Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「女王陛下のお気に入り」

2019年02月16日 14時32分11秒 | 映画(2019)
死に物狂いで這い上がれ。


物語の舞台は18世紀初頭。英国はフランスと戦争の真っ只中であった。戦が長期に及ぶ中で、国は戦いを強行するか和平の道を探るかの選択を迫られていた。

アン女王に統治能力はなく、政治的な決定権を握っていたのは女王側近のモールバラ夫人であった。痛風持ちに加えて情緒不安定な女王を物理的かつ精神的に鎮められるのは彼女ただ一人しかなく、女王の信頼が厚い彼女の選択はすべて女王の名の下に発せられたのである。

女王の威光があれば誰も逆らうことはできない。女王の醜態は誰しもが知るところではあったが野党議員たちも表では沈黙するほかなかった。

わが国でも、大昔に道鏡という坊さんが女性天皇である称徳天皇=孝謙天皇に取り入った例があるが、世の中を操るには表に立たずに機動的に動く方が合理的なのである。いわゆるフィクサー(黒幕)である。

そんな宮廷にモールバラ夫人の従妹というアビゲイルがやって来る。上流階級の家柄を持ちながら親の散財により身を落としていた彼女は、事あるごとに機転を利かせて次第にモールバラ夫人に代わって女王のお気に入りの座をモノにしていく。

今年のアカデミー賞で最多の10部門でノミネートされている話題作。既にオスカーを獲得しているR.ワイズE.ストーンの競演ということでも期待が高まる。

しかし彼女らを上回る迫力と存在感を見せたのはアン女王役を演じたO.コールマンであった。

彼女が演ずる女王は、彼女自身の台詞にも出てくるがまさに「醜女」。痛風に苦しみ移動は常に車椅子か松葉杖、17人の子供に先立たれたという不幸な経歴を加味したとしても、その外見や立ち居振る舞いは女王陛下たる気品とはほど遠い。

しかし、心の奥深くにある深い悲しみと女王の尊厳は、その地位を利用しようとする者たちの前にたびたび脅威となって立ちはだかる。お気に入りの座を勝ち取ったとしてもそれは安寧を約束するものではない。外見の弱々しさとまったく異質なオーラを発する女王の表情に圧倒された。

アビゲイルとモールバラ夫人の争いもえげつなく面白い。時には直接やり合い、時には裏で画策を練る。いわゆる昼ドラ系のドロドロ感は周りの男性のひ弱さと対照的で、これだけでも極上のエンターテインメントとなっている。

E.ストーンははじめは宮廷の衣装が合わないと思ったが、腹黒さを発揮するほど画面に見事にフィットするようになった。というよりも、はじめの健気な少女との変わり様が大きいわけで、これもオスカー女優の好演と言えるだろう。

女優たちの演技だけでなく、ウサギ、アヒル、馬といった動物を小道具としてうまく使っている点や、衣装や音響効果といったところも見逃せない。

唯一残念なのは邦題か。"The Favorite"は確かに「お気に入り」なんだけど、この言葉だと映画の本質が見えてこない。代案がなく無責任な意見となってしまうが、この映画を面白いと思う人は多いはずなので少しもったいない気がした。

(95点)
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「半世界」

2019年02月14日 23時03分15秒 | 映画(2019)
いつの間にか人生折り返し。


半人前、半熟。「半」という字は半分ではなく不完全なものを表すときにも使われる。本作のタイトルである「半世界」は完全ではない世界、広い世界の一部という意味を持つのだろう。

挫折して故郷へ帰ってきた元自衛官の瑛介は、同級生の紘に対し「お前は世間を知っているが世界を知らない」と言う。しかし彼は気付く。田舎の世間という狭い空間にも複雑で深い世界があることを。

主人公の紘は三重県の南伊勢町で父親から継いだ製炭を生業にして暮らしている。三重県は伊勢志摩より南に下ると鉄道も道路も少なくなるなど過疎地域の印象が強い。昼間も人通りはまばらで、夜の遊び場といえばおそらく1軒しかないカラオケスナックに同じ顔触れが集まる日々だ。

中古車販売業を営む光彦も含めて過疎地での生活は厳しい。紘が作る備長炭だって、いくら品質が良かったとしても買ってくれる先の思いに左右される不安定な商売だ。

本作は、社会人となって約20年が経過した40歳を人生の折り返し地点と位置付け、それぞれが生きてきた世界=半世界にどう向き合うかを描く。

行き詰まって新たな世界を探す瑛介と、わき目もふらず生きてきて改めて足元を見つめ直す必要に駆られる紘。学生の頃は想像もしなかった重い荷物を背負って生きる人生。大人って大変だと思わされる。

阪本順治監督のオリジナル脚本ということだが、50歳を過ぎてボーっと生きているのが申し訳なく思ってしまう。

そんな精神年齢の高い同級生3人に突然訪れる悲報。輪をかけて過酷な状況が訪れるがそれでも明日は来る。反抗ばかりしていた紘の息子がとった最後の選択は、意外性とともに重い空気の中を軽やかに吹き抜ける風のように感じられた。

主演の稲垣吾郎は、年齢的には問題ないのだろうけど紘が抱える負担に比べるとどうしても若さを感じてしまった。というより、やはりこの役が40歳前後という設定に違和感を覚える。

一方で紘の妻を演じる池脇千鶴が全篇を通して素晴らしい。妻として母としてたくましくもかわいらしい女性を体現している。華やかな役を演じることは少なくなったが着実にキャリアを重ねている印象だ。

そろそろ自分のキャリアと人生も見つめ直した方がいいのかな。

(70点)
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「アクアマン」

2019年02月11日 13時40分21秒 | 映画(2019)
海をきれいに。


今年も授賞式が近付いてきたアカデミー賞。今年はアメコミヒーロー映画の「ブラックパンサー」が作品賞等にノミネートされたことが話題になっている。

娯楽作品が賞レースに上ることは初めてではない。時代の流れに乗れば戴冠の栄誉も可能であることは歴史から明らかである。

黒人がヒーローとして活躍する映画の出現と興行的な成功は、マイノリティと言われてきた人たちの活躍の場を広げる大きな一歩となった。

本作の主人公は、深海の王国の血筋を持つ王女と陸に住む普通の灯台守の間に生まれたという設定である。

平易な言葉で言えば海と陸のハーフ。しかし本作は声高に語る。ハーフではなく陸と海をつなぎ得る存在、つまりはダブルなのだと。

主役のアーサーを演じるJ.モモアは見た目だけで力強さやカリスマ性を伝えられる適役であるが、それと同じくらいハワイ生まれで先住民族の血を引いているという彼の出自が配役の決定打であったことは想像に難くない。

パートナーとなるゼベル国王女のメラも現代の女子らしく大活躍する。加えて言えば、アーサーの異父弟であるオーム王が陸上の人間たちを敵視するのは、あまりに海の環境をないがしろにするからという至極もっともな理由からである。まさに正しさのオンパレード。DCの興行もかなりこなれてきたと言えそうだ。

アクションもの、ヒーローものが乱立する中での本作の売りは、何と言っても映像技術を駆使した海中アクションである。確かに今までこれほど海をフィーチャーした作品はなかったからそうなのだろう。

ただ個人的には、イタリアのシチリア島でアーサーとメラが並行して屋根づたいに駆け回って繰り広げるシーンが一番良かった。海中だからというよりも面白いものは面白いわけで、それまで降りかかっていた眠気を一気に吹き飛ばすことができた場面であった。

全体を通して華やかで大作の風格がある作品である。海洋は宇宙に匹敵する最後のフロンティアとも言われており、本作に登場する7つの海底国家はそれをファンタジーとして見事に映像化してみせていた。

しかし残念な点もあった。何よりストーリーに意外性がほとんどなく退屈な時間が長かった。あらゆる登場人物の行動や反応が型通りなので、あの人がここで登場?!と驚かせたかったのだろうというところも完全に想定の枠内。脚本はまだ改善の余地がありそうだ。

興行としては世界的に大成功を収めているらしいので、今後の続篇やグレードアップ必至の「ジャスティスリーグ」に期待というところか。

(70点)
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「七つの会議」

2019年02月03日 18時54分47秒 | 映画(2019)
職場こそエンターテインメント。


映画館の帰りに商業施設の食品売り場を覗く。今日は2月3日。農林水産省がフードロス対策を促す異例の勧告を行ったにも拘らず、夕方だというのに恵方巻きが山のように積まれていた。

悪いことと分かっていても変えられない。個人レベルではどうしようもできない。恵方巻きは罪ではないが、国の統計ミスに至っては隠ぺいから改ざんまで法令違反のレベルである。

不祥事をなくすことはできない。これは日本人のDNAに染みついたものと言っていい。主人公の八角は語る。

ぼくはこれまで池井戸潤原作のドラマを見たことがなかった。きれいごとのサラリーマン讃歌に過ぎないだろうと思っていたからだ。

しかし少なくともこの映画はオチを含めて違う。東京建電の社員たちは、理不尽なノルマやパワハラに苦しむと同時に自らもそれを受け継ぎ守ることが会社のためと信じている。

不祥事が発生しその影響がじわじわと広がっていく。事の大きさに気が付けば誰だって決定的な被害が出る前に何とかしなければと思う。しかし事が大き過ぎて逆に動けない。正しいことのために会社を消滅させ、自分だけでなく何も知らずに一生懸命に働いている人の人生まで奪うという選択肢がとれない。

八角は異端児である。しかしそれは企業戦士として生きてきて大きな壁に当たった果てに行き着いた道であり、かつての自分の延長である周りの人の生き方を完全に否定はしない。

誰が悪いのか。人はすぐ犯人探しに傾く。しかし現実はそれほど単純ではない。

本作は小説が原作ということもあり比較的不祥事の元が分かりやすく描かれているが、それでも実は誰がいちばん悪いかということははっきりしない。属人的に根源となる人物がいても個人だけで不祥事は成立しないからだ。

おそらくここに日本社会が抱える闇がある。不正を思いつく人間とそれを程度問題として許してしまう土壌は一朝一夕にできたものではない。そしてそれは国じゅうにはびこっている。

八角はこうも言う。この日本的な体質が急速な発展を後押ししたことも事実だと。

本作はこの辺りの作りが巧みだ。課題を指摘すると同時に救いも与えてくれる。内部告発で傷ついた企業戦士たちがそれぞれのやり方で再出発を試みる姿は希望に溢れている。

単純な巨悪があってスーパーマンのような異端な社員が先導してすべてを吹き飛ばす。それはそれで快感かもしれない。

しかし本作では責める者も責められる者もほぼ同類である。課長を叱責する部長は幹部に頭が上がらず、その幹部は親会社の前では平身低頭にならざるを得ない。毎日の自分たちと変わらない姿がそこにある。

そんな彼らが苦闘した末に次の居場所へ到達する様子に深く共感を抱くことができる構図になっている。そこに野村萬斎をはじめとした重厚な俳優陣の演技が大きく寄与していることは言うまでもない。

(90点)
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「ミスターガラス」

2019年02月03日 10時30分53秒 | 映画(2019)
スーパーヒーローはいるんです。


あり得ないと思われているものを画面に出しちゃうM.ナイト・シャマラン監督。前作では24もの人格を内包する強烈なキャラクターを登場させた「スプリット」が興行的に久々の大当たり。

大ヒットを予測していたのかどうかは分からないが、「スプリット」のラストに出てきた懐かしの「アンブレイカブル」メンバーが集結してあり得ない人たちのバトルが繰り広げられるのが本作だ。

ただその切り口は少し斜めからのものになっていて、「スプリット」のケヴィン、「アンブレイカブル」のデイヴィッドとイライジャ(ミスターガラス)ともに自らを超人と勘違いしている精神病患者の疑いありということで研究材料にされてしまう。

シャマラン監督が超常現象を否定する話を作るわけがないし、前の作品でさんざん見せた場面を覆す手法が思い浮かばなかったので敢えてそこを期待してみたが、その辺りは落ち着くところに落ち着くストーリーで特に目当たらしさはないかなと。

見せどころは「スプリット」以上に目まぐるしく変化する(強制的に変化させられる)J.マカヴォイの多重人格演技と、彼ら(人格のこと)とデイヴィッドやイライジャの絡み及び化学反応といったところに集約される。

「アンブレイカブル」は復習しておいた方がよかったかもしれない。なにしろブログに記事を書き始める前の2000年作品でほとんど記憶にないから、デイヴィッドって弱点も含めてこんな人物設定だったっけ?となってしまった。

前述のとおり驚きはさほどなかったが、特徴が際立つキャラクターを集めてそれなりの着地点に到達させたという意味では良かったのではないだろうか。うまみに乗じてもう少し引っ張ることもできたかもしれないところを断ち切った点も評価したい。

(70点)
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