あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

映画「拘束のドローイング9」もののあわれと悲痛の愛

2017-04-25 03:42:26 | 映画
ではBjörk「Black Lake」その拘束の愛は、いまも子宮のなかに。に続いて、さっき観たビョークのその別れてしまったパートナーである現代美術家のマシュー・バーニーが監督を果たし二人が共演した 2005年のカルト映画『拘束のドローイング9』を紹介したいと想います。

マシュー・バーニー Matthew Barney 「拘束のドローイング」「クレマスター」から観る独自の現代美術感覚

「拘束のドローイング」(The Drawing Restraint )といわれるシリーズも1980年代から続いている連作と言われ、最新の「拘束のドローイング9」は日本の捕鯨船をテーマにしており、世界に先駆けて日本の金沢21世紀美術館で初公開されました。



世紀のアーティストカップルが紡ぐ愛の神話

21世紀の現代美術シーンにおいて世界的にも突出した存在、マシュー・バーニー。
2002年、『クレマスター・サイクル』で圧倒的な賞賛を浴びたバーニーは、
実生活のパートナーであるミュージシャンのビョークとともに繰り広げた
愛の「変容」をめぐる最新作『拘束のドローイング9』







Drawing Restraint 9 (Full Movie)








現代美術とかほとんど触れることができていないので、期待して観たのですが、結構前半はだれてしまいました。
でも後半からとても観せます・・・
あえて言っときますが、かなりグロテスクなシーンが重要なところに入っています。

先に詳しい内容が知りたい方は拘束のドローイング9こちらの方のブログをご覧ください。

非常に、私には血の気がさーっと引くくらいの観ることが苦行かと想えるほどのきっついシーンがあったのですが、それでも、観終わった後はも、たまらんな、っていうくらいの美しい映画でした。

また二人が悲しい別れ方をしたあとに観たので余計に来るものがありましたね。なんて悲しいお話なのかなと。












も、たまらんな、っていうくらいエロティックでもの哀しくてやばいシーンです。観てるのがほんまきっつかったっす。







美しい、さすがビョークを変えてしまった男マシュー・バーニーです。映画を観るというより、美術作品として鑑賞しました。




ここからネタバレになります。





この話は何をテーマにしたかというのを私なりの感想を言います。
この映画は、捕鯨船に乗る人間たちによって、無念にも解体されてゆく”鯨たち”の悲痛な哀しみを表現しているんだと想いました。



2005年に発表された「拘束のドローイング9」(MATTHEW BARNEY DRAWING RESTRAINT 9)の面白いところは、いち早く日本の捕鯨船をテーマにした映像作品であるのですが、捕鯨や日本の食文化に関して否定的ではなく、むしろ肯定的であるところも興味深いです。
マシュー・バーニーは日本の捕鯨という、「巨大な生物を捕獲する為の閉鎖された文化のある船」という部分に注目してアート作品を作り上げており、日本の捕鯨文化そのものが後にアメリカから攻撃される対象になっているとは皮肉なものです。




と書かれているので、マシュー・バーニーは決して非難の想いで映画を撮ったわけではないのですが、テーマは間違いなく「鯨たちのかなしみ」だと想います。
芸術作品は善悪を超えねば昇華できませんので、否定ではないんだけれども、この映画は観る人によっては大変苦しい映画になるのではないでしょうか。

ビョークとマシュー演じるのはこれから婚儀を挙げようとする夫婦の役なんですね。
そのめでたいはずの二人がとんでもないことになってゆく。

わたしは観終わって想いました。愛し合う二頭の鯨たちが、捕鯨船に捕まってしまい、解体されて人間たちに食べられてしまいました。
その二頭の鯨たちの魂が、無念のあまりに人間の姿をとって、婚儀を挙げようとしたのです。
が、それでも忘れられない無念さを、互いに解体し合ってその互いの肉を食べ合うことによって納得しようとしたのではないかと。
そこには「わたしたちは他者に解体されて食べられたくはなかった」という鯨たちの叫びが聴こえてくるようです。

なんて悲しい夫婦なのか。涙が出そうにもなりましたが、そういう悲しみよりも、”悲痛”なんですよね。

この映画を観終わったあとに良かったらBjörk「Black Lake」を聴いてみてください。
その悲痛が繋がっている気がします。




追記:4月26日
一日が経ってもう一度観ました。二回目だからか、お酒を入れていたからか大分楽に観れました・・・。

二回目には、また新たなる発想が浮かびました。
日新丸は捕鯨母船であると同時に、一頭の鯨として表現しているのではないかと想ったのです。
日新丸が、別の船から深い傷を負わされた過去がある、そしてもっと深い傷はその前に・・・という話を裏千家の大島宗翠がふたりに話しているシーンがありましたね。
日新丸の受けた傷と、鯨が日新丸から受けた傷を重ねて表現しているのではないでしょうか。

そしてふたりが婚礼衣装を着させられるときに、変な濡らした白く長細い帯を最初に着けられますが、あれって臍の緒なんじゃないかと想いました。
ということはふたりは母鯨のなかにいた二頭の子鯨ということになります。
スピリチュアルでいうとツインソウルみたいな、そんな深い繋がりのある二人を表現しようとしているように見えます。
そう想うとBjörk「Black Lake」の出だしの歌詞
「私たちの愛は子宮だった
だけど私たちを繋いでいた拘束は壊れてしまった」
という部分も、やっぱりふたりは一つの子宮のような深い愛に繋がれた存在だったということを表しているように想えてきます。

なぜビョークとマシューは実物の鯨を一度たりとも出さなかったのでしょう。
芸術作品に実物を出すとよくないというのはわかりますが、互いにその肉を食べ合うあの肉さえも、あれは真っ赤な鯨肉ではなくて白い鮪か何かの肉のようでした。彼らは実は捕鯨に対してひそかに哀しんでいるのでしょうか・・・。

自分は鯨の肉は食べたことがありませんが鯨の油は化粧品などにも使われているようです。
捕鯨に反対される方は化粧品などの成分もチェックしたほうが良いですね。化粧品や洗剤なども結構動物性油脂が使われています。


ものすごく、奥の深い悲しい映画だなと感じさせられて、この映画を元にちょっとさっき書いたのでよかったら読んでみてください。
いさな








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