あひるさんが神戸あたりでお写真

カメラをぶらさげてお散歩するのが大好きなあひるさんのブログ。

【復活更新】JR姫路駅から姫路城が見え・・・あれ?何か写ってる

2018年01月18日 18時14分49秒 | 兵庫
お久しぶりです。
ご心配をおかけしました。

先日書きました僕に課された使命は無事達成できました。
生きている以上、いろいろありますね。
ひとりで生きることはできません。
持ちつ持たれつが福祉の原点だと気づかされました。

今日から再始動。
よろしくお願いいたします。


さて、その使命では西の方に行かなければなりませんでした。


JR姫路駅で乗り換え。

乗り換えには10分くらいは待たなければなりません。

たしか駅のホームの上からも大通りの正面に行けば姫路城が見えるはずと思い出し、
電車の時間までまだあるから大通りの正面に移動しました。

見出しの写真のように、確かに姫路城が見えました。

「おお、世界遺産姫路城や!」


「ん?ホームの左に何かおる・・・・・鳥がおるぞ・・・どんな鳥やろ?」


この鳥の正体を探るその前に・・・・・角度を変えたり、位置を変えたりして、天守閣をズーム。






やっぱり白いなぁ。
やっぱり立派やなぁ。


位置を変えて撮影も。





石垣も櫓も立派やなぁ。
奇跡の城やなぁ。


では・・・あの鳥は・・・・・だいたい見当はつくけど(笑)






やっぱりこいつ・・・いや・・・・・ハクセキレイさんか(笑)

このブログでこの年末年始、ハクセキレイさん何回登場したんや(笑)


姫路城を見つめるハクセキレイさん。
うむ、確かにハクセキレイさんのカラーリングは姫路城やな・・・・・。
頭が屋根瓦の色で、さらにちゃんと白壁も表現されている!
そう考えれば、姫路のまちにふさわしい鳥さんですね。
サギさんよりふさわしいかもしれません。
(シラサギという鳥は存在しないそうで、色の白いダイサギさんやチュウサギさん、コサギさんを指すそうです。ちなみに白いサギさんの写真も最近撮りました)

そこでわたくしは姫路城の別称を白鷺城から白鶺鴒城に変更することを提案します(笑)





ああ、ハクセキレイさん、鳥取行きの特急スーパーはくとに乗るのですか?
姫路に帰ってくるための往復切符は買いましたか?

うん、確かに乗車位置はそこです。



明石城の石垣

2017年10月21日 21時06分12秒 | 兵庫
明石城の石垣にちょっとだけ焦点を当ててみましょうかね。

角はやっぱり密に組んでありますね。
組み方も変遷があるそうですね。
同じく激震が襲った熊本城と比べてどうなんでしょう。
修復に長い年月を必要とするような深い崩れ方はしなかったのでしょうか。
もちろん、当時明石城石垣の修復をされた職人さんには頭が下がります。
それにしても、400年前の職人さんの技術はすごいですね。

櫓の手前、ここにも昔は何かが建っていたんでしょうか。




真っすぐ登らせてくれません!




いかにもお城という光景。




植物が絡んでいる姿もたまりませんね(笑)





明石城の重文・巽櫓

2017年10月20日 22時41分49秒 | 兵庫
明石城の重文・巽櫓です。
この櫓、小さめの天守閣(弘前城?)くらいありそうです。

明石公園入り口手前の歩道から撮ってみました。
ここからだと櫓が遠くになるので小さく写っているけど、城の雰囲気が伝わるでしょ?

次にふうふう言いながら階段を上がって櫓のある場所へ。





天守閣と名の付くものの威光にはかなわず、観光客はまばらですね。
手前の塀の穴、石を落としたり、鉄砲を突き出したりするんでしょうね。
やっぱり、城ですね!

次に昨日、投稿した坤櫓と今日の巽櫓両方が見えるところから撮った一枚を載せておきます。





こう見てみると、確かに、絵的にここに天守閣が欲しくなる(笑)
しかし、歴史上一度も造られなかったんだなぁ。
ですから、「再建」もできないわけですね・・・。
下の写真のように、天守台は用意されていたんですが、平和な時代にはいらんということでしょうね。






播磨国明石城の坤櫓が重文であることを知る関西人は少ない

2017年10月19日 23時57分45秒 | 兵庫
播磨国のお城といえば姫路城ですが、もともと天守閣が造られなかった明石城も地味ながら国の重要文化財に指定された櫓が二つどっしりと構えており、もう一つの播磨のこのお城を一度は見に来てください、と思ってしまいます。

誰でも無料で石垣の上に行って外観を眺められますが、残念ながら、平日は人気が少なく、女性単独では行きにくいかと思ったりしますが、まあ大丈夫です・・・根拠はないけど・・・。

写真は重文・坤櫓でございます。
もう一つの巽櫓は明日投稿いたします。
目のつけどころは・・・ズバリ・・・石垣(笑)
阪神淡路大震災の激震が明石のまちを襲ったはずです。
アーカイブを観ると熊本城のように石垣が崩れたようですが、自分の記憶と照らし合わせると熊本城ほどの規模ではなかったのかと思われます。
修復された現代の職人さんには頭が下がりますし、
熊本城も明治以降の修復部分が崩れたと聞きましたところ、
明石城の築城時の石垣職人さんの石を組む技術もたいへん優れていたのだなと感謝です。





このように柵で囲っていて普段、内部は公開されていませんが、定期的に公開されているようです。
白い壁は徳川家への忠誠の証でしょうか。
世間的には天守閣ほど訴求力がないみたいですが、これは重要文化財ですよ。
もっとこの存在をみんなに知ってほしいです。。

兵庫西宮の御前浜―『火垂るの墓』を巡る

2017年10月08日 22時45分46秒 | 兵庫
『火垂るの墓』で清太と節子が水浴びしていた西宮の御前浜です。
先日投稿した御影公会堂に続き、『火垂るの墓』で描かれた場所を巡りました。
このすぐそばに同じく火垂るの墓に描かれた「西宮回生病院」があります。
描かれた正面玄関は老朽化のため2015年に解体されたそうで、真新しい玄関になっていました。
清太と節子には抗することができない戦争によって、悲しすぎる結末を迎えることは、火垂るの墓を観た方なら知っておられると思いますが、
その束の間の楽しい時間を過ごした海岸です。
フィクションであっても、現実にあった戦争に引き寄せられる思いがして胸が締め付けられます。




明石海峡大橋を渡って淡路島―源義経・逆落しを撮ってみた

2017年09月30日 22時13分04秒 | 兵庫
先日、バスで初めて明石海峡大橋を渡って淡路島へ行きました。
行先は淡路インターにあるサービスエリア、ハイウェイオアシス。

明石海峡が一望できました。
ええところにサービスエリアをつくりましたなぁ。感心感心。

下の2枚の写真は淡路インターの展望スペースから神戸・須磨一の谷を望遠で撮ったものです。
源義経による「坂落し(逆落し)」が行われたという伝説がある場所として有名ですね。
特に2枚目がその場所に近いと思われます。










現在では須磨の一の谷がその場所と広く信じられていますが、
逆落しの行われた場所は諸説あるようですし、そもそも逆落し自体が伝説の域を出ないのではないかとの考え方もあるようです。
しかし、源義経が本当に逆落しを行ったのなら、
この写真からわかるように、この山を馬に乗って駆け下りたとすると、義経によるこの奇襲作戦はかなり大胆で勇気のいる作戦であったことが分かりますし、そりゃ伝説になるわ、と思ってしまいますよね。
百聞は一見に如かず。

山の下にJR線と山陽電気鉄道線も見えてますね。
貨物列車なんか写ってたらさらに良かったやろうなぁ(笑)。

あっ!山の上に見えるのがブラタモリでタモリさんご一行が乗ったカートの施設ですね、たぶん。
展望台もタモリさんご一行が立ち寄られて、そこから見渡せる神戸、特に和田岬の地形の理解を深めておられたのが印象に残っています。


次の写真。おまけ(笑)

サービスエリア、ハイウェイオアシスの特産品・お土産売り場であったものが僕の心に引っかかったのでサイレントシャッターでひっそり撮りました。(ごめんなさいね)



兵庫・淡路島で信州、そして真田氏・・・。
真田家と淡路島、なにかゆかりがあったのかなぁ。
僕が勉強不足なだけで、あるのかもしれん!

淡路で長野・信州の名物を売るなんて不思議かも(笑)
淡路島といえば、たまねぎと線香が特産のイメージがあり、そっちも前面に押し出されていましたが。


せや!今日のお月様です。

シャッタースピードは1/200秒、ISOは80。