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Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

第11回湘南国際マラソンを走る

2016-12-05 14:11:32 | ランニング

 

2016/12/4(日) 

第11回湘南国際マラソン  快晴。

 

去年、人生初のフルマラソンに挑戦してから3回目となる。

 

今回は実にマラソンって難しく、経験が必要で、自分の身体機能を知らなくちゃいけないし、

でもやっぱり最後は自分の精神と魂の価値が問われるってことをシミジミ感じたレースとなった。

 

目標を3時間20分に設定した。

調べてみると、3時間20分でゴールできるのは完走者のうち上位8%くらい。

陸上経験はなく誰にも教わったことがないオレにはかなり無謀な設定に違いない。

でも目標は掲げる。それがマラソンだ。

マラソンの自己ベストは意外にも40代、50代で叩き出す人が多いらしい。

体力だけではなく、戦術、経験、それに加え己を知っているということである。

自分の場合は何よりも経験がない。

でも無謀な50代がいてもいい。逃げる50代より、当たって砕ける50代のほうがいい。

レースは定刻9時スタート。 

前半20キロまで、3時間15分ペースでいった。

20キロまでは何もない。ドラマも何もない。ただ単調に距離をこなし、無機質に時間は流れる。

とても軽快だったし、もうこのままフィニッシュまで行けると思った。

呼吸も苦しくないし、心拍数も安定している。

身体にはキレがあったし、膝は全く痛くなかった。

練習はうそをつかない。真夏のランを思い出し、あの暑い中を走ったんだ、だいじょうぶ!

前へ前へ進んだ。前へ前へ。1歩進めば、ゴールには確実に1歩近づく。

 

この日、気温は相当高く、沿道の応援の人々は上着を着ていない。

20度近くあったのではないだろうか。

20キロから少々ペースが落ちてきた。

ちょうどその距離くらいからじわじわと気温が上がってきたので、

気温上昇に比例してペースが落ちていったようである。

 

20キロ超えたくらいから、それぞれのランナーにそれぞれのドラマがやってくる。

無機質な流れから、ドロドロした異様な気がバームクーヘンのようにコースに充満してくる。

生活臭や練習の過酷さや後悔ややる気がジワジワとあたり一面ににじみ出てくる。

ただし、我前進のみ、という共通項だけはある。

世の中で最大のパワースポットはマラソン会場なのかもしれないよ。

 

30キロ超えたところで約束の通り魔物がやってきてはランナー達にささやきかける。

「苦しかったら止まれよ」

魔物の誘惑に負ける。路肩で立ち止まる選手が増えてくる。

サブ3.5ペースでも相当止まっている。多くは前半飛ばしたからだろう。

このペースゾーンではほとんどのランナーが走るために生まれてきたようなアスリート体型をしている。

鍛え抜いた体型に眼光も鋭く、コースには鋭気が溢れている。

それでも止まる。真剣だからこそ、賭けるからこそ止まるリスクも相当大きい。

 

自分はといえば、フクラハギに少しずつ亀裂が入ってくるような感じが襲ってきた。

このままだとツッてしまう。

その不安からか、どんどんペースが落ちて、しまいには数回立ち止まってしまう。

 

「絶対止まらない、止まらない!」と悲鳴に近い声を出しながら走る。

でもその発声の5秒後には自ら路肩に寄って止まってしまう。

 

そう。魔物は自分自身だったんだよ。

 

痛みは避けられない。でも苦しみは自分次第だ。

痛みは避けられない。でも苦しみは自分次第だ。

痛みは避けられない。でも苦しみは自分次第だ。

 

魔物に打ち勝つために繰り返し唱えるが、その思いとは裏腹に止まってしまう。自分の弱さを痛感する。

どんどん抜かれ、自分を抜いた選手に近づくことはもはやない。

疲れがピークに達した二宮の最終折り返し。

完全に足がもつれて転倒し、走ってる勢いもあって前方にゴロゴロと2回転はした。

あまりの情けなさと、こんなにも身体がダメージを受けてるのかと自覚した。

でもそれとて魔物である自分のせい。

ささやいても完全停止はしなかったから、自らを転ばすという強行作戦に出てきたのだ。

 

気を取り直し、最後の力を振り絞る。

あと2キロ、あと2キロ。

その2キロは本当に長い。2キロはいつまでたっても100mしか縮まらず、

30分たっても1.5キロにしか縮まってないように思えた。

最後の1キロ、呼吸の力と脳の力と心臓の力すら、ハムストリングに転送した。

身体に残っているグリコーゲンを全てハムストリングに送り込んだ。

 

最後の1キロはペース5分20秒。

その最後の1キロが、その日のベストランだったかもしれないな。

5分20秒は普段ではかなりスローなペースだけど、

そのときの5分20秒は全身全霊のタイムだったよ。

 

フィニッシュした。 3時間29分59秒。

(GPSウオッチの記録。大会本部の計測だとたぶん1分ちょい悪いかも。)

 

達成感もなにもない。悔しさは怒りにも近い。感動はなかった。

 

とはいっても、ゴールして数十分たち、さらに翌日にもなると思いはこみ上げてくる。

ゴタゴタして先々が不透明なり、あらゆる出来事が負の方向へ転じていった今年。

負のものを全部たくわえて、そして42.195キロで吐き出した。

なにかをやり遂げることは、吐き出すことと同じかもしれない。

自己記録は若干ながら更新した。

 

こうやって失敗をし、経験をして、よいランナーになっていく。

速いランナーではなく、強いランナー。 オレはそうなりたいね。

 

走れる身体と健康に感謝し、大会運営のスタッフに感謝したい。

練習をしっかりしてきた自分にも感謝だが、

なにより、いつも刺激しあったウインドサーフの仲間連中に感謝したい。

 

最近良く思う。

できるか、できないかではない。やるか、やらないかだ。

オレはまたやりたいね。

時間はまだまだある。

まだまだ走れる。山だって、ウルトラだってきっと走れる。

そう思うこと自体が人間に備わった根本の才能だと思うね。 

 

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p.s.

「走ることについて語ること」 wrote by 村上春樹 

 

痛みは避けられない、でも苦しみは自分次第だ。

ある時、そんな言葉を憶えた。
そして、長距離レースを走るたびに、
頭の中でその文句を繰り返すようになった。

きついのは当たり前
でも、それをどんな風に苦しむかは自分で選びとれる。
Suffering is optional.
へこたれるも、へこたれないも、こちら次第。

苦しいというのはつまり、僕らがオプションを手にしているということなんだ。

僕やあなたのような普通のランナーにとって
レースで勝ったか負けたか
そんなのはたいした問題じゃない。

自分の掲げた基準をクリアできたかどうか
それが何よりも重要になる。

ランナーはあなた自身に委ねられている。

自分の中でしか納得できない物事のために
他人にはうまく説明できない物事のために
長い時間制をとってしか表せない物事のために
僕らはひたすら走り、また、こうして小説を書く。

やっとゴールの大磯ロングビーチに辿り着く。
42キロを走り終えた達成感なんてどこにもない。
頭にあるのは、ああ、もうこれ以上走らなくてもいいんだ
ということだけ。

地元のカフェで一息つき
冷えたビールを心ゆくまで飲む。
ビールはもちろんうまい。
でも、僕が走りながら切々と想像していたビールほどうまくはない。
正気を失った人間の抱く幻想くらい美しいものは
この現実世界のどこにも存在しない。

走っているときに頭に浮かぶ考えは空の雲に似ている。
色んな形の色んな大きさの雲。
それらはやって来ては去ってゆく。
でも、空はあくまで空のままだ。
雲はただの客人に過ぎない。
通り過ぎ、消えてゆくものだ。

暑い日には暑さについて考える。
寒い日には寒さについて考える。
つらいことがあった日には
いつもより少し長く、少しきつく、一周余分に走ることにしている。
そして、あとにただ空だけを残す。