銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

前衛的・オムニバス映画『TOKYO!』、・・・・・1

2009-03-03 22:11:24 | Weblog

 一昨日は、二、三の、自他共にまつわる偶然が重なって、映画『トウキョウソナタ』ではなくて、外人監督三人による、前衛的・オムニバス映画『TOKYO!』を見る羽目に陥りました。

 この映画の第一話と、第三話は、結構面白いです。よく出来ています。しかし、第二話に大きな疑問を感じるので、皆様に「ご覧になってください」と、お勧めする気は毛頭ありません。劇場で若い人が、見ていましたが、映画を見た感激とか、感動が浮かんだ顔をしていませんでしたし。

 ただ、メディアは、この映画に関して、大量の情報を流していました。広告ではなかったのですが、結局は広告に当たったと思うほどの、大宣伝をしていました。そして、毎週二回は私がそこを通る、銀座の和光から田中貴金属までの歩道が、大きな舞台になっていますし、渋谷や、杉並でも撮影されているのです。だから、本当ならわくわくさせられる面白さを感じるはずなのですが・・・・・『あに、はからんや』と、いう結果になる、映画でした。

 しかし、外国の著名な監督が、三人も集まって作られた映画ですから、例の、私がいつも文句を言うプログラムは、さすがによく出来ていて、充分にデータとして役に立ちました。そして、後に、残せるものとなりました。

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 さて、これは、何とか、プロジェクトの一貫として、制作をされた映画らしくて、撮影は、2007年の8月、第三話から始められました。監督は韓国のボン・ジュノ氏で、国際的な評価が高い監督です。『グエムルー漢江の怪物ー』他の作品がある方です。

 筋は、純愛が完成する瞬間が、地震が大きな引き金となったという設定です。その純愛の表現がいかにもアジア的なテーストに彩られていて、そこは、『ああ、やはり、韓国人も日本人もアジアの人間なのだ』と、感じさせられました。すぐ体に手を回したりしないのです。眼と眼だけで見つめあう恋愛。

 主人公は、香川照之演じる11年間も引きこもりを続けている青年です。その引きこもり生活の描写が延々、十五分近く続くのですが、全く観客にあきさせないで、単調な画面を持たせる、彼の演技の質と、監督の力量には感心したし、引きこもり部屋の装置もすごくいいです。引きこもりの部屋と言うと、宮崎勤の部屋(漫画と、ビデオが、満載の部屋)を想像しがちですが、全く違うのです。完璧に整理整頓をされた部屋で、しかも壁には宅配ピザの箱が、整然と積み重ねてある、その異様さと滑稽さと、・・・・・

 このピザと言うことは、納得です。私はニューヨークのホテル・チェルシーで、「あなたの隣の部屋の人が、日本人でしかも引きこもりなのですよ」と聞いて以来、どうやって、その生活が成り立っているか、不思議でならなかったのですが、この映画を見て納得をしました。

 つまり、この映画では、その収入源は親からの仕送りとなっています。なるほど。そして、生活必需品はすべて、電話による配達で、持ってきてもらうという設定です。一週間に一度だけ、宅配ビザを取る。なるほど。なるほど。毎日ではピザは飽きてしまいますし。野菜が少なそうで、病気になりそうですが、外へ働きに出る必要が無くて、読書だけをしている生活なら、ビタミンが足りなくてもやっていかれるのでしょう。本はトラックに二台分を古本屋からもってきたそうで、箱入りの豪華本やら、全集が一杯です。美術スタッフが監督の考えどおり、鍛え抜かれた装置を作り上げています。

 そのピザ配達人として、蒼井優が現れるのです。彼女は清潔な、しかも、とても柔らかい表情を出せる若手女優さんで、テレビ放映で、『フラガール』を見ましたが、こちらの、役では、主人公をとうとう引きこもりから世の中に引き出す役目を担うのです。が、かといって、前向きな活発な性格でもなくて、今現在ありがちな、思春期の問題も抱えていそうな、人格・設定です。

 それは、その<<<内部からの張りを見せる>>>美しくて若々しい肌に、これまた、美しい彫り物をしていることでも察せられます。それは、小さなボタンで始まる英単語です。そのボタンはさまざまなデザインで、一個、一個違うのですが、最後の場面で、主人公が、彼女を追って、家を出て、愛を告白する際に、love と、いう単語のボタンを押すという設定になっています。これは、新鮮でかつ夢のある素敵な設定です。

 もし、この第三話だけを独立した短編映画として公開したら、人々が、後味のよい映画だった。もう一回見たいと願う種類の、傑作となったでしょう。

 しいて難点を言えば、主人公の引きこもり青年が、これまた、引きこもり状態になってしまったと聞かされた少女を追いかける場面が、ちょっとですが冗長であります。また、少女を、彼女の引きこもりから状態から引き出す、三回目の地震の場面でも、町の人々の、フリーズ状態の描写の場面が、冗長です。

 それは、その二つの場面では、香川照之の、表情描写が少ないからでしょう。それほど、彼の演技力は高い。

 ここで、挿入となりますが、・・・・その難点のあると、私が言う・・・・場面でも、撮影手法自体には、びっくりします。東京の街、特に渋谷のスクランブル交差点に、誰も人がいない時間帯に撮影しているから。・・・・・『多分、夏の早朝、四時半か五時に、少し交通制限をして撮っているのだろう』と感じます。

 これは、東京の人がすべて、引きこもってしまったという設定だから、こうなります。渋谷以外にも、いろいろな街角で、人も車も誰も通らない白日の下の撮影と言うのが、あって、そこが、この古典的なラブ・ストーリーを前衛映画たらしめている由縁でしょう。

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 この映画のキャストは、監督がすべて選んだそうですが、竹中直人、松重豊をはじめ、端役に至るまで、演技レベルは高いです。『この一篇は、この、オムニバス映画の中に組み込まれてしまっている事が惜しいなあ』と思うほどのできです。

 しかし、これからは、私独特の推理ですが、この映画の製作目的が、第二話のメッセージをサブリミナル効果として、観客に埋め込むことにあると思いますので、この第三話、もしくは、第一話を独立した、作品として公開するのは、無理なのでしょう。

 では、長くなりますので、いったん、ここで、切らせていただきます。

2009年3月3日            雨宮舜 (川崎 千恵子)

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