あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

神と人間の創造

2017-02-14 01:15:59 | コラム
ふと、聖書の言葉を思いだして、なぜ「つくる」という言葉には「作る」「造る」「創る」といくつも漢字があるのかと思い、
わたしは漢字の語源を調べるのが大好きなので、調べてみたところ。


まず、違いを調べよう。



「作る」と「造る」と「創る」の違い




作るは、「料理を作る」「棚を作る」など、比較的小さなものや、「行列を作る」「社会を作る」「記録を作る」など、無形のもの、抽象的なものに用いる。



造るは、「船を造る」「庭園を造る」など、有形の比較的大きなものに用いる。
また、酒・味噌・醤油などは、「製造」「醸造」というように「造る」を用いるが、家庭でつくる味噌などは規模が小さいため「作る」である。
ロボットは、「人造人間」と訳されるように「造る」だが、子供用玩具のロボットは、形も規模も小さいため「作る」である。



創るは、「芸術作品を創る」「新しい雑誌を創る」など、新しいものが対象で、新しいものであれば有形無形を問わず用いられる。
ただし、常用漢字表では「創」に「つくる」の訓がないため、公用文では「創る」と書かず、「作る」か「造る」と書く。




なるほど、「創」という漢字だけが何か特別さを感じるのは、それが「どこにも存在しない新しいもの」を創るときに使われる漢字だからなのでしょう。



つぎに語源であります。




「創」という漢字


「創」の意味

①「きずつける」、「きずつく」

②「きず(傷)」、「切り傷」

③「はじめる」、「作る」、「初めて作り出す」、「初めて事を起こす」

④「はじめ」

⑤「懲りる(失敗して、大変な目にあい、もう二度とやりたくないと思う)」





「刀」の象形と「穀物をしまう為のくら」

の象形(「くら、きずつく」の意味の意味)から、刀で倉を「作る」、刀で

「きずつける」を意味する「創」という漢字





「倉」という漢字



意味

①「くら」、「穀物を入れるくら」

②「物を入れておく建物」(例:倉庫)

③「にわか(突然)」

④「あわてる」、「あわただしい」

⑤「青い」(例:倉海)

⑥「痛む」、「悲しむ」

⑦「うしなう(喪)(死に別れる)」



「穀物をしまう為のくら」の象形から「くら」を

意味する「倉」という漢字が成り立ちました。






「刀」の意味

①「かたな」

 ア:「片側のみに刃がある人や物などを切る物。戦いに用いる。とう。」
   (例:刀で切る、刀剣)

 イ:「武士が差した大小2本の「ア」のうち、大きい方の「ア」。
    小さい物を脇差(わきざし)と言う。」

 ウ:「太刀(たち-大きくて長い剣や「ア」)に対して小さい物を言う」

 エ:「小さい刃のついた物。包丁等。とう。」(例:執刀、刀俎)

②「古代、中国で「①-ア」の形をした青銅製の貨幣」(例:刀銭)

③「小舟」









き‐る
【切る・斬る・伐る・截る・鑽る】
《五他》
2.
[切] 基準とする値に達しない状態にする。 「元値を―・って売る」
3.
[切] 物事にくぎりをつける。
4.
[切] 他から、または今までの状態から、きわだって、(勢いよく)する。
5.
[切・鑽] 硬い物(木と木、石と鉄など)を、強くもみ込むようにしたり、激しく打ちつけたりして、火を出す。






「切る」とは「壊す」の意味もあると思います。





喪うものを、切る
痛み、悲しみを、切る



そして「はじまり」の意味があるのが、「創」という漢字であります。

なにゆえに、すでに悲しみ、痛みに打ちのめされ果てたものを、切るのでしょう?





「創」



そもそも、この「創」という文字は刃物で傷をつけることを指す言葉でしたが、工作のいちばん最初の段階で、木に刃物を当てるということから、「創める(はじめる)」という意味に転じていったといわれています。
  木に刃物を当てて、工作がはじまる。それは木を傷つける行為です。
  無数に刃物を当て、無数に傷をつけ、削り取り、切り落としていかないと、ものづくりはできないのですが、とくに最初のひとつめの傷をつけることをとって「創(はじめ)」と呼ぶところに、木を傷つけることに対する痛みの念というか、敬意のようなものが感じられる気がします。






木は切り倒しても、生きたものとして人間が感じ取り、それに刃を当てて傷つけているのだという人間の感性の尊さを感じさせる愛の深いお言葉である。
じぶんは木に刃を当て、削るなんてことはもう二十年以上もしていないが、人参を生食にするためピーラーで剥くとき、すごく「嗚呼…」という想いに包まれる。
だんだんと剥かれて細くなっていく人参を目の当たりにすると、そこにある痛みを見て、まるでその様子が、痩せ細って死んでゆく人間の姿におもえて、なんとも哀しい想いを抱くのである。

神は、いったい何故我々を創られたであろう。
その痛みのなかに、傷つけながら。
なにを、神は傷つけ、わたしたちすべてを創っただろう。
それは、自分自身なのではないだろうか。
神は産みの苦しみのなかに、わたしたちを創られたのではないだろうか。
まるで自分の身を切り捌(さば)くかのような痛みのなかで。

それが神と人間の、想像の末の創造なのではないだろうか。










この曲をリピートしながら書いたん。悲しく美しい。

bibio - down to the sound













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