさん又はおじいいちゃん・おばあちゃんという呼び方が昔からちゃんとあるでしょ。
もっとハイソなら、おじいさま・おばあさま ってね。
一体 じいじ・ばあば って 何語よ?そんな日本語無いよ。勝手に作ったんかい!

百歩譲って赤ちゃんの時に、まだおばあちゃんと呼びにくいから一時的に ばあば だったとしよう。でも長ずれば
その呼び方はおかしいよね。
私は夫々の家庭が家の中で、どう呼び合うかなんて、そんな細かいことを言っているのではない。家の中では
好きにすれば良い。しかし一歩外へ出て、幼児・子供だともう呼べないような年頃の子と、その親なり祖父母なりが
その言葉を使うと気持ち悪い。
世の中『じいじ』『ばあば』が蔓延し過ぎ。あんなの日本語じゃない。私は認めていない。

パパママもそう。大人になって他人の前でパパママはおかしい。大体偏見かも知れないが、パパママと呼ばれている
人に限って、パパママと言う風情・趣じゃないんだよな。

私んちは おとうさん・おかあさん・おじいちゃん・おばあちゃん だ。小さいうちからね。
最初は っばっちゃん・・・みたいな感じだけど、段々上手になって来る。
最近ではわざと『おばあ』と省略して呼ぶ奴も居る。

奇しくも昨日5歳児が『おかあさんはどうして”ちゃん”じゃなくて”さん”なの?』と聞いた。
おー鋭いところに気が付いたなと嬉しかったぞ~。
おばあちゃんは”ちゃん”だし、本人は〇〇ちゃんと呼ばれるから、おとうさん・おかあさんだけ”さん”なので
不思議だったみたい。さんでもちゃんでもいいよ。『おかあちゃん』て呼んでもいいよ~と言ったけど、
本人はおかあさんて呼ぶのと言ってたな。

とにかく外でじいじ・ばあばと呼び合うのはやめて。幼稚過ぎて気分が悪い。
聞いて気分が悪い人が居るということは、世の中の迷惑になってるということだから。やめるべし。
美しい・正しい日本語を使いましょう!