銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

セーヌ河岸と、スコットランド人夫婦 (叙情か、政治か?)

2011-10-14 23:39:19 | Weblog
 20時間ぐらい誤変換を直さないでおいて済みません。今、16日の午前二時ですが、これからそれに、取り組みます。ところで、@@@@罫線のところまで、推敲しましたが、また、午前四時になりましたので、恐れ入りますが、そこから先は、あとで、推敲すると、させてくださいませ。

副題1,『パリ、シャルボネ本店の思い出』
副題2,『静かにほほえむ、スコットランド人夫婦』
副題3,『1998年から、2011年までに、なんと変わったことか、私の内も外も』
副題4,『真夜中のワン切りと、プリンターの、自動起動』
副題5,『宮益坂の、渋谷郵便局での怪』
副題6,『旧、ギャラリー山口の改装と、藤田千彩さん』
副題7,『大久保忠春、野見山暁司、酒井忠康のラインから、山口みつ子さんが他殺である可能性を疑う』

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副題1,『パリ、シャルボネ本店の思い出』

 一週間前のことです。フェイスブックの世界で、パリにおける展覧会の情報が寄せられました。それは向こうの画廊で、日本人の画家が展覧会をすると言うことです。

 で、私は、よく知らないお相手ではあるものの、それは、一つの成功だから、お祝いの言葉を寄せました。
 で、それに添えて、

 この番地ですと、quai というのは川岸という意味だったと、今、秋葉原のワシントンホテルで、辞書のないまま、思い出しています。ということはセーヌのそばで、75004だから、ノートルダム寺院の対岸あたりかなあ。我が家だったら地図がありますが、今、ここにはありません。そこらあたりにシャルボネの本店があります。本当によかったですね・・・・・と。

 シャルボネというのを、洋服のブランドだと、お思いにならないでください。それは画材店です。だけど、世界で、それほど、きれいなお店はないと言うほどの、画材店です。主に、版画のインクと道具(刃物類)をおいてあるのですが、品種は少なく、ですから、お店の規模は小さいです。
 屋根付きの一戸建てで、地べたより、少し上がった床は、しっかりした厚手のフローリング。

 そのお店の広さは日本でたとえると、コンビニ一軒より、ちいさいかなというぐらい。きれいなショーケースや引き出しに、カラフルなインク類が収められていて、ガラスの窓があり、そこから、木が見えます。セーヌの河岸に植られているのも見えたのですが、シャルボネの本店が、店先に植えている木も見えました。私のパリ時代は版画で、全く忙しく、ここを訪れたのは、三回ぐらいです。だが、自分のアパルトマンから、歩いて、セーヌを渡り、行きだけで、20分ぐらいでしたから、ちょうどよい散歩道だったのです。間にシテデザールという中島があって、そこは実は、高級マンション群のたつところらしく、日本で言うと、言葉では、田園調布とか、神宮前に当たるのでしょうが、人が全然通っていないことが、すてきで、ああいう場所はあまりないですね。

 そこを通って、セーヌの対岸に渡ると、こちらの、ノートルダム側よりは人通りが少ないものの、カフェや、画廊、などがある、一種の観光地なのです。大きなビルはありません。一階が、お店の群れ。
 つまり、そこは、はっきり言ってしまえば、サンジェルマン(デプレ)なのです。
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副題2,『静かにほほえむ、スコットランド人夫婦』

 さて、だいぶ後になって、その展覧会をした画家の人から、「驚きました。まさにご名答です」と言う回答がきました。私は地図を出して、そこを特定した訳ではなくて、ただ、記憶の中の風景をたどりだしていたのです。そして、そこで、1998年にエッセイを一つ書いています。

 それを探し出したいと、先ほど、四時間ぐらい奮闘しましたが、ついに、あきらめました。1998年は私はパソコンを使っておらず手書きでしたし、パリものだけで膨大な紙としての枚数があり、探し出せなかったのです。

 今、数台のパソコンを駆使している私がなぜ、その頃パソコンを使わなかったかというと、子供たちが母がインテリめいた人であることを嫌ったからです。子供たちは、ごく普通の日本のお母ちゃんであることを私に望んでいました。本当は『うちの、お母さんは、ちょっと普通とは、違う』と思っていたのでしょう。だからこそ、普通であってほしいと思っていたと感じます。で、私が羽ばたきだしたのは、1998年からです。

 それまでは、本当にちいさく、逼塞していた人間でした。で、1998年、ありとあらゆることに、希望を持ち、一種の輝きを持ってパリにいた私ですが、敵の存在には、まだ全く気がつかず、純真無比でありました。そのころの、気分と今の気分は、全く違うので、同じエッセイが再現できるわけもなく、筋だけを再現します。

 サンジェルマンの小さなカフェに、午後三時頃座っていた私は、白人の老夫婦が、席を探しているのに気がつきました。そのころ、まだ、56歳だった私は、まだ元気で、その老夫婦をお気の毒だと思ったのです。そのとき、たぶん、67歳とかおっしゃったから、今では彼らより年上になってしまい、東京の電車内で、席を譲られる立場です。で、私はたって、お二人を自分の席に招きました。

 パリの喫茶店はカップもひどく小さいのですが、テーブルもひどく小さく、いすは二つしかありません。でも、私は、近所のテーブルから余っているいすを自分のテーブルに引き寄せ、三人が座れるようにしてあげました。なんと、感謝してもらえたでしょう。その日は晴天で、しかも午後三時なので、カフェの中は満員だったのです。

 実は最終段階で、忙しさのあまり、髪振り乱し、爪の間に版画インクを黒くにじませて走り回っていた頃はだめなのですが、それほど、緊迫していない最初期は、どうしてか、パリに観光に来ている外人(しかし、白人)には、ひどく頼りにされたものです。道なども、グレースケリーみたいにきれいな奥様から、私が数多い周りの人の中で、一人だけ選ばれて、質問を受けたほどです。

 どこか、澄み切っていたのでしょう。で、この歩き回って、疲れ切っていた老夫婦にも、ひどく感謝されて、にこやかな笑顔を向けられました。で、どこからいらっしゃったのですか?と、聞くと、スコットランドからで、ご主人は教師だったそうです。そして、引退した後での、初めての海外旅行なのだそうです。
 二人ともやせていて、アメリカ人などのような大きな体格ではなく、めがねをかけて、善人そのものの表情です。大きな野心を持たず、慎ましく、やるべきことをやってきたその人生に迷いもなく、なんと、静かな落ち着いた人たちだったでしょう。

 『私はその日、彼らの前で、自分を恥じ入る感じを味わった』と言って、そのエッセイを締めくくっています。私は、当時大きな希望を持っていました。満々たる光に包まれていると思っていて、大きな天才的アーチストになれることを、疑いませんでした。だが、そのお二人の前に立つと、それは、何とも、変形してしまい、野心と言うようなモノにも見え、恥ずかしくなってしまったのです。
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副題3,『1998年から、2011年までに、なんと変わったことか、私の内も外も』

 もし、今の69歳の私が、あのサンジェルマンのカフェにいて、あのスコットランドから来た、老夫婦に出会ったら、彼らと、全く同じ雰囲気であり、「私も、同じ考えを持っています」と述べたでしょう。同じように、慎ましくほほえみながら。

 でね、野心のない人生もいいものです。それを、今の私も同じように歩んでいます。と、もうしあげてこのエッセイを終わったら、それは、素地の私を見せることであり、大勢の人に共感を得るエッセイとして終わるでしょう。が、今の私は残念ながら敵がいます。

 そして、一瞬の油断を見せても、攻撃をされます。で、上のような柔らかな結論で終わるわけにはいかないのです。

 最近の私はこの場を、その敵との、メッセージの交換の場として利用をしています。と書いたとたん、今午前一時ですが、電話が一回ほど鳴って、切られました。アップロードをする前です。
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副題4,『真夜中のワン切りと、プリンターの、自動起動』

 パソコンが変になって使いにくいこともありますが、真夜中に、電話がワン切りされたり、プリンターがカタカタ鳴り出したりするのも具体的な脅かしとして何度も使われてきています。

 でも、電話が鳴るのは、それほど、怖くないのです。むしろ、ながらく、誤解をしてました。誰か、私の文章の熱烈なファンがいて、いいものを書くたびに、ほめるために電話をかけてきていると、推察していたからです。私はブログや、フェイスブックを始める前に、メルマガをやっていました。10年ぐらい。そのお相手は、すべて、実際に知っている人で、もし相手が、私の文章のファンだったら、当然、私がお知らせをしている住所等は、メモっているはずだからです。
 その頃の私は、こういう諜略関係の文章は書いておらず、芸術か、心理学か、哲学の分野に限っていましたから、自信満々で、ファンがいることも疑わなかったからです。

 でも、私は、一人暮らしのアトリエを引き払っていました。家族の縛りがきついことはメルマガ内で何度も書いていましたので、アトリエなら真夜中に電話をかけてもいいが、鎌倉の自宅なら、それは遠慮すべきだと言うこととなり、それで、ワン切りされると見なしていました。
 だから、それが起きると、にこにこしていたモノです。

 今(2011年、10月16日)も、ワン切リとして鳴ったわけです。が、これは、ファンではないと、感じています。今書いているのはブログであり、それは、誰か、知っている人が読むモノではありません。しかも、その問題の一行、「敵がいます」と、書いた、とたん、まだ、アップロードもしていないのに、電話がワン切りされました。
 これは、いつも、申し上げているように、この近所に大型無線LAN機能を持つ機器が置かれていて、どんな仕事をしていても、すぐ、遠くにいる敵に、察知されると言うことを示していると感じます。

 で、すごいレベルで、追い回されているのですが、なんと、二日前に、直接メールで、脅かしを受けたのです。それは、今は分析をしません。

 しかも、こういうことを書くとすぐ、おかしい音をパソコンが上げます。自分たちがやっていても、やられたことを書かれると、それも、また新たに、脅かしてくると言うわけです。『おや、おや、きちがいですね。本当に』と思いますが・・・・・この「きちがい」という言葉が、なんか、使ってはいけないそうですが、そういうきまりをどうしてつくるのですか? おかしいですが、絶対な権力を握っていると誤解をしている存在が、勝手気ままな法律を作るのです。

 神奈川県で禁煙条例を作った松沢茂文氏は、本音のところで、県民から総スカンを食っています。

 ところで、真夜中に脅かしてくる音についてのエピソードに、戻ります。
 プリンターの方はよりやっかいで、相当長期間どきっとしていました。つまり、脅かしの効果は一定以上あったわけです。デモ、数年ぶりに、つい、一ヶ月前にそれが、鳴ったときは、『おやおや、泥棒と連動しているわね』と思ってわらっちゃったモノです。

 この泥棒は、大事な写真や、大事な資料を盗んでいくのですが、それでも、脅かしが足りないと思うと、トイレのドアに黒マジックで矢印を書いたり、銀の匙を所定の引き出しから別の引き出しへ移動させたり、額を必ず斜めにして帰ったりするのです。一番悪辣な行為は、夏でしたが、ストーブをつけて帰ったことかな?
 
 プリンターは、買っても買っても、外から壊されます。で、仕方がなくて、パソコンのそばには置いてありません。物置みたいな部屋へ移動をさせたのです。が、フェイスブックが始まって、そこに投稿するためにスキャナー機能が必要になり、それは、まだ、生きているので、再び、この部屋に戻したら、久しぶりに、真夜中にかたかたと、鳴るのです。つまり、泥棒(・・・もしょっちゅう入っていますが)、それが、プリンターが移動をしたことを発見して、『じゃあ、また、プリンターが脅かしの道具となる』と、考えたのでしょう。

 真夜中一時頃、かたかたと鳴ります。それは、たぶん、酒井忠康氏や、石塚雅彦氏等について書いた日だったでしょう。これらの人々が、どういう悪をなしているかを書かれることが、例の鎌倉エージェントである二人、特に伊藤玄二郎にとって、どれほど、恐ろしいことなのかが、わかります。だけど、こちらは、こういう風に、日々、実際に被害があるわけですから、書きます。

 そして、今では、この攻撃の因果関係の・総・構造が、すべて、見えてしまったので、怖くないのです。幽霊がやっているわけではないから。すべては、人間がやっているのです。それも、十分な意味があってね。

 最初にそちら側が悪をなしていても、それを正当防衛としてその悪辣ぶりを書くと、今度は、書いてはいけないといって脅かしてくるのです。二重三重に理不尽で傲慢です。が、現在日本の最高権力者である国際的軍産共同体のエージェントであると、こういう風に傲慢で、やりたい放題の人間となるのです。後ろ盾が大きいので、NHKも言うことを聞くし、警察も言うことを聞くし、NTTも言うことを聞くし、東電も言うことを聞くからです。で、江戸時代の殿様以上に威張っています。

 私は何度も、一流の弁護士を立てるのなら、和解に応じますと言っています。が、それに乗る意思はないと見えます。
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副題5,『宮益坂の、渋谷郵便局での怪』

  敵が熱烈な、攻撃を加えてきていたのは、このパリ時代からすでに始まっていたことだったのですが、それを、本当に確認したのは、10年後の2007年です。日本の渋谷郵便局でです。その10月26日~27日にかけて、渋谷郵便局で、4冊目の著書を発送していたときに、我が家の電話が、盗聴をされていることがはっきりしました。

  午後の二時に初めても、600冊の本の発送が終わらなくて、主人に26日の夜九時頃「徹夜しますね」と電話をした後で、突然に、郵便局の人の態度が悪くなって、トイレも貸してくれないと言うような、拷問を受けるに等しい状態になり、しかも、次の日の早朝、大音響で警戒警報が鳴ったとか、数々の異常事態が起きたからです。

 で、27日の午前10時頃になって、前夜のゆうゆう窓口の職員さんではない、本社の職員さんに、「この郵便局では、早朝、大音量でサイレンを鳴らすのですか?」と質問をすると、「それはありません」と言っていたので、あれは、完璧に私を狙った大音響だったと思います。脅迫のためには、常に音が使われます。

 トイレは仕方がないので、400冊ていどの本と文房具と、梱包用具などの荷物を置いたまま、近所のネットカフェを30分借りて、そこで用足しをして、もう一回郵便局に戻りました。一冊ずつ、三冊ずつ、五冊ずつ、10冊ずつ、15冊ずつ、30冊ずつと、添え状をつけて、本を送るのは、頭と体を使う重労働なのです。なかなか終わらない重労働ですから、それらの荷物を置いたまま、近所のネットカフェにトイレだけ借りに行ったのです。というのも宮益坂には、夜の11時過ぎに開いているレストランはないのです。さすがに、駅近辺まで、往復30分以上をかけて、荷物を置いたまま、遠出をする気持ちにもなりませんでした。どんなに、日本が治安がいいといってもね。
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 ちょっとここで、挿入となりますが、勤務というのこそ、ありませんが、自分の体力一杯、目いっぱい、常に働いている私です。で、それが、どんなに、攻撃を受けても負けないし、逃げない自分を作り上げています。つまり、報酬や名誉を伴わないことは、人間だけが、構成している社会においては負け犬にしか過ぎないのですが、神様も加わった世界では、少し、事情が違ってくるのです。神様が加わると、私の、人間社会においては、報われない努力に対して、かわいそうにと、お思いになるのか、私には別の側面で、お味方をしてくださるので、・・・・・ちょっとありえない幸運に出会います。

@@@@@、ここまで、推敲済み
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挿入から元へ戻ります。

 しかし、このときに大苦労をして発送をした本が、中学の同級生である大久保忠春氏から、開封もしないで、送り返されてきたこと、および、銀座の画廊、21+葉からも、さっと送り返されたきたこと、・・・・・

 これらが、酒井忠康氏の関与を、すでに、そのときに疑わせ、なぜ、そうなるかということをも考えさせたからです。酒井忠康氏自身か、伊藤玄二郎のどちらかが、国際的軍産共同体の、エージェントでない限り、郵便局までは支配できないはずだからです。
 つまり、渋谷郵便局は、親書の秘密を守らなかった可能性があるのです。送り状、それは、600冊か、800冊だから、50枚を超えて、いましたが、(金額にして七万円近くだった)、その宛先を教えるように、誰かから頼まれて、すべてを教えたのでしょう。

 でないと、九州に住んでいる大久保忠春氏が、どうして、すぐ、開封もしないで送り返して来ます? それは、ありえません。私は彼と、同期生だった、横浜国立大学時代は、入学式総代および、卒業式総代だったから、同期生には一定の尊敬を受けています。そして、1997年には毎日新聞主催のコンクールに同時入選し、すでに、そこでの、常連だった大久保君から、精養軒のテラスで、三田晴夫さんに紹介してあげましょうかといわれています。その精養軒での、1997年から、この渋谷郵便局での、2007年の間の10年間に、あんなに親切だった彼が、どうしてこれほどの、失礼な態度を、とるほど、変化しますか?
 その間に、九州に住んでいる大久保君と、神奈川県にいる私との間に、何の交流もないのですよ。急に不親切になるのは変です。
 変です。自然じゃあないです。おかしいです。とてもおかしいです。ですから、この時期から、私は酒井忠康氏が、相当におかしなこと、つまり、私を弾圧することを、始めているとと感じていたのです。

 そして、この時の本は政治には一切関係がありませんでした。画廊街を舞台にして、相当におもしろい話だと好評を持って雑誌れ最の段階から、迎えられた本を、裏から間接的に、つぶしてきた酒井氏に対して、大いなる損失を与えられたわけです。が、その理由はどこにあるのだと、丁寧に観察を始めることとなります。ですから、この4冊目の本に対してくわえられた悪辣な仕組み・・・・・だって、渋谷郵便局のゆうゆう職員が、信書の、秘密を破った可能性はあるのですよ。これが、悪辣でなくてなんといえます。
 大久保君いも聞きたいです。何であなたは、開封もしないで返送してきたのですか? これって、郵便公社を巻き込む大事件ですよ。あなたはその証人です。

 しっかり答えて下さいませね。正しい理由を。

@@@@@、ここまで、推敲済み


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副題6,『旧、ギャラリー山口の改装と、藤田千彩さん』

 つい一ヶ月前のことです。藤田千彩というツィッターの世界で、有名らしい人物が、フェイスブックの世界で、旧ギャラリー山口の、跡地の写真を載せました。たまたま、私は知らなかったのですが、そのビルは元々は、道路に面して窓があったそうです。それを画廊にするために、封鎖してあったのですが、窓を復活して、画廊ではないテナントが入るらしいと言われています。

 たまたま、私がフェイスブックを開いている間に、それが、情報として入ったので、私はそれに応答を始めました。が、簡単な文章です。フェイスブックは瞬間的に、移動をしていきますので長い文章を書くことを許されていません。ですから、藤田千彩さnに向けて話すコメントは、軽いモノです。

 『え、そんな、改築が行われているのですか?』それは知りませんでした。とか言う。

 それに対して、藤田さんが応対を指定くれているという印が、液晶画面上に出るのですが、それを読もうとしても読めません。それが、第一に不思議なことです。だけど、私のパソコンにへばりついて監視をしている人間が、いろいろな事情を飲み込んでいて、

 本当は山口さんが、急死したのは自殺ではなくて、他殺であることを知っていて、
 しかも、その人物は、この私、雨宮舜が、この日本で唯一の存在として、山口さんが他殺である可能性を知っている人物であることも、同時に知っていて、

 だからこそ、グーブログとメルマガの世界の読者がそれを、知っているのはすでに、防ぎようがない。が、フェイスブックの世界にまで、それが、広まったら、大変だと考えて、急遽、藤田千彩さんと、私との会話を切ったと見なしました。

 ところが、それで終わらないのです。その日以来、藤田千彩さんは、フェイスブックを退会してしまったのです。もちろん、上の例三という人が、一ヶ月姿を消した後で、サイドは行ってきたので、もう一回入ってくる可能性はありますが、その日以来、ほぼ一ヶ月、藤田千彩という人はフェイスブックからは姿を消しております。

 これは異常です。私も一回、退会しようとしてことはありますが、その前にすさまじい損失があって、これは耐えきれないと思ったからです。が、藤田さんの、コメント(書き込み)に瞬時には、対応できなかったのは、私の意図的な悪ではありません。それに、そういう風に、反応が遅れて起きるのはしょっちゅうあることです。お互いにあり得ることです。それなのに、藤田さんがフェイスブックを退会する。これは、異常です。

 裏に、山口みつ子さんに関する何らかの、触れてはいけないタブーがあって、それを、刺激するから、「あんたは一度フェイスブックから退会した方がいいですよ。その代わりとして、これこれこれだけの、報酬(よい仕事)をあげます」と言われた可能性があるのです。誰から? その教唆をした、人間は、私にはわかりませんが、山口さんが、他殺であることを知っている可能性があります。

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副題7,『大久保忠春、野見山暁司、酒井忠康のラインから、山口みつ子さんが他殺である可能性を疑う』

 山口光子さんが、ご自分お画廊を閉鎖されるとというその後始末を最後まではやらないで、自殺をされたというニュースが駆け巡ったのは、1月の20日頃です。それも、知らなかった私にわざわざメールで届いたのです。私は社交的には振る舞わない人間なので、画壇の噂話にはとんと疎くて、普通なら、何も知らなかったところへ、近藤実さんから、お知らせが来たのでした。
 これも、ちょっとおかしいのです。だけど、その詳細は、今は触れません。

 ただ、その後で、読売新聞が、川島さん(村松画廊のオーナー)の弁を借りて、『画廊の経営は、今苦しく中には自殺をする人がいると語らせ、その記事に添えられた写真がなんと、ギャラリー山口のモノだったという間接的な形で、日本全国に、山口さんが自殺だったと知らせたこともおかしいのです。

 そんなことは触れるべきではないし、底に、ギャラリー山口の写真を添えるのなら、川島さんはすぐ、抗議をすべきだし、ほかのギャラリストたちに、『自分はだまされた』と宣言すべきなのです。だって、それほどの、裏切りは川島さん、あなたご自身を、汚い人格であると、誰からも思われますよ。あなたを尊敬する人はいなくなる。馬鹿じゃあないでしょうに、それでも、その役目を請け合ったのは、なぜ? 酒井忠康氏から頼まれたせいではないの? または、間に誰かがはいったかも、しれませんが。

 でね、山口みつ子さんの死に関しては、不明な点が数多くあるので管、他殺説を唱えたのは、野見山暁司さんが、どうも、精神的な原因であろうと見なされることです。種々様々な店で、そう感じますが、それは、2010年の一月の、彼女の急死の時に、気がついたことではないのです。

 双ではなくて、大久保忠春さんが、15冊入っている本の包みを開封もせず送り返してきたときに始まっていたのです。これは、先ほども言ったように自然な現象ではありません。あり得ない現象です。だって、一冊の本なら本として外側から見えます。デモ、15冊の小包だと外側からは本とも思えません。もちろん、私は送り状に中身を、本であると記載をしています。だけど、普通なら、一応、どうして、女物が送ってkちあのだろうと開けてみるモノでしょう。知らない人間ならいざ知らず、1997年には、精養軒で、三田晴夫さんに紹介してあげましょうと言った大久保君ですよ。どうして、こんな失礼なことをやってくるのです。

 私は渋谷郵便局から、取り上げた送り状を、しかるべき存在が、読み、相手先を調べまくって、その一つだった大久保君に、影響を与えうる三人の人物に、受け取らないように言ったのだと思います。同じ人物が21+葉の、オーナーにも同じことを命令しtのでしょう。その調べまくった人物が、酒井忠康氏だったら、氏は、毎日新聞のコンクールの審査員として常連ですから、大久保君に直接電話を過kてかの雨声もありますが、こういう仕事をする人間は非常にずるいので、自分自身が動きません。必ず、自分に責任がかぶってこないように、他者を間に立てる可能性があります。で、間に立てたのが、野見山さんだと感じます。

 ひどい話です。私の本にはどこにも割ることは書いてありません。ただ、エージェントたちが、瀬島隆三の悪、および、彼の友人の益山某の悪を将来書かれることを恐れて、ライターとしての私をつぶそうと考えているだけの話です。大久保君なんか、何がなにやらわからぬうちに、私より、円が深いし、尊敬している、飲み屋mさんの言うことだから等のみにしたのでしょう。だめですよ。大久保君、あなたはそんなことをすると、例の宮殿の社長のように、現代後から関係だけ英を信じている、とんでもない悪因だと将来証明されることになりますよ。出世だけを望んでは池間sねん。潜在意識の中にある正義感を掘り起こしてください。

 変ですよ。中学の同期生の私がどうして合う人でありましょう。そして、あなたに迷惑を与える可能性のあるプレゼントを贈るでしょうか?

 それは、瀬島隆三にたきつけられて、威張りかえって、傲慢の限りを尽くした、伊藤玄二郎のもと愛人・石川和子が、私の猫が、彼女たち夫婦よりも、私を慕ったことに逆上して、警官を呼び、あの女のをその夫から鹿ってほしいと命令したことに端を発しています。警官をそんなことにどうして使えるのですか。変で宇書ね。猫のことで頸管が動くのですか、しかもその猫は私の猫で亜襟、私を慕っているのは当たり前の現象ですよ。王ディsて、石川飼うzことその夫はshろえおほごうまんなのですか? 真jにがたいです。

 そのまた警官が馬鹿なことに、私を我が家の敷地内で脅かしまくった上に、さらに、絶対に車が入り込まないこの山の中で、私を脅かすために、交通事故の調書まで取ったのですよ。それを、かばうためにこれほど、大がかりにも、ばかげた、脅かしと損失が、私の方に、与えられているのです。そのばかげた悪人どもの、使いっ走りをしているのが、酒井忠康氏です。だから、酒井氏の悪の重奏的なこと、信じがたいほどです。だから、八幡宮の大銀杏も倒れます。酒井氏がなした、ほかの悪と、酒井氏の、鶴岡八幡宮との関係はすでに以前に述べています。

 このあたりは過去に書いていますので、さかのぼって探して下さいませ。

 いえ、それではあまりに、読者の皆様に対して、失礼なので、後で、誤変換を直しながら探して、日付とタイトルをあげておきます。

 今日はパリにおける軍産共同体が私になした悪と、それが、週刊朝日と、朝日新聞社を通じて、・・・・・特に高校野球(夏の甲子園)のトップである奥島孝康氏を通じて、未だに、その悪が続いているところまで書くつもりでしたが、すでに、一万字を超えました。私も疲れましたが、お読みになる方もお疲れでしょう。ですから、ここで途中ですが、終わらせていただきます。明日、誤変換を直し、関連する章の名前をあげます。

 どうか、あなた様、私から悪人として名前を挙げられたくなかったら、失礼なことおよび、悪に通じることをおやりにならないでくださいませ。それが悪であるかどうかを、あなた自身は判断ができなくても、おかしいと、ちょっとでも思うことはおやりにならないでください。あなたが、不自然で、私に損失をあたえることを、おやりにならなければ、私はあなたのことを書き表しません。

 お気の毒ですが、酒井忠康さん、あなたは、原発の核燃料を、売りこんでいる陣営に最も重宝がられている、国民の敵に等しい存在なのですよ。美術界では威張っておられますが、今となっては、私の目から見れば、そうなります。あなたが、おやりになったことは、すべて、ライターとしての私を、悲しめ、落ち込ませるための手法なのですから。
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