今は、4月3日水曜日午後3時です。今から、推敲、と、誤変換直しと、加筆を進めていきます。ずいぶんと、お金の話が連続していますが、それが導入であって、例のごとく、政治の問題です。
以下の文章を推敲を始めますが、その最先端は@@@@@罫線で示します。
またまた、普段どおりの、いろいろな、悪辣な策略の話が続きます。そして、全体の、文章の、流れとしては、前報「富士山は、爆発するか」の、続きです。例のごとく、ツィッター報式で、書かせていただき、書けた部分から公開し、それにつれて、副題をつけていくという形をとらせてくださいませ。
副題1、『偽者のゴルフ会員権を誤配達されて、お前は、貧乏だろうといわれた話の続き』
副題2、『これから、起きた、私の個展に、山本容子をぶつけてきた話』
副題3、『井上ひさしの三女は、父は、死の間際まで、歩いて病院に通ったというが』
副題3、『野球の人気は、復活するかな?』
副題4、『八幡宮様の、大太鼓を、連打する、諜略行為が、31日にあったので、わかること』
副題5、『八幡宮の大太鼓は、通常、打つ時間に、規則があるのだが・・・・・気色の悪い例外がある』
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副題1、『偽者のゴルフ会員権を誤配達されて、お前は、貧乏だろうといわれた話の続き』
はがきで、ゴルフの会員権は、送ってこないと思います。送り手側がお金を受け取り、はがきを受け取った側が、お金を払うものなら、たいていは、立派な封筒の中に入ったカラフルな、証書の形を取ります。そして、簡易書留か、書留で、送ってくるでしょう。だってこれは、8年ぐらい前の話ですから。まだ、会員権は高かったころの話です。
そして、仮にはがきで送ってくるとして、この誤配達は、純粋に郵便局の失敗だといたしましょう。だが、その同じころ、私が夜の12時ころ、帰宅したら、我が家の門前に竹箒が立てかけてあったのです。それは、ちょうど、私がオープンハウスというのをやり、一種のプレ画廊の形をとろうとしたころに、起きた形であって、しかも、鎌倉春秋窯で、同時期に三人展をぶつけてきました。いかにも、お前の企画はつぶしてやるんだ。お前が進歩するのは許さないのだという心持を表す行動でした。地元の主婦連中の三人展ですと、確かにお客はたくさん来ます。
私の方は、インターネットで、公開していますが、個人的には何のアタックも行わないので、お客が圧倒的に少ないです。そして、彼ら、伊藤玄二郎一派は、こっちが勝ったぞと、大喜びだったらしいのです。
ですから、このゴルフ会員権を装った、はがきの誤配達も、いわゆる諜略行為の一環だと考えます。しかも、その彼らの勝利への欲望は、後日、より拡大した形で、銀座でも、繰り返されたのでした。
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副題2、『銀座の画廊は、完璧に盗聴をされている。Oギャラリーは?』
私が、如何に大物か(笑)と言う点ですが、我が家が盗聴をされているように、銀座の主たる画廊は、すべて、盗聴をされているでしょう。その仕組みは、テレビドラマに出てくるような、コンセントとか、プラグの裏に、IT機器が、潜められていて、そこで、会話を聞き取るというような仕組みでは無いだろうと思います。
で、私が、どの画廊で、どういう会話をするかは、一切読み取られているのです。
田代さんという、三浦市在住の、銀座めぐりをする男性が居ます。だいたい銀座の画廊めぐりをする人間は私には顔見知りなのです。で、私は知っているつもりなので、冬の夜に、南天子画廊の前で、彼に向かって、「21+葉(または、藍画廊)と、なびす、K’sギャラリーに間に合うかしら? Oギャラリーは見ることができると思うけれど」と言いました。
それを、話しかけたのは、通常の画廊の終わる時間の、7時前ぎりぎりだったからです。私は田代さんの顔や風体を知っているし、いわゆる登山と同じ雰囲気で、ざっくばらんに話しかけたのでした。
外人も言っています。「登山道では、日本語会話の練習が良くできる」と。登山者の日本人が、フランクに、声をかけてきて、会話に付き合ってくれるので、日本語の自由会話の練習になると。私が田代さんに話しかけたのは、まったくもってそういう種類の話題だったのです。
その後で、彼と再び、Oギャラリーで出会いました。私はOギャラリーのオーナー大野博子さんからは、決して、大切には扱われては居ません。それは、平野和子さんか、誰かが、使者となって、悪口を吹き込んでいて、しかも、それとすれ違いに、大野さんを、リーダーとして、現代アート系の画廊が、集合して、情報誌を出していますので、大野さんは、莫大な高さで、レベルアップしました。まあ、それもね。厳選をたどれば私の存在があるわけで、院宣をつんだという例ですが、まあ、それは、それで、結構だと思います。二つの部屋があるのですが、両方とも、とても、いい作品を展示してありますから。
ところが、田代さんと、再び出会ったなと思ったときに、かれを大野さんが、より大切にしていますので、田代さんと大野さんは、私が帰った後で、世間話を交わしたと推察されます。これも、一種の手法であって、いじめ策の典型です。お客への対応を差別するという形で、いじめるのですが、そんな事は、五万とあるのに、その日のことが特に大切なのは、なんと、すさまじいコメントが、このブログへ寄せられたのでした。
@@@@@ここが、推敲および加筆中の最先端です。ところで、そのコメントを探している最中なのですが、あまりに時間がかかるので、ここで、本日、2013-4-3は、中断し、別の日に完成をさせます。あしからずご了承をいただきたく。その代わりといっては何ですが、その作業中に見つかった、下品でエロチックなコメントが寄せられた原文を上においています。すべて、とても重要な無いようなので、下品なコメントが寄せられて、皆さんが、お読みにならないように、・・・・・と、願う悪人が居るのです。@@@@@
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副題3、『井上ひさしの三女は、父は、死の間際まで、歩いて病院に通ったというが』
私は上のような、気色の悪い、アイデアを出すのは、鎌倉エージェントだろうと思っていますが、主に、井上ひさしであろうと思っています。上の策略のころは、完璧に彼は生きていました。だが、2010年の4月9日に突然に、肺がんで、死んだことにしたのですが、婦人公論で、3女の麻矢さんが、「父は最終段階でも、歩いて病院に通いました』と、書いているので、その一点からだけでも、その死がうそであることが読み取れたのです。ほかに、10点ぐらい、それと似た証明ポイントがありますが、本日はこれにこだわります。瀕死の段階の、肺がん患者を見ることのできるのは、個人のクリニックではなくて、病院だと思います。で、彼の家から歩いて行かれるのは、ふれあい鎌倉病院(旧名佐藤病院)か、清川病院しかありません。だが、両方とも帰りがひどく困難です。彼の家は、石段がない形で登ることはできますが、我が家と井上邸の海抜ゼロからの、高低差は、ほとんど同じであり、(水平差は、600メートルぐらいか?)急な上り坂を、15分程度、上り続けないとなりません。どうして、そんなことができましょうか?
この三女の記述は、タクシーなどを利用しなかったことの弁明に当たるのでしょう。
で、死んだことにして、引き続き、いろいろ、考え抜いている模様です。その功績に応じて、居間トヨタは、コマーシャルに、ひょっこりひょうたん島の、一種のリメイクを使っていますね。あの中で、ビートたけしと、つるべは、だいぶ前から、そちら側の人間だと、わかっていましたが、澤田研二が、用いられているのには、いささか驚きました。
まあ、いずれにしろ、トヨタという大資本の会社が、井上ひさしなどの様な、共産党を支援する人間を称揚するコマーシャルをつくり放映するというのが、どれほどの深いレベルで、共産党が、例の国際的軍産共同体の、私兵化している化をあらわしていますが、ともかく、井上ひさしは、数は力だという新年を持っているのでしょう。で、マスコミや、テレビを使い放題に使います。
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副題4、『野球の人気は、復活するかな?』
トヨタは、現在は、アメリカ出身の豊田章夫社長が、彼らに使役されまくっている会社ですが、この、ひょっこりひょうたん島のコマーシャルは、報道ステーションで見つけて、その後、ニュースの分析と絡めて、ひどいものだと、私が書いた後では、報道ステーションからは消えていました。
ところが日本テレビの、野球中継の中で、散々に使われているのでした。ところで、プロ野球の人気が復活しそうです。大谷君やら、藤浪君などの、高校球児の人気者が、プロ野球に入団し、しかも、栗山監督のように、頭のよい人間が、さっとタイミングよく使いますので、話題が盛り上がります。
うちの主人や、野球少年ではないのですが、でも、後楽園ドームに応援に行くような人々が、一番善良な日本人だろうとよく言っていて、久しぶりに、チャンネルをそこに合わせて、巨人対広島を見ていました。したがって、その最中に、帰宅した私は、その気色の悪い、ひょっこりひょうたん島をリメイクしたコマーシャルを何度も見せ付けられることとなりました。
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副題5、『八幡宮様の、大太鼓を、連打する、諜略行為が、31日にあったので、わかること』
ところで、これは、連続してお読みいただいているか確か、ご理解をいただけないかもしれませんが、私があまりに真実を書くので、弾圧しようとして、いる敵方が、最も使うのが音による攻撃です。だが、攻撃というものは、すべて、諸刃の剣でもあって、それを受けるたびに、私が、さらに、真実に近づくというのも事実なのです。
井上ひさしが、生きていると書いていると、開発ちえさんが、「彼女(私のこと)は、井上ひさしが、生きているなどという、きちがいだから、問題に死なさんなと、ほかの人が言っていたから、あなたなんか、問題にしませんわ」という個人メールをくれたことがあります。で、開発さんに、その様な忠告をしたのが、仮に、梅森伸一君だと仮定をして見ましょう。君呼ばわりして悪いのですが、開発さんに、べったべたに慕いよる感じがフェイスブックでは、日常的に見られたので、そこからは、開発さんよりお若いのでしょうから、その様に、現在70歳の、私は彼を呼びます。
でもね、開発さん(基盤は、福井市)しろ、梅森君(基盤は、苫小牧かな?)にしろ、鎌倉の住人ではありません。で、彼らは私が判断する音による、判断はできないのです。私は音によって、井上ひさしが、生きていると判断をするのですが、そのもっとも顕著なしるしのひとつが、八幡宮様の大太鼓であるのです。別に、井上家で、シャワーのスイッチが入ったから、彼が生きているのがわかったといっているわけではありません。
私に自然に聞こえてくる防災無線の音、および八幡宮様のマイクの音、および大太鼓の大人のです。それと、安野家が立てる音。これらが判断の基準になっています。
日曜日の午後に、八幡宮様が、大太鼓を、50発程度、連打なさったのです。それで、彼らの悪巧みがすぐわかり、こういうことを八幡宮様にやれというのは、それこそ、井上久の発案であろうなあ。連絡係は、伊藤玄二郎か、それとも、警察署長か、それとも、酒井忠康氏か、それとも、神社庁の誰かなのだろうか?と、ひそかに不思議には思いますが、
今、私が考え始めたのは、もしかすると、我が家の近辺の安野夫妻やら、前田夫妻の進言に鶴岡八幡宮様が、「イエス、そういたします」とおっしゃると言う考察です。そうなると、世も末ですね。
どうしてそういうかは、
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