赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

「わが青春の譜」 菅 房雄のシベリア抑留記 ⑮

2018-06-28 11:32:18 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

*⑭からの続き

(彼の警官毒気を抜かれ何事も無) く帰った様子。
一寸離れてみていた此処(こっち)の方が、ハラハラドキドキだ。

其のザグーシどのも、嫌だ嫌だと言っていたが、
「チマダン」 (木製のトランク。大工ボロ儲け。薄い板で長方形の箱作り、
蓋の部分と本体とに切り分け、空き缶で作った蝶番つけて出来上がり。
ロスケと言うロスケ 皆んな作り大嬉こび) 提げてサハリン行き。
(刑の軽くなった囚人、大分行った様子。彼、タシケント生まれと言って居た)。
代わりに若いミッシャー?と言うのが来る。
仲仲理屈っぽいし、馬鹿にされてると思い、僻んでいるので始末が悪い。

ダモイの話も寒くなると消え、雪空と同じドンヨリと曇って失望と諦念。
望郷の念がつのるのみ。
此の頃か 四十年の間(に)風化され定かでないが、
見慣れぬ兵隊の集団移動してくる。
何処から来たかと問えば 沿海州。 択捉島にて武装解除。
北海道を左舷に見て沿海州。 
更に、ダモイと思ったら 飛んでも無い処に来たと、こぼす事頻り。
ダモイの夢潰れ、絶望感のみ。

昨冬出した赤十字のハガキ、ポツポツ返事来るが俺にはない。
家族全滅か?父母は殆ど絶望。 長兄はおそらく召集。次兄は南方。
心頼みは姉と甥(小学生) 小さい子は(どうなった)

満州に於ける惨状を考えれば望むだけが無理だろう。
諸行無常、摩憶測有るのみ。

ノルマ厳しく、ダバイ、ダバイ、ラボウタ、ラボウタ、馬も草臥れたか故障が多い。
伐採の兵が斃れたと。 八〇六の夏。
いつのころから汽車が通り始めたのか、秋かな、冬かな、
乾草盗みに行ったのだから秋頃か? 気が付いたら走って居た。
駅に勤めているロスケに頼まれ 豚去勢。 睾丸貰ってくる。
十数人居る厩舎の兵、此れだけではどこにも足らん、
何かないかと探したら 木クラゲ有り。
睾丸 細切りにして木クラゲ、塩味乍ら美味。

二、三日たった頃か、彼のオカどの、病馬、仔馬、放牧監視に行って茸見つける。
食べたら凄く旨かった と採ってくる。
「オイ、大丈夫か」と聞いたら、昼食時に食べ何事もなしと。
早速炊いて食す。高粱めし(原穀)だったが、本当に旨かった。
サア、ソレが真夜中になったら大変。食した連中皆嘔吐、直ぐ様病院行き。
俺は最後まで喰わず(軽症)で通す。
後日聞いた処に寄ると、われわれの仲間二名死亡。
隣の八〇八(八〇二より移動、鉄道作業)八名死んだとか。

丁度この夏、弥栄の組合で資産係り して居た大浦さんに会う。
我が隊の伐採、線路の向かい側の山。
たまたま馬の昼食監視に行った際、鉄道作業してた兵、我々の処に来る。
フト顔見たら大浦さん。

 *編者注

・ザグーシ: 厩舎責任者。

・チマダン: ロシア語で固いカバンの事。

・蝶番: ちょうばん。 ちょうつがいに同じ。引き戸や箱の開き蓋などを
 自由に開閉するために取り付ける金具。形が蝶に煮るところから。

・タシケント; タシュケント。中央アジアのウズベキスタン共和国の首都。
 当時はソ連の構成国の一つ。

・ダモイ: 家へ、故郷へ、故国への意のロシア語。
 抑留者たちには故郷や祖国への帰還、帰国の意で使われた。


・赤十字のハガキ: ソ連から抑留者に支給された俘虜用往復葉書(往復)。
 赤十字社を通して内地の家族と連絡を取ることが出来た。 

・揣摩臆測: 根拠はないが自分で勝手に推測すること。

・ダバイ: さあ、とかレッツの意のロシア語。抑留者たちには、早く早く!のように、
 作
業や動作をせかされる言葉に聞こえたようだ。

・ラボウタ: ラボータ。仕事、労働の意のロシア語。

・オカ: 病弱で労働もままならないような弱兵。

・弥栄: 満蒙開拓の第一弾となった満州国の村。

*⑯へ続く


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