昨日は、「これ(=前報)を、あさっての日曜日に推敲をします」と前回に言いました。が、テレビを見ていたら、有名なアリアが出てきて、急遽お約束を破って、本日の新しい文章を上げさせていただくことにしました。どうか、ご容赦のほどを。
そして、この文章自体もまだ推敲ができていませんが、旅行の準備に入りますので、ここで、途中までの推敲でお許しくださいませ。
副題1、『勘違いも、多い最近。が、それを生かして』
副題2、『この12日に、前段階の調査をしていて』
副題3、『びょんぶは、国会図書館にもない。変だぞ。怪しい』
副題4、『芸大図書館にも、一橋大学の図書館にも、びょんぶは、無いのだった』
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副題1、『勘違いも、多い最近。が、それを生かして』
今日も外出して遅く帰ってきました。朝の9時半に出たのに、夜の八時半に帰宅してきました。それは、3年前の、母が生きていたころのスケデュールと同じです。
ずっと、体力が落ちているのに、久しぶりに、あっちへ行ったりこっちへいったりしました。
最初は東急の株主総会へ行くつもりだったのです。オーチャードホールを使うと言うのなら、1000人近く出席すると言うことでしょう。それは、この間出席したNTTより少ないと言うことですね。その差とか、を確かめたかったのです。「お土産が、ありません』と書いてあると言うことは、この間もらった五枚のリーフパイが、NTTのお土産だったと言うわけですか?
東急電鉄は、株主優待券と言うのをくれますから、それを差し引いて、お土産がないのだと思えば、それでいいです。
ところが、あにはからんや、日にちが間違っていました。(笑)
で、午前中から東京に居るのは、非常に珍しいことですから、前からやりたかったことをやりましょうと、決意しなおします。
やりたかったことは、芸大図書館に行って、楽譜をコピーすること。芸大図書館には何度もいっているのに、どうしてか、今まではそれができなかったのです。でも、今回は、最後までやってみるつもりでした。
何事もこちらの気力がしっかりしていて、目的もしっかりしていると、最後まで、できるものですね。
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副題2、『この12日に、前段階の調査をしていて』
実は、母校で、学長招待の同窓会がありました。それが、図書館がテーマです。それはね。もし、100%書いていいのなら、深い政治的なテーマが隠されています。
敵のトップと、私にはそれがわかっています。だが、それを、今書くと七面倒なことが起こりますので、いつものとおり、30%だけ書きます。
私はね。『あ、そうですか? そう言うことですか?』とは思いましたが、それと同時に、それはそれとして、『私は、私で、この機会を生かすわ』と、考えたわけです。
そのひとつは母校の図書館と言う蔵書の多い立派な図書館で、『びょんぶ』という本を探すことなのです。これは、伊藤玄二郎氏が、ポルトガル国の、勲章をもらう動機となった本なのですが、
私にとって重要なのは、河出書房新社で、出版されていることなのです。
伊藤玄二郎氏は、1966年か、1967年に中央大学を卒業した後で、旧河出書房に入社しているのですが、本人のホーム頁によると、たった一年で、退社したこととなっています。
河出書房は、売れている大衆的な雑誌、特に週刊誌を持っていません。白水社とか、みすず書房も持っていません。比較すると、小学館は持っています。それゆえか、小学館って、ものすごいビルを持っていて、スピンオフした祥伝社も豪壮なビルです。さすがに、岩波書店は、大衆的な雑誌と週刊誌を持っていなくても、大ビルですが・・・・・
読者からみると、とてもよい本を出していると見える出版社が、経営的には、苦しいらしいのです。だけど、経営的に苦しいと、いうまさにそのときに逃げ出すとは、・・・・・特に入社したばかりで、逃げ出したのなら、元から居た、長年の社員には嫌われるのではないでしょうか?
そういう伊藤玄二郎氏が、どうして、河出書房新社から、出版できるのでしょうか? いや、普通なら、違う出版社を選ぶはずです。今の河出では、すでに、当時の社員はすべて、退職していると言っても、でも、依頼するほうが、恥ずかしくて、依頼しないはずです。特に伊藤玄二郎氏は、井上ひさし氏と鎌倉で、ひどく仲良しなのですから、そちらからの紹介で、どこの出版社からだって、本を出版することは可能でしょう。
また、自分自身が出版社の社長なのですから、自社から出せばよいでしょう。しかし、河出書房新車から出しています。
不思議ではあるが、一点だけ、河出で出版すると、彼には得になり、私には損になる点があります。
つまり、その本を編集した人物が、もし、私の旧来の友人だったら、そこで、その人が、私から離反をさせられ、私が孤立化するからです。
河出には、伊藤玄二郎と、同期入社の川名昭宣氏がいて、その人に本を編集してもらえば、その際に、私の母校、ICUに大きな楔を打ち込めると、伊藤玄二郎氏が考えたとしたら、それは、『いいですねえ。うまい考えですね』と、言うアイデアのひとつでしょう。
そして、『もしそうだったら、あれも、納得できるな。これもなぞが解けるな』と言うことが、たくさんあるのです。が、それを、文章として公開する前に、川名氏が、その本の編集者であったかどうかを、知りたいと思っていました。
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副題3、『国会図書館にもない。変だぞ。怪しい』
で、国会図書館に行って、その本を調べました。が、ないのです。河出書房新社で、出版した本なら、ISBN番号もついているだろうし、書店で売るための整理記号であるバーコードもついているでしょう。それが、どうして、国会図書館にないのでしょう。無論、似たような本はありました。でも、題名はポルトガルであり、『びょんぶ』ではないし、共著者も高野女史ではないのです。
そして、そちらは、叢書の一冊で、一種の教科書ですね。これで、エンリケ皇太子賞という勲章が出るのはおかしいです。きっと別に、『びょんぶ』と言う豪華本があるはずなのです。
国会図書館は、私はすでに深い疑問を持っています。
第一に、父の記事がない。マイクロフィルム化によって、満州の新聞の文化面が、すべて、抹殺されてしまった。我が家には紙の切抜きがあったが、すべて、盗まれている。
それが、前歴としてあるので、このびょんぶの方も抹殺したと言うか、便宜的に隠したと、私は、推察しました。これが、20年前だったら、私のほうがスピード感にあふれていて、先回りして、調査して、必要なことはすべて把握しました。調査完了と言えるところだったのですが、あれから20年のうちに敵も進歩したみたいです。
敵さまたちも、さるもので、今回は、ずいぶん頭を使っていて、私が、ちょっとでも、ヒントを与えたことは先回りして、傍証をつぶしてかかるのです。川名君が編集していたのではないかと言うヒントは前々から与えているので、すべての図書館から、その図書を引き上げるか? または、そのタイトルの検索機能だけ、つぶしたのか?
でもね。びょんぶ(日本語の屏風から派生したポルトガル語)というタイトルがついている本を出版したことが、原因で、勲章をもらえるぐらいですから、美術書の体裁はとっているはずで、そう言う本には政治的な意味合いは、表向きはありません。
だけど、国会図書館がそれを、隠すのなら、伊藤玄二郎は、それこそ、現代日本を真に支配している、国際的軍産共同体のエージェントであり、自分を守るためなら、国会図書館さえ左右するほどの権力を握っていると言うことになります。つまり、何を彼が恐れているかと言うと、種々さまざまな言論弾圧を私に対してすでに行っているのですが、それらは、証拠がないことだから、いつでも逃げられると思っているわけです。が、紙の本は、そこだけ、頁を切り取るわけにもいきません。
まあ、そのうち、編集しなおして、再度配布するかもしれませんがね・・・・・この2012年、6月22日まではインターネット上の伊藤玄二郎の経歴の文章の中では、あるのだけれど、実物の本は、見つからなかったと、申し上げておきましょう。
それで、いいのだろうか? だって、表向きは彼は、一私人ですよ。関東学院大学の教授ではある。だけど、彼の経営する出版社・鎌倉春秋社より、大手の出版社は、いくらでもある。どうして、これほど、厚遇をされるのです。
自分の悪さの物的証拠となるから、いったん納本した本がないことにしたいというのはどういうことなのだろう? 自分で自分の著書に対して行う焚書ですね。驚いた。(苦笑)
大学教授になれた。『天国の本屋』と言う大衆小説が当たって、何らかの賞をもらっている。そして、岩波ホールで有名な高野女史と組んで、あらわした、豪華本らしい、『びょんぶ』で、ポルトガル国の勲章を得た。
そこまではいいといたしましょう。だが、電車の遅延現象が多発するようになったり、NHKの番組を私物化したり、とんでもない恣意の発露が多すぎます。それと、彼の企画や、絵図によって、動かされる、石川和子・柳沢昇夫婦の、おぞましい行為の数々。また、それらに迎合する、主体性のない主婦連中による、大きすぎる迷惑行為を、数々受ける私が、その被害総額は五億円に喃々としている今、その、攻撃のもっとも大いなるキーパーソンが、どういう手法でいじめや弾圧を行っているかの、証拠固めができる、びょんぶという本を、私が、探しまくるのは、当然のことだと考えます。
@@@@@@@@ここが、推敲後の最先端です。
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副題4、『芸大図書館にも、一橋大学の図書館にもないのだった』
こういうことは普通はないのです。国会図書館は、本当はそうであってはいけないのに、父の資料がうせた(石油を研究する技師としての傍ら、油絵を書いていて、ある種のスターであった。それは、満蒙融和、語族協和の象徴でもあった。というのも父の絵はすべて、テーマが中国の遺跡だったからです。
しかし、甘粕総裁の部屋、理事長の部屋、などを飾っていた絵はすべて、中国人によって、切り裂かれていたそうです。まるで、フォンタナの絵のよう荷。そして、無論のこと、ラストエンペラーの宮殿を飾っていた大同の洞窟内石仏の絵も、今はないでしょう。焼かれたか、破かれたかで。
で、ね、私は我が家から映画のプログラムも盗まれているし、ともかく、身辺に、データの盗みも大きな出来事(被害)として、出来しているわけです。その根本原因は、ご近所の安野夫妻、石川和子・柳沢昇夫妻、前田祝一・清子夫妻などの、このたこ部屋的地形の中であることを利用した、わがままな生活態度から生まれていますので、昨日のような激しい、分析が出てくるわけです。
今日は、本を隠されたことについて述べていますが、登記簿謄本も、原簿の記載が、過去、一代前までしか、入手できないとか、まるで、調査不能の状態にさせられていて、悪者はのさばりかえります。
現代のジャーナリズムは甘すぎるでしょう。
小沢離党についても、『暗闇の』金が、海外から、流入するから、お金に困らないので、平気で離党ができるのです。私は民主党を好きではありませんが、時の内閣は支持することにしていますが、民主党の議員数を減らせば、国庫から出る、党員用のお金が少なくなるわけですね。それを脅かしの道具として今使っていますね。そう言う部分について、きちんとわかりやすく報道するメディアがありません。
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副題6、『今、本の検索は、全部インターネット経由ですね』
私は、国会図書館、国際基督教大学図書館、一橋大学図書館、芸大図書館の順で、探しまくっているのですが、現在、ほんの検索は必ず、インターネット経由で行うこととなっています。
それで、研究の自由が保障されていません。
書くことの自由も保障をされていませんが、研究の自由も保障をされていません。このように、あとがきに、「編集者としての、川名昭宣氏に感謝します」と言う言葉が書いてあるかどうかを、調査したい私の目の前から、一切の実物が消えてしまっていると言うのは、本当にあくどいことです。
ところが、恥の感覚に訴えて正していこうと思っていた私にとって、敵は日本人ではないらしくて、・・・・・国会図書館の館長は日本人ですよね。一橋大学の図書館には、びょんぶが、最初からなかった可能性は高いです。そして、国際基督教大学にもなかったといたしましょう。
だが、芸大図書館と、国会図書館には絶対にあるはずなのです。それがないし、本の検索はすべて、インターネットですから、「びょんぶ」と言う書物が検索をされたかどうかを調べるのは簡単です。すでに、4回検索調査をされており、すべて、検討すると、私だと言うことになります。と言うのも今は国会図書館も、館内閲覧だけでも、身分証明書が必要ですから。
すると、伊藤玄二郎は、ますます、警戒して、隠すでしょう。
しかし、私はこういう現象を見るにつけ、その本の編集に川名君はかかわったと、みています。だが、もう少し、確証を得るのを待って、これから先の部分を書きましょう。どうして、それが、大切かと言うと、伊藤玄二郎が、どういう風に、私の友達を奪っていき、裏切るようにさせていったかが、よくわかるからです。
ひとたらしの天才は、昔、自分の方が『おぼれる船である、河出を去ると言う形で、裏切っていて、いやな思いをさせた相手さえ、協力者として仕立て上げるから、
小、中、高などの他の学校の、同窓会が、どういう風に侵食をされ、どういう風にして友達が奪われたかが類推できるようになるからです。
そう言う確証を得たら、それ以降は、私がどういう被害をそこから受けているかをも、一種の傍証つきで語ることができるからです。
その点は待っていてくださいませ。心理的に、かつ哲学的に小説より面白いお話が展開するはずです。
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副題5、『しかし、政治とともに芸術だア』
私はね。本当は、芸術のこと、一本で進みたいのです。だが、とんでもない妨害を受けます。最近も園芸への破壊行動と、室内への侵入があります。
だから、芸術に専念ができません。
でも、非常に強い決意を持って、そこから離れないように、気をつけているし、生活を常に引き締めています。園芸に凝っているのも体調を整えるためです。30時間徹夜でパソコンを打っているという生活では、早晩死ぬよ」という生活に他ならないですから。
私はそれだけの集中こそ、大きくて、質の高い仕事を生み出す、土壌だと思っているのです。パリで、1998年、ニューヨークで、1999年、と、2000年に修行したときは、週のうちの三日はほぼ、3時間程度しか寝なかったし、合致勝ちにやせていましたが、アドレナリンが出るのか、三ヶ月程度なら、人間死ぬものでもないのです。
が、日本に居ると、三ヶ月とか、何ヶ月と言う期限がないものですから、つい、数ヶ月から、一年間丸まるという形で、体を酷使してしまいます。
これでは早死には当たり前ですね。
で、挿入から元へ戻れば、芸大図書館にいけば、「びょんぶ」と言う本を探すとともに、長年、ほしかった楽譜も探すと言うわけです。
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副題7、『予備調査も、利いたし、カウンターにあった音楽辞典にもサポートをされた』
この6月12日に、母校で楽譜を探すときに、母校にはないということがわかり、国立音大にあるということも教えてもらいました。
その際に楽譜は、意外にも、ピアノなどと違って、オペラ一曲全部が最初から最後まで、載っているものが少ないと言うことには気がつきました。スコアと言って、オーケストラ用の楽譜は最初から最後まで、順序良く一冊の楽譜として、構成をされているのですが、
有名なアリアは、ソプラノ用の、有名なアリア全集とか、テノール用のアリア全集と言う、わりとポピュラーな形で、本となっているケースが多いと言うこと・・・・・そこまでが、予備調査の段階でわかっていたことでした。
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ここで、挿入ですが、私が真実ほしがっていたような種類の楽譜は、書く、お教室のほうにすでに移動をしていたみたいです。つまり学生を教える教授の元においてあること。そして、その研究室では、ただ、信用をして、何もチェックしないで貸し出すのか? それとも、誰か、秘書とか司書とかがいて、管理をしていて、ノート記載等で、貸し出すのかは、わかりません。
ともかく、音楽を自習しようとするのは、なかなかに、門戸が狭いものではあります。
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そう言う知識を踏まえて、やっと、本日になって、以前から、ほしかった二曲の楽譜を手に入れられました。
それは、2曲ともプッチーニの作曲したアリアです。
一曲は、ジャンニ・スキッキから、『私のお父さん』で、5年ぐらい前に、テレビ東京の美術番組のタイトル音楽として使われていたので、覚えてしまった曲です。だが、耳からだけではなくて、正式に楽譜をさらってみたいのでした。でないと安心できないのです。これはソプラノ用。
次が、トゥランドットから、『誰も寝てはならぬ』、テノール用。こちらは荒川静香さんが、トリノ・オリンピックで使いましたが、私も、それとそっくりな衣装を着て、カラフ王子(ただし、太った中年だった)が歌うのを、メトロポリタンオペラで、ニューヨークで聞いています。
こちらも耳からうろ覚えはしていますが、きちんと楽譜をさらってみたいです。
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副題7、『フジテレビの今日のドラマは、そのネッスン・ドルマがキーだった』
さて、帰宅後、30分以内で、まだ、夕食も食べていないときに、主人が、恒例のミステリーを見始めました。本日は森村誠一原作で、V6の坂本君が準主役の、捜査線上のアリアです。
バッハの有名なバイオリン曲、G線上のアリアをもじっているわけですが、主役の若村真由美さんが、きれいで、筋も大体、違和感がなくて楽しめました。
私は無論、見るつもりはなかったのです。今日も買ってきた、花の苗を、鉢に植える必要があったし、明日から旅行に出かけます。その前に同窓会もあります。準備が大変ですから。
ところが、のっけから、この有名なアリア、特に上に上げた二曲のうちの、『誰も寝てはならぬ』が、出てくるではありませんか?
意やあ、自慢しちゃあいけませんが、余りにも鋭く高いチャネリング能力だと思いますよ。われながら。われながら、驚きました。テレビは、地上には、ほとんど関心がなくて、特に、二時間ミステリーは関心がないほうです。
だけど、本当に驚いたのは、熱すんどるマと言う、単語が、V6の坂本君から、始まって、30分ぐらいで出てきたことです。昨日までだったら、とても小さな活字で、CDについている本のタイトル欄で、それを見たかもしれませんが、頭には入っていませんでした。
だが、今日コピーしたコピー元の本はイタリアで、出版をされた名曲集(Anthology)で、日本語がどこにもないので、しっかりと、誰も寝てはならぬ野現代が、ネッスン ドルマだったことが頭に入ったのです。スペルは、Nessun dormaです。
まあ、いってみれば、小さなお話です。しかし、毎日、毎晩、毎昼間も、一瞬の隙も緩みもなく、四方・八方に神経を注いで、書き調べて、かつ、家事をしながらものを考えている私に、とって、
こんな些細な事でさえ、純粋な喜びなのです。ああ、なんて、私は勘が鋭くて、引き寄せるのだろう。・・・・・と、思えば、ニコニコしてしまいます。
フジテレビは相当な準備期間をかけて、このドラマを撮影したのであろうに、私はまさに、その放映日というジャストタイミングで、この楽譜を手に入れ、ネッスン ドルマという単語も頭に入れたのだから・・・・・と、ほほが緩む感覚を覚えるのでした。
昨日の文章も、前のものもまた、推敲してアップしなおします。では。
そして、この文章自体もまだ推敲ができていませんが、旅行の準備に入りますので、ここで、途中までの推敲でお許しくださいませ。
副題1、『勘違いも、多い最近。が、それを生かして』
副題2、『この12日に、前段階の調査をしていて』
副題3、『びょんぶは、国会図書館にもない。変だぞ。怪しい』
副題4、『芸大図書館にも、一橋大学の図書館にも、びょんぶは、無いのだった』
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副題1、『勘違いも、多い最近。が、それを生かして』
今日も外出して遅く帰ってきました。朝の9時半に出たのに、夜の八時半に帰宅してきました。それは、3年前の、母が生きていたころのスケデュールと同じです。
ずっと、体力が落ちているのに、久しぶりに、あっちへ行ったりこっちへいったりしました。
最初は東急の株主総会へ行くつもりだったのです。オーチャードホールを使うと言うのなら、1000人近く出席すると言うことでしょう。それは、この間出席したNTTより少ないと言うことですね。その差とか、を確かめたかったのです。「お土産が、ありません』と書いてあると言うことは、この間もらった五枚のリーフパイが、NTTのお土産だったと言うわけですか?
東急電鉄は、株主優待券と言うのをくれますから、それを差し引いて、お土産がないのだと思えば、それでいいです。
ところが、あにはからんや、日にちが間違っていました。(笑)
で、午前中から東京に居るのは、非常に珍しいことですから、前からやりたかったことをやりましょうと、決意しなおします。
やりたかったことは、芸大図書館に行って、楽譜をコピーすること。芸大図書館には何度もいっているのに、どうしてか、今まではそれができなかったのです。でも、今回は、最後までやってみるつもりでした。
何事もこちらの気力がしっかりしていて、目的もしっかりしていると、最後まで、できるものですね。
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副題2、『この12日に、前段階の調査をしていて』
実は、母校で、学長招待の同窓会がありました。それが、図書館がテーマです。それはね。もし、100%書いていいのなら、深い政治的なテーマが隠されています。
敵のトップと、私にはそれがわかっています。だが、それを、今書くと七面倒なことが起こりますので、いつものとおり、30%だけ書きます。
私はね。『あ、そうですか? そう言うことですか?』とは思いましたが、それと同時に、それはそれとして、『私は、私で、この機会を生かすわ』と、考えたわけです。
そのひとつは母校の図書館と言う蔵書の多い立派な図書館で、『びょんぶ』という本を探すことなのです。これは、伊藤玄二郎氏が、ポルトガル国の、勲章をもらう動機となった本なのですが、
私にとって重要なのは、河出書房新社で、出版されていることなのです。
伊藤玄二郎氏は、1966年か、1967年に中央大学を卒業した後で、旧河出書房に入社しているのですが、本人のホーム頁によると、たった一年で、退社したこととなっています。
河出書房は、売れている大衆的な雑誌、特に週刊誌を持っていません。白水社とか、みすず書房も持っていません。比較すると、小学館は持っています。それゆえか、小学館って、ものすごいビルを持っていて、スピンオフした祥伝社も豪壮なビルです。さすがに、岩波書店は、大衆的な雑誌と週刊誌を持っていなくても、大ビルですが・・・・・
読者からみると、とてもよい本を出していると見える出版社が、経営的には、苦しいらしいのです。だけど、経営的に苦しいと、いうまさにそのときに逃げ出すとは、・・・・・特に入社したばかりで、逃げ出したのなら、元から居た、長年の社員には嫌われるのではないでしょうか?
そういう伊藤玄二郎氏が、どうして、河出書房新社から、出版できるのでしょうか? いや、普通なら、違う出版社を選ぶはずです。今の河出では、すでに、当時の社員はすべて、退職していると言っても、でも、依頼するほうが、恥ずかしくて、依頼しないはずです。特に伊藤玄二郎氏は、井上ひさし氏と鎌倉で、ひどく仲良しなのですから、そちらからの紹介で、どこの出版社からだって、本を出版することは可能でしょう。
また、自分自身が出版社の社長なのですから、自社から出せばよいでしょう。しかし、河出書房新車から出しています。
不思議ではあるが、一点だけ、河出で出版すると、彼には得になり、私には損になる点があります。
つまり、その本を編集した人物が、もし、私の旧来の友人だったら、そこで、その人が、私から離反をさせられ、私が孤立化するからです。
河出には、伊藤玄二郎と、同期入社の川名昭宣氏がいて、その人に本を編集してもらえば、その際に、私の母校、ICUに大きな楔を打ち込めると、伊藤玄二郎氏が考えたとしたら、それは、『いいですねえ。うまい考えですね』と、言うアイデアのひとつでしょう。
そして、『もしそうだったら、あれも、納得できるな。これもなぞが解けるな』と言うことが、たくさんあるのです。が、それを、文章として公開する前に、川名氏が、その本の編集者であったかどうかを、知りたいと思っていました。
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副題3、『国会図書館にもない。変だぞ。怪しい』
で、国会図書館に行って、その本を調べました。が、ないのです。河出書房新社で、出版した本なら、ISBN番号もついているだろうし、書店で売るための整理記号であるバーコードもついているでしょう。それが、どうして、国会図書館にないのでしょう。無論、似たような本はありました。でも、題名はポルトガルであり、『びょんぶ』ではないし、共著者も高野女史ではないのです。
そして、そちらは、叢書の一冊で、一種の教科書ですね。これで、エンリケ皇太子賞という勲章が出るのはおかしいです。きっと別に、『びょんぶ』と言う豪華本があるはずなのです。
国会図書館は、私はすでに深い疑問を持っています。
第一に、父の記事がない。マイクロフィルム化によって、満州の新聞の文化面が、すべて、抹殺されてしまった。我が家には紙の切抜きがあったが、すべて、盗まれている。
それが、前歴としてあるので、このびょんぶの方も抹殺したと言うか、便宜的に隠したと、私は、推察しました。これが、20年前だったら、私のほうがスピード感にあふれていて、先回りして、調査して、必要なことはすべて把握しました。調査完了と言えるところだったのですが、あれから20年のうちに敵も進歩したみたいです。
敵さまたちも、さるもので、今回は、ずいぶん頭を使っていて、私が、ちょっとでも、ヒントを与えたことは先回りして、傍証をつぶしてかかるのです。川名君が編集していたのではないかと言うヒントは前々から与えているので、すべての図書館から、その図書を引き上げるか? または、そのタイトルの検索機能だけ、つぶしたのか?
でもね。びょんぶ(日本語の屏風から派生したポルトガル語)というタイトルがついている本を出版したことが、原因で、勲章をもらえるぐらいですから、美術書の体裁はとっているはずで、そう言う本には政治的な意味合いは、表向きはありません。
だけど、国会図書館がそれを、隠すのなら、伊藤玄二郎は、それこそ、現代日本を真に支配している、国際的軍産共同体のエージェントであり、自分を守るためなら、国会図書館さえ左右するほどの権力を握っていると言うことになります。つまり、何を彼が恐れているかと言うと、種々さまざまな言論弾圧を私に対してすでに行っているのですが、それらは、証拠がないことだから、いつでも逃げられると思っているわけです。が、紙の本は、そこだけ、頁を切り取るわけにもいきません。
まあ、そのうち、編集しなおして、再度配布するかもしれませんがね・・・・・この2012年、6月22日まではインターネット上の伊藤玄二郎の経歴の文章の中では、あるのだけれど、実物の本は、見つからなかったと、申し上げておきましょう。
それで、いいのだろうか? だって、表向きは彼は、一私人ですよ。関東学院大学の教授ではある。だけど、彼の経営する出版社・鎌倉春秋社より、大手の出版社は、いくらでもある。どうして、これほど、厚遇をされるのです。
自分の悪さの物的証拠となるから、いったん納本した本がないことにしたいというのはどういうことなのだろう? 自分で自分の著書に対して行う焚書ですね。驚いた。(苦笑)
大学教授になれた。『天国の本屋』と言う大衆小説が当たって、何らかの賞をもらっている。そして、岩波ホールで有名な高野女史と組んで、あらわした、豪華本らしい、『びょんぶ』で、ポルトガル国の勲章を得た。
そこまではいいといたしましょう。だが、電車の遅延現象が多発するようになったり、NHKの番組を私物化したり、とんでもない恣意の発露が多すぎます。それと、彼の企画や、絵図によって、動かされる、石川和子・柳沢昇夫婦の、おぞましい行為の数々。また、それらに迎合する、主体性のない主婦連中による、大きすぎる迷惑行為を、数々受ける私が、その被害総額は五億円に喃々としている今、その、攻撃のもっとも大いなるキーパーソンが、どういう手法でいじめや弾圧を行っているかの、証拠固めができる、びょんぶという本を、私が、探しまくるのは、当然のことだと考えます。
@@@@@@@@ここが、推敲後の最先端です。
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副題4、『芸大図書館にも、一橋大学の図書館にもないのだった』
こういうことは普通はないのです。国会図書館は、本当はそうであってはいけないのに、父の資料がうせた(石油を研究する技師としての傍ら、油絵を書いていて、ある種のスターであった。それは、満蒙融和、語族協和の象徴でもあった。というのも父の絵はすべて、テーマが中国の遺跡だったからです。
しかし、甘粕総裁の部屋、理事長の部屋、などを飾っていた絵はすべて、中国人によって、切り裂かれていたそうです。まるで、フォンタナの絵のよう荷。そして、無論のこと、ラストエンペラーの宮殿を飾っていた大同の洞窟内石仏の絵も、今はないでしょう。焼かれたか、破かれたかで。
で、ね、私は我が家から映画のプログラムも盗まれているし、ともかく、身辺に、データの盗みも大きな出来事(被害)として、出来しているわけです。その根本原因は、ご近所の安野夫妻、石川和子・柳沢昇夫妻、前田祝一・清子夫妻などの、このたこ部屋的地形の中であることを利用した、わがままな生活態度から生まれていますので、昨日のような激しい、分析が出てくるわけです。
今日は、本を隠されたことについて述べていますが、登記簿謄本も、原簿の記載が、過去、一代前までしか、入手できないとか、まるで、調査不能の状態にさせられていて、悪者はのさばりかえります。
現代のジャーナリズムは甘すぎるでしょう。
小沢離党についても、『暗闇の』金が、海外から、流入するから、お金に困らないので、平気で離党ができるのです。私は民主党を好きではありませんが、時の内閣は支持することにしていますが、民主党の議員数を減らせば、国庫から出る、党員用のお金が少なくなるわけですね。それを脅かしの道具として今使っていますね。そう言う部分について、きちんとわかりやすく報道するメディアがありません。
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副題6、『今、本の検索は、全部インターネット経由ですね』
私は、国会図書館、国際基督教大学図書館、一橋大学図書館、芸大図書館の順で、探しまくっているのですが、現在、ほんの検索は必ず、インターネット経由で行うこととなっています。
それで、研究の自由が保障されていません。
書くことの自由も保障をされていませんが、研究の自由も保障をされていません。このように、あとがきに、「編集者としての、川名昭宣氏に感謝します」と言う言葉が書いてあるかどうかを、調査したい私の目の前から、一切の実物が消えてしまっていると言うのは、本当にあくどいことです。
ところが、恥の感覚に訴えて正していこうと思っていた私にとって、敵は日本人ではないらしくて、・・・・・国会図書館の館長は日本人ですよね。一橋大学の図書館には、びょんぶが、最初からなかった可能性は高いです。そして、国際基督教大学にもなかったといたしましょう。
だが、芸大図書館と、国会図書館には絶対にあるはずなのです。それがないし、本の検索はすべて、インターネットですから、「びょんぶ」と言う書物が検索をされたかどうかを調べるのは簡単です。すでに、4回検索調査をされており、すべて、検討すると、私だと言うことになります。と言うのも今は国会図書館も、館内閲覧だけでも、身分証明書が必要ですから。
すると、伊藤玄二郎は、ますます、警戒して、隠すでしょう。
しかし、私はこういう現象を見るにつけ、その本の編集に川名君はかかわったと、みています。だが、もう少し、確証を得るのを待って、これから先の部分を書きましょう。どうして、それが、大切かと言うと、伊藤玄二郎が、どういう風に、私の友達を奪っていき、裏切るようにさせていったかが、よくわかるからです。
ひとたらしの天才は、昔、自分の方が『おぼれる船である、河出を去ると言う形で、裏切っていて、いやな思いをさせた相手さえ、協力者として仕立て上げるから、
小、中、高などの他の学校の、同窓会が、どういう風に侵食をされ、どういう風にして友達が奪われたかが類推できるようになるからです。
そう言う確証を得たら、それ以降は、私がどういう被害をそこから受けているかをも、一種の傍証つきで語ることができるからです。
その点は待っていてくださいませ。心理的に、かつ哲学的に小説より面白いお話が展開するはずです。
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副題5、『しかし、政治とともに芸術だア』
私はね。本当は、芸術のこと、一本で進みたいのです。だが、とんでもない妨害を受けます。最近も園芸への破壊行動と、室内への侵入があります。
だから、芸術に専念ができません。
でも、非常に強い決意を持って、そこから離れないように、気をつけているし、生活を常に引き締めています。園芸に凝っているのも体調を整えるためです。30時間徹夜でパソコンを打っているという生活では、早晩死ぬよ」という生活に他ならないですから。
私はそれだけの集中こそ、大きくて、質の高い仕事を生み出す、土壌だと思っているのです。パリで、1998年、ニューヨークで、1999年、と、2000年に修行したときは、週のうちの三日はほぼ、3時間程度しか寝なかったし、合致勝ちにやせていましたが、アドレナリンが出るのか、三ヶ月程度なら、人間死ぬものでもないのです。
が、日本に居ると、三ヶ月とか、何ヶ月と言う期限がないものですから、つい、数ヶ月から、一年間丸まるという形で、体を酷使してしまいます。
これでは早死には当たり前ですね。
で、挿入から元へ戻れば、芸大図書館にいけば、「びょんぶ」と言う本を探すとともに、長年、ほしかった楽譜も探すと言うわけです。
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副題7、『予備調査も、利いたし、カウンターにあった音楽辞典にもサポートをされた』
この6月12日に、母校で楽譜を探すときに、母校にはないということがわかり、国立音大にあるということも教えてもらいました。
その際に楽譜は、意外にも、ピアノなどと違って、オペラ一曲全部が最初から最後まで、載っているものが少ないと言うことには気がつきました。スコアと言って、オーケストラ用の楽譜は最初から最後まで、順序良く一冊の楽譜として、構成をされているのですが、
有名なアリアは、ソプラノ用の、有名なアリア全集とか、テノール用のアリア全集と言う、わりとポピュラーな形で、本となっているケースが多いと言うこと・・・・・そこまでが、予備調査の段階でわかっていたことでした。
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ここで、挿入ですが、私が真実ほしがっていたような種類の楽譜は、書く、お教室のほうにすでに移動をしていたみたいです。つまり学生を教える教授の元においてあること。そして、その研究室では、ただ、信用をして、何もチェックしないで貸し出すのか? それとも、誰か、秘書とか司書とかがいて、管理をしていて、ノート記載等で、貸し出すのかは、わかりません。
ともかく、音楽を自習しようとするのは、なかなかに、門戸が狭いものではあります。
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そう言う知識を踏まえて、やっと、本日になって、以前から、ほしかった二曲の楽譜を手に入れられました。
それは、2曲ともプッチーニの作曲したアリアです。
一曲は、ジャンニ・スキッキから、『私のお父さん』で、5年ぐらい前に、テレビ東京の美術番組のタイトル音楽として使われていたので、覚えてしまった曲です。だが、耳からだけではなくて、正式に楽譜をさらってみたいのでした。でないと安心できないのです。これはソプラノ用。
次が、トゥランドットから、『誰も寝てはならぬ』、テノール用。こちらは荒川静香さんが、トリノ・オリンピックで使いましたが、私も、それとそっくりな衣装を着て、カラフ王子(ただし、太った中年だった)が歌うのを、メトロポリタンオペラで、ニューヨークで聞いています。
こちらも耳からうろ覚えはしていますが、きちんと楽譜をさらってみたいです。
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副題7、『フジテレビの今日のドラマは、そのネッスン・ドルマがキーだった』
さて、帰宅後、30分以内で、まだ、夕食も食べていないときに、主人が、恒例のミステリーを見始めました。本日は森村誠一原作で、V6の坂本君が準主役の、捜査線上のアリアです。
バッハの有名なバイオリン曲、G線上のアリアをもじっているわけですが、主役の若村真由美さんが、きれいで、筋も大体、違和感がなくて楽しめました。
私は無論、見るつもりはなかったのです。今日も買ってきた、花の苗を、鉢に植える必要があったし、明日から旅行に出かけます。その前に同窓会もあります。準備が大変ですから。
ところが、のっけから、この有名なアリア、特に上に上げた二曲のうちの、『誰も寝てはならぬ』が、出てくるではありませんか?
意やあ、自慢しちゃあいけませんが、余りにも鋭く高いチャネリング能力だと思いますよ。われながら。われながら、驚きました。テレビは、地上には、ほとんど関心がなくて、特に、二時間ミステリーは関心がないほうです。
だけど、本当に驚いたのは、熱すんどるマと言う、単語が、V6の坂本君から、始まって、30分ぐらいで出てきたことです。昨日までだったら、とても小さな活字で、CDについている本のタイトル欄で、それを見たかもしれませんが、頭には入っていませんでした。
だが、今日コピーしたコピー元の本はイタリアで、出版をされた名曲集(Anthology)で、日本語がどこにもないので、しっかりと、誰も寝てはならぬ野現代が、ネッスン ドルマだったことが頭に入ったのです。スペルは、Nessun dormaです。
まあ、いってみれば、小さなお話です。しかし、毎日、毎晩、毎昼間も、一瞬の隙も緩みもなく、四方・八方に神経を注いで、書き調べて、かつ、家事をしながらものを考えている私に、とって、
こんな些細な事でさえ、純粋な喜びなのです。ああ、なんて、私は勘が鋭くて、引き寄せるのだろう。・・・・・と、思えば、ニコニコしてしまいます。
フジテレビは相当な準備期間をかけて、このドラマを撮影したのであろうに、私はまさに、その放映日というジャストタイミングで、この楽譜を手に入れ、ネッスン ドルマという単語も頭に入れたのだから・・・・・と、ほほが緩む感覚を覚えるのでした。
昨日の文章も、前のものもまた、推敲してアップしなおします。では。
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