goo

八咫烏はニセガラス

まずは、天皇皇后両陛下が奈良の神武天皇山陵をご訪問されたという報道から。

両陛下が神武天皇の陵を参拝 奈良・橿原
毎日新聞2019年3月26日 12時30分(最終更新 3月26日 13時30分)

京都市に滞在中の天皇陛下は26日、皇后さまとともに奈良県橿原市を訪れ、初代天皇とされる神武天皇の陵を参拝し、4月30日で退位することを報告された。陛下は即位を報告した1990年の参拝時と同様にモーニング姿で、皇后さまも洋装で、順に参拝した。26日中に京都に戻る。


引用元:毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190326/k00/00m/040/114000c


前回の記事「両陛下へ繋ぐ神武天皇御陵」でもお伝えしたように、両陛下が訪れた陵墓は神武天皇御陵でないのは明らかなのです。そして、本物の御陵が福岡県の那珂川市内にあることを、「現人」をキーワードにご紹介しました。

つまり、宮崎から奈良大和の地へ入り、あまつさえ、当地に陵墓を築いたという神武東征伝説というのは全くのデタラメだと言うことです。先の第2次世界大戦では、こんなデタラメを信じ込まされ、お国のためと言いながら

 300万人もの日本人の命が失われた

のですから、こんな嘘は大概にしないといけないのです。そして、5月に即位する新陛下の時代には絶対に引き継いではならないのです。


写真1:福岡県にある神武天皇御陵。ひどい扱いをされています。

神武天皇御陵探訪の勧め

5月の10連休には、前記事で紹介した航空写真と上写真1をヒントに、現地で本物の神武天皇御陵を探してみては如何でしょうか?始める前と終わりに現人神社へのご挨拶もよろしくお願いします。もしも見付けることができたら、お花の一本でも捧げていただけるとたいへんありがたいです。

現地をずばりお知らせしないのは、本当に関心のある方だけに訪ねて頂きたいのと、裂田の溝など、御陵以外の当地の遺跡や地形についても見て頂き、天皇家所縁のお土地の雰囲気を肌身で感じて頂きたいためでもあります。

JR九州博多駅から新幹線で博多南駅下車、または博多駅から那珂川営業所行きの西鉄バスに乗り、終点で下車して徒歩で回ることも可能です。そこそこ距離があるので、現地で小型車を借りて回るのがお勧めです。


■東征伝説をデッチアゲる理由

ここまで書くと、聡明な読者様ならこう考えるはずです、

"史書などいくらでも改ざんできる。そうだとしても、神武東征伝説が嘘だと言うなら、その嘘を吐く理由はいったい何なのだ?"

確かにその通りで、少なくとも現天皇家に東征伝を偽るメリットは感じません。それならば、この偽伝説によって何らかの利益を得る集団を拾うことが理由解明の一つにあげられます。また、天皇家の出自と直接関係のない九州の宮崎を何故ここまで強調するのか、その理由を追うことで受益者を特定するという方法が考えられます。

今回は、この偽伝説によって英雄として称えられた存在について考えます。つまり、史書をいじり、歴史的な権威や存在の正当性を捏造したと思われる集団のことです。その様な存在は幾つか考えられますが、その最たるものが、

 八咫烏(ヤタガラス)

であると私は考えます。

日本書紀巻第三にはこうあります。

原文
時夜夢、天照大神訓于天皇曰「朕今遣頭八咫烏、宜以爲鄕導者。」果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。大哉、赫矣、我皇祖天照大神、欲以助成基業乎。」是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣。

書き下し文
時に夜夢みらく、天照大神、天皇に訓(をし)へまつりて曰(のたま)く、「朕今(あれいま)頭八咫烏(やたのからす)を遣す。以って鄕導(くにのみちびき)としたまへ」とのたまふ。果して頭八咫烏有りて、空(おほぞら)より翔び降(くだ)る。天皇の曰(のたま)はく「此の烏(からす)の來ること、自づからに祥(よ)き夢に叶へり。大きなるかな、赫(さかり)なるかな。我が皇祖(みおや)天照大神、以(も)て基業(あまつひつぎ)を助け成さむと欲(おもほ)せるか」とのたまふ。是の時に、大伴氏(おほとものうぢ)の遠祖(とほつおや)日臣命(ひのおみのみこと)、大來目(おおくめ)を帥(ひき)ゐて、元戎(おほつわもの)に督將(いくさのきみ)として、山を蹈(ふ)み啓(みちをわ)け行きて、乃(すなは)ち烏の向ひの尋(まま)に、仰(あふ)ぎ視(み)て追ふ。遂(つひ)に菟田下縣(うだのしもつこほり)に達(とほりいた)る。

文意
夜、(神武天皇の)夢に天照大神が現れて次のように仰られた「八咫烏を遣わすので、道案内としなさい」。すると空より八咫烏が舞い降りてきた。神武天皇は「この烏が来ることは、夢の通りだ。なんと大きく、輝かしいのであろうか。きっと祖先である天照大神が、天の継承者である自分を助けなければと思われたのだろう。」と仰られた。この時に、大伴氏の祖先に当たる日臣命は大來目を頭に大軍を率いて、空を飛ぶ烏を仰ぎ見つつ、その向かう方角に向けて山を踏み分け、掻き分けて進んだ。そして、遂に菟田の郷(*1)に出たのである。

 
 この絵は八咫烏ではなく長髄彦の戦いの時に現れた金鵄(きんし)

*1:一般に、書紀に出てくる菟田(うだ)は、現在の奈良県宇陀市の辺りを指すとされています。

東征伝説で困難に陥っていた神武天皇を助けた功労者は、人でも神でもなく、烏(カラス)だったのです。

八咫烏と言えば、スピリチュアル通の間では、天皇ひいては日本国を守護する正義の秘密結社で、そのメンバーに名前や戸籍はなく、リーダーは金鵄(きんし)とか大烏(おおがらす)などと呼ばれている。構成員は末端まで含めると5万人・・・・云々と語られているようです。

具体的には、東征伝説で神武天皇が上陸されたとされる熊野地方にある熊野大社を拠点とし、最新の科学知見を武器に世界にまたがる高度な特殊任務を担当しているとかしてないとか・・・・


写真2:熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)と八咫烏の旗
  偽伝説の上に成り立っている神社


写真3:関係ないのに神武天皇を祀る宮崎神宮
  こちらも偽伝説の上に成り立っている。便乗するのは神社本庁


確かに、熊野系の神社は3本足の烏(八咫烏)を神紋に掲げています。そして、この私も、直接対話したことはなくとも、八咫烏と自称する人物の噂を耳にしたり、それらしき挙動を示す人物達と遭遇したことは何度もあります。我家の上空をビジネスジェットに乗って数回ほど旋回していったのも、おそらくその類の方々でしょう。

そのように、全てにおいて怪しげな集団なのですが、彼らのことを今さら深く詮索する必要はもうありません。彼らこそ

 偽伝説によって権威付けられた集団

つまり、

 インチキ集団(=八咫烏)

なのです。そもそも、そんなにご立派な日本のヒーローが居るなら、どうして300万人も日本人が死ぬような戦争を避けられなかったのか、最近では福島第一原発の放射性ゴミを全国に撒き散らすような暴挙を止められなかったのかと疑いたくなります。そして、私の場合は何よりもこれです、

 どうして123便事件を防げなかったのか?

結果が出せない時点でもうアウトなのですが、むしろ、その作られた権威を笠に着て、積極的に皇室や日本社会を影から蹂躙している、外国勢力と共謀して戦争を始めたり、123便事件では積極的に隠蔽工作を行った、それがインチキ集団である八咫烏の正体なのだと思います。

神武東征伝説を糺すことは、同時に、宮中における獅子身中の虫である八咫烏を排除することを意味します。もしも、自分は八咫烏のメンバーで、もうこんな組織は嫌だと思われる方がいらっしゃるなら、脱会をお勧めします。命が危ないということならご相談に乗りますよ。組織に残って功績を上げたところで、最後には口封じと称して葬られるのですから、それなら、罪に手を染めないという選択を積極的に選ぶべきです。

最後に一言。そろそろ三重津のお里にお帰りの時間ですよ、さん。


 * * *


今回の記事だけで、神武東征伝説が虚実であることを納得される方はまだ少ないかもしれません。今後も、神武天皇の出自と現在の皇室との関係、福岡と奈良の関連性などについて、読者様にご納得頂ける資料を提供していく予定です。


キリストの御国にて記す
管理人 日月土


コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする