あひるさんが神戸あたりでお写真

カメラをぶらさげてお散歩するのが大好きなあひるさんのブログ。

六甲ガーデンテラスから見える大阪のまち

2017年10月09日 23時08分28秒 | 神戸
六甲山にある六甲ガーデンテラスから見える大阪のまちです。

まずは六甲ガーデンテラスのご紹介。
六甲ガーデンテラスには展望台をはじめ、飲食施設やお土産販売所、さらにはおしゃれなお店もあり、六甲山に登ったらぜひ立ち寄りたい場所です。

神戸の六甲山から見える大阪のまちをじっくり見ると、やっぱり平野が多い。
ここに江戸時代にあっても巨大といえる都市ができた必然性が垣間見えます。
文化的にも方言も少し異なる大阪と神戸が阪神間を通じてつながっているのが、六甲山からよくわかります。
ちなみに、六甲山があるのは主に東灘区だと思いますが、ここは神戸やなかった!
戦後の地方自治体の再編で神戸市に組み込まれたようです。
東灘区って酒処の灘五郷のくくりやったんでしょうな。
間違っていたらのちに訂正いたします。

右上にある高そうなビル。
これは現時点の日本一の高さを誇る超高層ビル、あべのハルカスでしょう。
ということは、その左側に乱立するビル群は難波から梅田につながる御堂筋周辺に建つビル群かな?
そんでもって、左手前は宝塚かもしれん。
宝塚大劇場はこの写真だとよくわからなくて確認できないみたいですけど・・・。

次の写真の方が梅田辺りが範囲的にきちんと写っているかも。





梅田の丸ビルという特徴的な丸いビルもよくわからんし、そこから、写真でいうと右にちょっといったら、京橋のビル群がある思いますが、わからん(笑)
京橋がわかれば、大阪城もわかるはずだけど、ビルが建ちまくっている現代ではビルが遮って見えないのかもしれませんね。

江戸時代、例えば幕末あたりに六甲山に登ったら、当時、六甲山は燃料のため木が切り出されてはげ山に近かったらしいから、黄土色の山から大阪城が見えたんだろうなぁ。
とはいえ、当時は天守閣がなかったから、大阪城でよく見えたのは、あの壮大な石垣だったのでしょう。
尼崎城には幕末まで天守閣が存在したから、これは見えたはず。


まあ、こっち方面が食い倒れやお笑いのイメージで語られているザ・大阪です。

最後に大阪市内が写った広角な写真を載せておきます。










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2 コメント

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太閤はん (リト)
2017-10-10 12:55:52
こうやって高いところから見ると
大阪湾?に流れ込む川が多いですね。

私は新大阪からお城までしか行かなかったけど
高いビルがいくつもあって
大阪も大都市なんだなぁと
ひたすら見上げていました。

現在の大坂城は徳川方が以前の豊臣のお城を破壊した上に建てたものにも関わらず
私も含め、日ノ本の半数以上は
「さすが豊臣秀吉さんのお城じゃのう」と感心しながら見上げますね。
(*´ー`*)それだけ太閤殿下は城下の庶民に親しまれ、偉大だと思われたんでしょうね。
大坂とあひるさんは川があってこそ (あひるさん)
2017-10-10 16:39:11
大阪湾に流れるこのような数々の川が平野をつくったのでしょうね。
その結果、人が住みやすい場所に。

川は物流面でもありがたい存在でした。
エンジンや自動車がなかった江戸時代には、
船による水運は大量の物資を運ぶのに好都合でした。
民間人がつくった道頓堀はその名残ですし、
淀川を下って京から、そして海から、と川は天下の台所における商業を支える大切な役割を果たしたんですね。

その過去の遺産を食って、現在高いビルが建ちまくっていると。

豊臣時代の石垣が発見されましたよね。
大阪城における徳川の存在感はかなり薄いですね。
秀吉さんびいきは確かに大阪にあると思います。
古代の難波宮以来となる政治の中心地を大阪に置いた功績によるものなのかな、と考えたりします。

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