たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

母が亡くなった年-2012年11月~12月

2024年05月17日 20時35分47秒 | 祈り

「2012年11月18日(日)

本を書きたいと思う。何を書きたいって?わからない。ただ自分を生きるために、ひと区切りつけるために。そして社会に伝えていけることがあるのではないか・・・。自分の本を手にしたい、その一心で突き進んでいった21-22歳の頃のときめきとエネルギーをもう一度取り戻したい。20年以上が過ぎ、その頃には思いもよらなかったような体験をした。ずいぶん苦しんできたが、母の死によってそれは終止符が打たれた。これからは本当の自分を生きるために、自分の物語を綴っていく。そんなことができないだろうか。漠然とただ思うのみでどこからどうしたらいいのかわからないが・・・。」

 

「2012年11月22日(木)

人の悪口は言いたくないし、ずいぶんこらえて我慢しているつもりだ。でもそれは必ずしも人に伝わらない。残念ながら・・・。

こんなややこしい難しい中を私にはこれ以上無理だま。よかれと思ってやっていることが全て裏目にでる。私は目ざわりでジャマなんだ。これ以上辛抱してがんばったところで何かご褒美があるわけではない。もう終わりにしようと思う。収入は途絶える。家に帰ってゆっくり考えてもいいかな。ただし、Y君が何ていうかだけど、これ以上がんばっても、もうしょうがない。

コソコソ言っている人たちは自分たちでできるっていうことなんだからやればいい。やってみろ。私はもう知らない。

怒り・・・怒り・・・

表現するのはむずかしい。」

 

「2012年12月9日(日)

『赤毛のアン-最終章』(新刊本)はモンゴメリさんが晩年だんなさんの精神疾患に苦しんだ、その苦悩が色濃く現れている。第一巻とは全く別物で違和感がある。推理小説を読む感覚だが、第一巻からその後30年のモンゴメリさんの人生そのものだ。

-ドトールでケータイの通話の声がうるさかった。2人いて何となく単語が呼応しているのがおかしかった。それにしても便利になり過ぎて、非常識な人が増えた。どんな世の中になっていくのだろう。プライベートな内容が公衆に丸聞こえだというのは恥ずかしくないのだろうか。-

 

静かになったので再開。アン・セミナーのあとのクリスマス会、ローラの話題など楽しかった。絶対ツアーに行かなければならないような気になってきた。大人になって色々なことを経た今、ローラのドラマを再びみると、どんなことを感じるのだろう。いじわるネリーや必ずしもウマが合うわけでもない隣人たちと上手くつきあっていた。そことから学ぶものはあるだろう。読みたい本は尽きない。生きている間に、哲学、必ず勉強するぞ。

また自費出版したいと思うが今はまだ全くおぼろげだ。もう少し色々と整理してからだ。地震が続くと不安と恐怖にかられる。軽いパニック。まだ大きいのがくる可能性はある。一日一日無事に終わっていきますように・・・。

限りある私の時間。これからどこでどう生きていけばいいのか。答えは簡単には出ない。運も大きく左右するよな。」

 

「2012年12月17日(月)

土曜日にY市福祉保健事務所まで出向いて自死遺族の会にようやく行ってみた。意外と遠くてお昼も食べないまま、集中して話を聴いたし自分のことも話したので終わってみればすごく疲れていた。やはり人の話が深く入りこんでいてきついものがあったのだろう。夜は二度目がさめてしまった。それでもほんのぽっちり自分の体験が役に立つのではないか。そう思うわたしもいる。ほんのちょっとずつだけど発信していきたいと思う、社会の中へ。

雨ですごく寒かった。戻ってからデパートの中のアフタヌーンティーへ、眼科に行く気力はなかった。

色々思いはじめればきりがあない。でも、もう自分を責めたりなんでなんだろうと考え始めたりするのはやめようと決めたのでもうしない。

それにしても現実はドロドロとしたもので、色んな人がいて色んなことがあるんだな。お仲間がたくさんいることにあらためて驚いている。若い人は特にやりきれない。なんとも口惜しいものだと思う。

自民党圧勝。大震災と原発事故のあとなのに何も変わらない。希望がもてる社会になっていくのだろうか。

私も苦しかった。この体験を発信できないだろうか。あまりきつい話には耐えられないが、救急車のサイレンをきくたびに私にできることはないだろうかと思う私がいるのも事実だ。」

 

「2012年12月23日(日)

商業主義的なクリスマス一色にうんざりしている。そういえば赤毛のアンにクリスマスツリーは出てこない。いつからこうなったのだろう。

神経症が治らなくって、なんとなく余裕のないきびしい社会の中でこれ以上やっていくのは無理だと思う。不安にとりつかれたら、どうしようもない細かなことが気になってしまったり、声高なキイキイ声にすごく疲れてしまったり、人がわさわさするのに耐え切れなかったり、自分はこういう性分なんだから仕方ない。器質は持ち合わせているんだ。

誰が私を必要としているわけでもなく、自分一人で勝手にやらなければならないことがあるような思いにとりつかれている。今の仕事はもう少しセーブしていきたい。といっても家賃を払わなければならないし、旅にも出たいとなると残業しないわけにはいかない。辛いところだ。

ヨガに参加してそのあとお風呂。自分の体と向き合い静かに呼吸しているとバランスの悪いのがよくわかる。

喪中葉書を出していないがさりとて年賀状を出す気にもならず、もし届いたら寒中見舞いを出すにとどめようと思う。

被災した人達のために自分ができること、あるんじゃないか。でもやっぱりあまりきついことには耐えられないかな。家を離れる不安があるので、旅には出られない。今できることをほんの少しずつだけどやっていこう。本当の自分をこれからは生きていけばいいんだよ。無理すんな。ずっとあり得ない無理を自分にさせてきたんだ。」

 

「2012年12月31日(月)

2012年が無事に終わろうとしている。スタバにいると全く実感がない。一週間前はクリスマス一色の狂騒曲を奏でていたのに、25日の夜になるとたちまちお正月へとスィッチ。デパートやメディアに踊らされているようで、どうにもついていけないし、好きになれない。なんとも不思議な国だ。それでも一応ガスレンジ周りと本棚のほこりのすごい所も掃除した。要らないもの、行方不明だったものがでてくるものだ。あとはひたすらデジタル化。

けっこう疲れる。まだまだある。なかなか終わらないなあ。それでも減っているはずだあ。少しずつだがどこかで諦めて捨てられるようになった。いつか捨てなければならないのだ。今か30年後か。

夜になると母のことを考えてしまい、落ち着かなくなる。色々思い巡れば悔やみ切れない思いがよみがえってくる。でも、もう自分を責めるのはよそう。人の営みとはなんとも理屈では言いようのない、ゴタゴタとしていろんなものがゴチャゴチャに混ざり合っているものなのだ。これからどう生きていこう。辛くなったらいつでも逃げられる。そんな立ち位置で人の営みに関わっていくのがいいのかな。ひとつひとつは何でもないことのような積み重ねで日々の営みは続いていく。

子供に自死された人に希望をもってほしいなどと思うのは酷だよな。母の思いを想像力ではかっても私にはわからない。受けとめ切れない試練にさらされながら精一杯生きた。どうしてそうなったのか。

どこにも答えはないのでそれを追い求めてもどうにもならない。私は私の立ち位置で自分が幸せになる努力をすること、それだけだ、それでいいんだ。」

 

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