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●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…

2021年05月09日 00時00分00秒 | Weblog

[※ 辺野古は破壊「損」 【米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑]


/ [2021年04月29日[木]]
沖縄タイムスの【社説[きょう「4・28」]基地押し付けを改めよ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/745315)。
琉球新報の【<社説>4・28「屈辱の日」 自己決定権を誓う日に】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1312376.html)と、
コラム【<金口木舌>われわれにパラシュートはあるのか】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1312593.html)。

 《1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と旧日米安全保障条約が発効した。 当時、アナウンサー研修のため東京に滞在していた川平朝清さん(元沖縄放送協会会長)は、その日のショックと憤りを鮮明に覚えている。「独立を祝う報道一色だった。日本はいかに幸いなことか。ドイツや朝鮮半島のように分断されずよかったと。沖縄、奄美、小笠原はどうなるのか」》。
 《4月28日を迎えた。サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)によって日本の独立と引き換えに、沖縄は日本から切り離された。米国統治が始まった日である。沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼んできた》。
 《▼「琉大文学」同人で、宮森小米軍ジェット機墜落事故を取材した作品「恐怖と血の代償」を残した。子どもの命を奪った墜落機から操縦者がパラシュートで脱出していた。詩人は悲痛な叫びを刻す。「われわれには、パラシュートはない!」…▼太平洋戦争の末期、日本は沖縄を捨て石にし、サンフランシスコ講和条約で米国に差し出した。「屈辱の日」の4・28から69年。今も続く閉塞感の中で県民は自問する。「われわれにパラシュートはあるのか」》。

 沖縄の「屈辱の日」…どこが「主権回復の日」だ?
 《基地問題は戦後史を抜きに語れない》…沖縄「屈辱の日」を「主権回復の日」と言う元首相・アベ様、平然と沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官・カースーオジサン…。
 《子どもの命を奪った墜落機から操縦者がパラシュートで脱出していた。詩人は悲痛な叫びを刻す。「われわれには、パラシュートはない!」 ▼身の危険から逃れる術(すべ)がない。…「屈辱の日」の4・28から69年。今も続く閉塞感の中で県民は自問する。「われわれにパラシュートはあるのか」》。

   『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経
    「コラム「筆洗」の云う「仲井真弘多沖縄県知事は欠席する。当然だ。
     沖縄にとっては、祖国から切り離された「屈辱の日」なのだから
     ▼「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。
     保守系の翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の
     耳には聞こえないようだ」、に全く同感。
      「屈辱の日」を祝う神経を疑う。
      「安倍政権を礼賛している右寄りの人たちは、実は自分たちも
     切り捨てられる側にいることに気づいていない」、これってハシズム
     大絶賛している人たちにも言えます」

   『●「空疎で虚飾に満ち」た弔辞を代読する
     最低の官房長官に怒声…「翁長氏の遺志に応える唯一の道」とは?
    《象徴的だったのが、2015年9月に沖縄県と政府の集中協議が決裂した際の、
     菅官房長官の発言だ。翁長前知事は、講演でこのように語っている。
      〈菅義偉官房長官は4月に最初に話してから沖縄の歴史を含め
       私が一番思いを話した方だが、集中協議の最後に私の話は
       通じませんかと聞いたら、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は
       なかなか分からないが、19年前の日米合同会議の
       辺野古が唯一というのが私の全てです」という話だった〉》

   『●《権力をほしいままにし、国家を私物化してきた安倍首相も官邸を
      出てしまえば“ただの人”…司直の手に落ちることになるのか》?
   『●独裁をサポートさせるための《安倍政権の「未来投資会議」を解体し、
       菅政権が新たに始動》した「成長戦略会議」…その面子の悍ましさ
    「沖縄イジメオジサンは、かつて、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は
     なかなか分からないが、19年前の日米合同会議の辺野古が唯一というのが
     私の全てです」…あぁぁ…。」

   『●《そんなふうに静かに始める抵抗にこそ、人々を変える力があるの
      かもしれない》(北原みのりさん)――― 辺野古破壊と《人柱》
    《菅義偉首相は「ご遺骨に配慮した上で土砂の採取が行える」と
     容認の姿勢を崩していない。官房長官時代に翁長雄志前知事との会談で
     「私は戦後生まれなので、沖縄の置かれた歴史については分からない
     と述べ、翁長氏の言葉を受け止めようとしなかったことを思い出す。
     首相は沖縄戦についてどのような認識を持っているのか国会で歴史観を
     語るべきだ。歴史を顧みていかに学び取るかが政治家の仕事である
     山中貞則氏や野中広務氏ら戦争を知る自民党の重鎮が健在だったら、
     この問題にどう反応しただろうか》
    《菅義偉首相は「ご遺骨に配慮した上で土砂の採取が行える」と容認の
     姿勢を崩していない。官房長官時代に翁長雄志前知事との会談で
     「私は戦後生まれなので、沖縄の置かれた歴史については分からない
     と述べ、翁長氏の言葉を受け止めようとしなかったことを思い出す》
    《静かな夜、首相官邸前。そういえばここの主は官房長官時代の2015年、
     故・翁長雄志沖縄県知事に
     「私は戦後生まれなので、歴史をもちだされても困る」と言ったの
     だった。歴史を見ない首相に、遺骨のために座るこの声は届くのだろうか
     故・翁長知事は「イデオロギーよりアイデンティティー」と、沖縄の声を
     一つにした。沖縄の基地問題は、アイデンティティーの闘いなのだ》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/745315

社説[きょう「4・28」]基地押し付けを改めよ
2021年4月28日 07:15

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と旧日米安全保障条約が発効した。

 当時、アナウンサー研修のため東京に滞在していた川平朝清さん(元沖縄放送協会会長)は、その日のショックと憤りを鮮明に覚えている。

 「独立を祝う報道一色だった。日本はいかに幸いなことか。ドイツや朝鮮半島のように分断されずよかったと。沖縄、奄美、小笠原はどうなるのか

 日本が国際社会に復帰、高度経済成長へ向かう一方で、米軍統治が続いた沖縄では住民を追い出して、基地拡張が進められた

 本土と沖縄の距離は、復帰によって縮まったのだろうか。

 2013年「主権回復の日」を開催した安倍晋三首相(当時)は「7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と意義を強調したが、そもそも政府主催の記念式典を実施することに大きな無理があった。

 辺野古新基地建設を巡る政府との集中協議で、翁長雄志前知事は、米軍圧政下の「無主権状態」で基地が造られたことを強調した。しかし、当時の菅義偉官房長官は「私は戦後生まれなので(沖縄の戦後史は)なかなか分からない。辺野古合意がすべてだ」と語ったという。

 基地問題は戦後史を抜きに語れない。安保の「負の部分」である基地負担を沖縄に押し付けている源流が4・28にあることを、いま一度、政府も国民も胸に刻んでほしい。

■    ■

 沖縄への米軍基地の「押し付け」として象徴的なのが米海兵隊の本土からの移転だ。海兵隊は当初、朝鮮戦争の後方支援のため岐阜と山梨に駐留していた。司令部を沖縄に移したのは、休戦後の1956年のことである

 新基地の土砂投入が進むキャンプ・シュワブは海兵隊受け入れのため56年に、北部訓練場も57年に使用が始まるなど、沖縄の基地は急速に拡張された。一方、日本政府は、反対運動が激しかった本土駐留の米陸上部隊を58年に撤退することを米側と合意した。この結果、講和条約発効時の52年に約13万ヘクタールだった面積は10年後に約3万5千ヘクタールに激減した。

 本土の基地縮小は、沖縄への米軍移転なしには、あり得なかったのだ

 不平等な日米地位協定の下、沖縄では米軍機の騒音や低空飛行、事件事故が後を絶たず、軍事植民地とも言える状況が今日も続いている。

■    ■

 新基地建設には膨大な土砂が必要となる。国は沖縄戦の激戦地である本島南部からの採取を検討している。

 ガマフヤー代表の具志堅隆松さんは「戦没者の血や骨粉を含んだ南部の土砂を遺骨とともに海の埋め立てに使うなど、人間の心を失った行為で遺族の心を傷つける」と訴える。国はこうした南部の土砂を新基地建設に、使わないことを明確に示す必要がある。

 講和・安保によって形成されたのは「沖縄基地の固定化」と「本土・沖縄の分断」である。沖縄依存の安保政策を見直すべきだ。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1312376.html

<社説>4・28「屈辱の日」 自己決定権を誓う日に
2021年4月28日 05:00

 4月28日を迎えた。サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)によって日本の独立と引き換えに、沖縄は日本から切り離された米国統治が始まった日である。沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼んできた。

 米国統治によって沖縄は人権より軍事が最優先される軍事植民地のような状態に置かれた。講和条約調印(51年9月)から70年たった今も、米軍は駐留し続け、事件事故、環境汚染などで県民の人権と安全が脅かされている。

 日本は自国の安全を米軍の抑止力に頼り、基地負担を沖縄に押し付けている。沖縄には自らの将来を自ら決める権利がある。今年の「4・28」は「屈辱の日」を返上し、自己決定権の確立を誓う日としたい。

 「屈辱の日」の源流に二つの提案がある。サンフランシスコ講和条約が締結される4年前、昭和天皇は沖縄を「25年ないし50年、あるいはそれ以上」米軍に提供したいと提案した。「ソ連の脅威」に対抗するためだ。沖縄を日本から切り捨てることに等しい。

 対日講和条約交渉が始まると、吉田茂首相は講和後の沖縄を「バミューダ方式」によって米国に租借する提案をした。西大西洋の英国領バミューダ諸島の一部を米国に99年間貸して、軍事基地を建設したことに由来する。

 講和条約第3条によって、米国は他国から干渉されず、沖縄基地を自由使用する権利を手に入れた。日本政府も同意している。

 1972年の施政権返還の際もこの構図は繰り返される。米国は日本に沖縄の施政権を返したが、日本政府の同意の下で基地の自由使用権は手放さなかった。

 沖縄返還から半世紀。この間、米軍は沖縄から海兵隊の撤退を検討した時期もあったが、日本政府に慰留されとどまっている。

 その結果「一つのかご(沖縄)に、あまりにも多くの卵(米軍基地)を入れている」(カート・キャンベル元国防次官補代理)現状がある。

 基地の整理縮小の目玉として日米は、米軍普天間飛行場の移設を合意した。ところがふたを開けると、名護市辺野古への新基地建設であり基地機能の強化だった

 かつて昭和天皇が理由とした「ソ連の脅威」は、今や「中国の脅威」に取って代わり、日本政府は米軍が駐留する理由を正当化している。沖縄に米軍が駐留する必要性は変わらず、むしろ大きくなっているという言説が広がる。

 しかし、米中の緊張が高まり、有事の際に沖縄が標的にされ県民の命が脅かされる危険性が高まる

 72年5月15日の日本復帰記念式典で屋良朝苗知事は「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」すると述べた。日本復帰から半世紀。日米に利用されてきた立場に終止符を打つ時期が来ているのではないか。
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1312593.html

<金口木舌>われわれにパラシュートはあるのか
2021年4月28日 05:00
金口木舌 屈辱の日 宮森小事故 米軍

 詩人で長年演劇活動に携わってきた中里友豪さんの出演作に演劇集団「創造」の2014年公演「でいご村から」がある。沖縄戦で深い傷を負った沖縄本島北部の集落が舞台。中里さんは「創造」の創設メンバーの一人だった

沖縄戦の記憶をどう継承するかを問う劇だった。学校長役を演じた中里さんは公演パンフレットで「忘れていけないものを忘れていないか」と記している。時代と向き合い、言葉を紡いだ詩人が亡くなった

▼「琉大文学」同人で、宮森小米軍ジェット機墜落事故を取材した作品「恐怖と血の代償」を残した。子どもの命を奪った墜落機から操縦者がパラシュートで脱出していた。詩人は悲痛な叫びを刻す。「われわれには、パラシュートはない!

身の危険から逃れる術(すべ)がない。宮森小の事故現場だけでなく、沖縄中が危機と隣り合わせにあった。米統治下で県民の多くが出口のない閉塞(へいそく)感にさいなまれていたのではないか

▼県民は「祖国」に光明を見いだし、復帰を求めた。しかし、宮森小の事故で米軍を糾弾した詩人は「責任は本土政府にもある」と書くことを忘れなかった

▼太平洋戦争の末期、日本は沖縄を捨て石にし、サンフランシスコ講和条約で米国に差し出した。「屈辱の日」の4・28から69年。今も続く閉塞感の中で県民は自問する。「われわれにパラシュートはあるのか
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●ささやかな核兵器廃絶の願い…高校生の言論封殺: アベ様のメンツを守るための外務省の横やりという大愚

2017年09月09日 00時00分25秒 | Weblog

[※ 東京新聞(2017年7月8日)↑]



リテラの記事【高校生平和大使の核廃絶演説中止の背後に安倍腹心の軍縮大使…集団的自衛権にも暗躍した防衛官僚が軍縮会議の代表者に】(http://lite-ra.com/2017/08/post-3403.html)。
日刊ゲンダイの記事【国連軍縮会議 外務省が核廃絶演説の高校生大使を口封じ】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/212027)。

 《引率する元教師が…「政府が反対している核兵器禁止条約を平和大使が『推進すべきだ』と主張してしまうことを、外務省側が恐れたのではないか」と推測》。
 《言論統制は高校生にも――。22日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれたジュネーブ軍縮会議。2014年以来、毎年8月に日本の高校生平和大使が核兵器廃絶を世界に訴える恒例行事が、今年は見送られた…「核兵器禁止条約」が影響していることは間違いない…それを知った外務省が、公式の場で高校生に「正論」を吐かれては、安倍政権のメンツはまるつぶれだと慌てて横やりを入れ、発言を封じたのは明らかである》。


 《元エリート防衛官僚》《安倍首相の覚えがめでたい人物》《首相の私的諮問機関安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の事務局を仕切り》《日米安保体制=対米従属の固定化を目指す安倍政権の裏方をつとめてきた》《日米安保の権化》《米側を慮る日本政府の方針を陰に陽に実行に移してきた》…高見沢将林軍縮大使が軍縮潰しに暗躍? 《安倍政権が高見沢氏を軍縮大使に異例の起用をしたのは、あきらかに核兵器禁止条約に反対する米側と歩調をあわせ、国連でのネゴシエーションや国内の世論調整を担わせるためだろう》。

 《政府側が強くプレッシャーをかけて、高校生による国連での核廃絶スピーチを阻止》、《市民が核兵器廃絶の思いを述べる機会さえ奪われてしまう》。「プルトニウムをつくる装置核発電「麻薬」中毒患者であり、核兵器廃絶さえ目指さないアベ様。「核なき世界」の足を引っ張る、平和を希求しないアベ様。それに「忖度」して、高校生の言論を統制し、言論を封じる外務省と、軍縮大使という名の軍拡「戦争できる国」大使。高校生たちの核兵器を廃絶したいというささやかな正論を、国際社会が見つめる場で、封じた…アベ様という、正気でない「裸の王様」のために。あまりに恥かしく、哀しく、そして、愚か。

   『●「核なき世界」: 「核廃絶に向けた決議の採決で、
       唯一の被爆国の日本が反対票…日本はあまりにも鈍感」
   『●「唯一の被爆国」で原発人災も起こしたニッポンが
        「原発は『プルトニウムをつくる装置』」を理解できず…
   『●肥田舜太郎さん「せめて未来の子どもたちのために、
       放射能の心配のない日本を残していけるよう…努力」を
   『●オバマ氏の広島訪問さえも単なる選挙対策…
       …自民党は「口だけ」、選挙で同じ過ちを繰り返してはいけない
    「「核なき世界」どころか、「核兵器のない世界」ですらアベ様の
     「息吐く様に嘘つく」、アベ様のウソ吐きだったようです」
    《日本政府、つまり安倍首相の考えは、
     “核の保有や核兵器の使用は認められるべき”なのだ。
     …安倍首相は官房副長官時代の2002年に、早稲田大学で
     開かれた田原総一朗氏との対話のなかで
     「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。
     小型であればですね」と語っている」》

   『●サーロー節子さん「自分の国に裏切られ、
      見捨てられ続けてきたという被爆者としての思いを深くした」
    「「核兵器なき世界」さへ目指さないアベ様の言う「核なき世界」が
     如何にいい加減かが分かろうというもの…
     「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。
     小型であればですね」というアベ様の思想は何も変わっていない
     のでは?」

   『●核兵器禁止条約…核発電「麻薬」中毒者への忠告、
       近衞忠煇氏「実際にはそれしか選択肢はないのです」
   『●室井佑月さん「安倍さん率いるこの国に、誇りが持てない」
                       …アベ様の辞書には「倫理」無し
   『●「核廃絶の訴えは政府だけの役割ではない」…
        とは言え、そこに居るべき国が居ない恥ずかしさ
   『●核兵器禁止条約不参加で、「どこの国の総理ですか」な 
          アベ様の「わが国のアプローチ」とやらは一体全体?
    「《核兵器禁止条約…日本は条約に不参加》《首相は…
     「わが国のアプローチと異なる署名、批准を行う考えはない」》…
     居るべき国がそこに居ない、という大恥。
       「平和祈念式典」は、平和を祈るための式典では?
       平和を祈念・希求しないアベ様は、よくノコノコと「あいさつ」に
     行けるモノだ…「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、
     憲法上は。小型であればですね」という発想は何も変わっていないでしょ?
       広島や長崎の皆さんに、あまりに失礼でしょ!」

   『●「核なき世界」の足を引っ張る、平和を希求しないアベ様は、
                  よくノコノコと「あいさつ」に行けるモノだ…
    《参列した約5万人を前に「『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを
     着実に前に進めると誓ったがその歩みの足を引っ張っている人こそ、
     安倍首相自身なのである》。
    《「核廃絶」より「トランプからの寵愛」を優先させたのだ

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http://lite-ra.com/2017/08/post-3403.html

高校生平和大使の核廃絶演説中止の背後に安倍腹心の軍縮大使…集団的自衛権にも暗躍した防衛官僚が軍縮会議の代表者に
2017.08.22

     (軍縮大使に就任した高見沢将林氏
      (軍縮会議日本政府代表部公式 HPより))

 スイスのジュネーブ軍縮会議で「高校生平和大使」による演説が見送られたことが波紋を広げている。
 高校生平和大使は、日本の高校生が国連に赴き、核兵器廃絶を訴える活動。1998年に始まり、近年では2014年から3年連続で核兵器廃絶の演説の機会が与えられ、ジュネーブ軍縮会議の本会議で高校生がスピーチを行っている。また、活動20年目にあたる今年は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指すための署名が過去最高の21万4300筆も集まった。
 8月17日には、高校生平和大使に参加する長崎県の高校生3人が田上富久長崎市長を表敬訪問。軍縮局幹部の前での演説を予定していた女子高生が「微力ながらも、世界に核兵器の廃絶を精いっぱい訴えてきたい」と抱負を語っていた(毎日新聞8月18日長崎版)。
 ところが、その核廃絶の願いを届ける高校生の演説が、今年は不可解なことに、直前で白紙になってしまったのだ。
 いったい何が起きたのか。当初、高校生平和大使は22日に国連へ決議文を提出し、軍縮会議の場でスピーチをする予定だったが、共同通信によれば、18日に急遽取りやめとなったことが判明。軍縮会議日本政府代表部は「今年は軍縮会議の議事上、適当でないと判断した」としている。一方、東京新聞は〈関係者によると、大使を派遣する市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が今年も軍縮会議での演説を打診したところ、外務省の担当部局である軍備管理軍縮課から今回は難しいと回答があった。明確な理由の説明はなかった〉と報じている。
 つまり、日本政府側が高校生平和大使側に、説明もなくストップをかけたというのだ。20日付けの西日本新聞では、引率する元教師が取材に対し「正式に見送りを伝えられたわけではないので何とも言えない」とした上で、「政府が反対している核兵器禁止条約を平和大使が『推進すべきだ』と主張してしまうことを、外務省側が恐れたのではないか」と推測しているが、実際、そういうこととしか思えない。


対米従属の先兵だった元防衛官僚を軍縮大使にした安倍政権

 周知の通り、日本は“唯一の被爆国”であるにもかかわらず、核保有国であるアメリカなどとともに核兵器禁止条約に反対の姿勢をとり続け、交渉にすらも参加しなかった。今月7日の国連採択後も日本政府として署名しないと明言するなど、世界の潮流である核軍縮へ強固に反発している。
 さらに安倍首相は、今年の広島と長崎での平和式典でも露骨な態度を見せた。松井一実広島市長が「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求め、田上長崎市長が「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と強く批判したのを尻目に、安倍首相はあいさつで核兵器禁止条約に一切言及しなかったのだ。
 そう考えてもやはり、今回の高校生平和大使の件では、政府側が強くプレッシャーをかけて、高校生による国連での核廃絶スピーチを阻止したと考えるのが自然だろう。
 さらに、このスピーチ取り止めには、軍縮会議日本政府代表部大使(軍縮大使)の人事が関係しているのではないか、ともいわれている。
 この軍縮大使というのはその名のとおり、ジュネーブ軍縮会議の日本政府代表なのだが、昨年12月の人事で、その責任者に安倍首相と近い防衛官僚の高見沢将林氏が就任していたのだ。
 軍縮大使に外交官ではなく、元防衛官僚が就任するのは異例中の異例。実際、ここ20年をみても、民間から起用された猪口邦子氏(現・自民党参議院議員)を除いて全員が外務省出身者だった。
 しかも、高見沢氏は昨年の退官まで、一貫して日米安保畑を歩んだ元エリート防衛官僚で、第二次安倍政権では安全保障担当の内閣官房副長官補として官邸入りするなど、安倍首相の覚えがめでたい人物。集団的自衛権の行使容認を議論する首相の私的諮問機関安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の事務局を仕切り、2014年の閣議決定の際には高村正彦・自民党副総裁や横畠裕介・内閣法制局長官らとの「秘密会合」で政府案を練り上げたほか、日米安保体制=対米従属の固定化を目指す安倍政権の裏方をつとめてきた。


軍縮大使は民主党時代、米国に沖縄基地を県外移転しないよう提言していた

 その高見沢氏がいかに“日米安保の権化”であるかを示す、こんなエピソードもある。沖縄の基地負担減を目指した民主党政権が、米軍普天間基地の「県外移設」を掲げた際、当時、防衛政策局長だった高見沢氏が、2009年10月、当時のキャンベル米国務次官補に「(民主党の県外移設案に)あまり早期に柔軟性を見せるべきではない」と耳打ちしたことが、ウィキリークスが公表した米国の公電によって明らかになっている。また、1996年の辺野古代替施設建設の日米交渉時には、オスプレイの配備を念頭に置きながらも、地元側に明言しないよう米側と想定問答集を調整したとされるなど、高見沢氏は米側を慮る日本政府の方針を陰に陽に実行に移してきた
 こうした経緯を踏まえれば、安倍政権が高見沢氏を軍縮大使に異例の起用をしたのは、あきらかに核兵器禁止条約に反対する米側と歩調をあわせ、国連でのネゴシエーションや国内の世論調整を担わせるためだろう。
 今回の高校生平和大使の演説取りやめも、その延長線上にあると考えるべきだ。もっとも、高見沢氏による直接の指示があったかは現段階では不明だが、少なくとも、安倍政権のもとでは、市民が核兵器廃絶の思いを述べる機会さえ奪われてしまうことは間違いない。こんな政権が被爆国にふさわしいのか、わたしたちはいま一度よく考えるべきだろう。

(編集部)
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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/212027

国連軍縮会議 外務省が核廃絶演説の高校生大使を口封じ
2017年8月23日

     (核兵器禁止条約は7月に採択された(C)共同通信社)

 言論統制は高校生にも――。22日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれたジュネーブ軍縮会議。2014年以来、毎年8月に日本の高校生平和大使が核兵器廃絶を世界に訴える恒例行事が、今年は見送られた。

 高校生平和大使は、各地の高校生が核兵器廃絶署名を集めて国連に届ける活動。活動20年目の今年は過去最多の署名21万4300筆を集めて渡欧したが、なぜか今年に限りスピーチの機会を与えられなかったのだ。

 外務省は「今年になって、問題視する国が出てきて見送ることになった」(軍備管理軍縮課)と説明するが、大ウソだ。7月にNYの国連本部で採択された「核兵器禁止条約」が影響していることは間違いない。

 「核兵器禁止条約」は核兵器の開発や保有、使用だけでなく、核による威嚇まで禁止する画期的な内容で加盟国の3分の2近くの122カ国が賛成した。前文には「ヒバクシャ」が明記されるなど日本の被爆経験をくんだ条約だった。なのに、米国の「核の傘」に頼る日本は会議に参加すらしなかった

 それでも大人の事情とは関係なく、22人の高校生平和大使は、当然のようにスピーチで「核兵器禁止条約」への共感を語る予定だった。それを知った外務省が、公式の場で高校生に「正論」を吐かれては、安倍政権のメンツはまるつぶれだと慌てて横やりを入れ、発言を封じたのは明らかである。

 立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)は言う。

   「『核兵器禁止条約』に反対しただけでも日本は国際社会から
    批判されているのに、純粋に核兵器廃絶を願う高校生の
    演説機会まで奪うとは、どうかしています。少年も含めて自分の
    思い通りにしたいのは余裕がないことの表れです。毎年恒例の
    高校生の演説がなくなり、他国の代表も日本政府に不信感を
    深めているでしょう」

 国際社会に、いい恥さらしだ
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●杭打ちで解決するのか?

2010年05月06日 05時00分00秒 | Weblog

CMLに掲載された抗議声明

 杭打ち案では何の解決にもならんでしょ。県外や国外なんてのも止めてはどうなんでしょうかね。アメリカ自身に引き取って頂きたいものです。自民党の旧政府との約束? あ~あっ、まったくも~。政権が変わったんだから、さっさと話しあっとけばよかったのに・・・。それにしても、諸悪の根源は〝沖縄密約〟時まで戻るのでしょうか? 罪深い話です、当時の佐藤栄作首相とその周辺、その後の自民党政権

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http://list.jca.apc.org/public/cml/
                 
2010-April/003833.html


[CML 003900]
【抗議声明】私たちは、普天間基地の辺野古移設を絶対に許しません!!
                                  2010年4月30日(金)14:39:45JST

【転送・転載大歓迎】

【抗議声明】私たちは、普天間基地の辺野古移設を絶対に許しません!!

     北限のジュゴンを見守る会(代表・鈴木雅子)
  2010年4月30日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様
  4月25日に沖縄・読谷村運動広場で開催された、米軍普天間飛行場の「県内移設に反対する」県民大会には9万人を超える多くの沖縄県民・市民が参加しました。そこに表われた「県民の総意」をあなたは「民意の一つ」と表現しましたが、あなたはその「民意の一つ」を正面から受け止め、それに応えるつもりでしょうか。あなたの内閣の現実の動きは、「沖縄県民の総意」を踏みにじろうとしているのではないでしょうか。
 県民大会の翌日、4月26日に、これまで中断していた日米外務・防衛実務者協議がワシントンで始まりました。「日本側の提案に勇気づけられている」というキャンベル米国務次官補の発言は米国政府の並々ならぬ決意を反映しています。そのような米国政府の姿勢は明らかに、日本政府が八方ふさがりの普天間問題の解決を2006年の日米合意案である「キャンプ・シュワブ沿岸域案」に見出す方向に転じたことによるものです。
 私たち「北限のジュゴンを見守る会」は沖縄のジュゴンが生き続けられる環境の保全を求めて、1999年以来10年余にわたって活動してきましたが、今回、鳩山内閣が2006年の日米合意案に回帰しその「修正」を方針としたことには深い憂慮を禁じ得ません。同案はジュゴンの生存を脅かす辺野古沖海域と大浦湾の埋め立てを伴うものだからです。
 あなたはこれまであなたの「腹案」の中味を明らかにせず、4月28日に元衆議院議員・徳田虎雄氏に対し初めて「徳之島に(普天間の)航空部隊の一部、もしくは訓練の一部を持っていきたい」と表明しました。しかし2006年の日米合意案への回帰とその「修正」については、なお詳細な説明を拒みながら、5月4日に沖縄を訪問すると発表しました。あなたの沖縄訪問の目的が仲井真沖縄県知事に「県内移設」を容認させるためであることは疑いの余地がありません。
 
「キャンプ・シュワブ沿岸域案」を「修正」して米国政府に承認を求めるつもりであると伝えています。その「修正」とは新基地の位置を2006年の日米合意案より沖合に移動させることと、建設の工法をくい打ち桟橋方式(QIP)あるいはメガフロート方式にすることと報じられています。
 私たちは両工法とも、埋め立て同様、海の生態系を決定的に破壊すると確信します。くい打ち桟橋方式はリーフに数千本の杭(くい)を打ち込んで桟橋を作り、その上に滑走路を建設するものですが、くい打ちがリーフの海底を損壊するばかりか、滑走路がリーフの生態系を維持するために不可欠な太陽光線を遮断してしまいます。またメガフロート方式は鋼鉄製の箱舟を多数並べてそれらをつなぎ、その上に滑走路を建設するもので、QIPと同じように海底への陽光を閉ざしてしまいます。その上メガフロート方式は海面に浮かべる滑走路が浮動しないよう、巨大な防波堤と係留施設の建設を必要とします。それがリーフの海底を破壊することは確実です。しかも防波堤がリーフの潮流を変えてしまうことは、金武湾(きんわん)で勝連半島と平安座島(へんざじま)を結んで建設された海中道路が潮流の変化でサンゴ礁生態系を撹乱させた例から容易に想像できます。
 要するに、両工法ともリーフにフタをして海を殺してしまうのです。それは埋め立てと同等の海の生態系の破壊であり、それこそあなた自身がのべた「自然への冒涜」にほかなりません。報道は政府が埋め立てさえしなければ環境への影響は軽減できると考えていると報じていますが、とんでもない誤解あるいは強弁と言わざるを得ません。
 ジュゴンの生息環境の観点から言えば、多数の杭によるサンゴ礁の破壊、生態系の攪乱、桟橋や浮体構造物による振動や騒音の影響はジュゴンを追い払うことになるでしょう。何よりもジュゴンは岸に近い深さ数メートルの浅海域に生育しているリュウキュウアマモなどの海草(うみくさ)を唯一の食料としているため、人間活動の場に近い沿岸から離れられない宿命を背負っています。ジュゴンにとって唯一の餌場である海草藻場は光合成により育まれるために、陽光の遮断はすなわち、餌場の消滅につながります。
 私たちは、あなたが政府の方針を辺野古への新基地押しつけに回帰させることに強く反対します。「世界で一番危険な普天間基地」を押しつけられている宜野湾市民をはじめとする沖縄の人びとが求めているのは、「普天間基地の即時閉鎖・返還」であり、県内での「基地のたらい回し」ではありません。民主党は「地域主権の確立」を掲げて政権交代を果たしたのですから、「県内移設」などもともと論外のはずではありませんか。
 あなたがなすべきことは、移設先探しではなく、普天間基地の一日も早い撤去を、米国政府に対し毅然として要求することです。それこそ「対等な日米関係」構築の第一歩ではありませんか。新基地建設の強行によって沖縄の豊かな自然とそれに依拠する人びとの生活を破壊することは犯罪です。
 ジュゴンと共に生きたいと願う地元住民と共に辺野古の浜に6年間座り込み、非暴力の抵抗でジュゴンの海に1本の杭(くい)も打たせなかった私たちは、いかなる工法であろうとも辺野古への新基地建設を許しません。  私たちはかつて宝珠山昇防衛施設庁長官が期待した「米軍基地との共生」ではなく、「自然との共生」を目的として、志を同じくする人びとと共にいっそうの活動の強化を図り、県内のすべて、および緑豊かな徳之島を含め、琉球列島につらなるどの島々への基地・訓練場所の移設にも強く反対します。
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