ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

ポルトガル文

2009-09-29 13:43:59 | Letter
 
ドイツ語訳:リルケ
邦訳:水野忠敏


 これを短編小説と言うべきだろうか?ポルトガルの尼僧「マリアンナ・アルコフォラド」が、彼女を置き去りにして、帰国してしまったフランスの武人に宛てて書いた5通の手紙ですので、虚構の短編小説ではありません。まずはフランス語に翻訳されて、それをリルケがドイツ語訳をしたのですが、元の手紙はフランス語訳の後で、行方不明です。リルケはこの手紙を、ドイツ語訳をする際に、この手紙を1つの文芸作品として高めることをしたように思えてなりません。

 「マリアンナ・アルコフォラド」は、尼僧とは少し違う立場を生きた女性のようです。アルコフォラド家は名門であり、恵まれた環境のなかで1640年に生まれました。当時の戦乱の時代には、子女を修道院に預けることが最も安全な道だったのです。彼女は、ベジャーのクララ教会修道院に入れられました。その上、財産家の父は娘のために、修道院の敷地内に、街路に面した特別な建物を建て与えたそうです。「マリアンナ・アルコフォラド」は、今日では想像もつかないほどに自由な生活だったわけです。

 彼女の恋の相手は、数々の武勲に輝く、若くして大佐となったフランス軍の「シャミリー・ノエル・ブトン・1636年生まれ」。スペインの支配から脱しようとしていたポルトガル軍を助けるために、彼の属する部隊がベジャーの町に進駐したことがはじまりでした。この時期ポルトガルの子女がフランス軍人に強い関心を抱くことは、必然のことだったのでしょう。

 その美しい武人に去られた彼女の5通の手紙は、悲嘆と怨み事に終始していましたが、すべての思いを書きつくし、最後の5通目の手紙できっぱりと別れを告げています。ここをリルケは「マルテの手記」のなかで「男を呼び続けながらついに男を克服したのだ。去った男が再び帰らなければ、容赦なくそれを追い抜いていったのだ。」と書いているのでしょう。

 この5通の手紙が当時の社交界で話題になったことは当然のことで、彼女を置き去りにした武人の手紙があったとされたり、5通以後の手紙が創作されたりと、この手紙にはたくさんの逸話もどきが流布しましたが、おそらく「リルケ」がこの5通のみの手紙を、彼の「愛する女性像」の1人として、翻訳されたのでしょう。それにしましても、この5通の手紙が、1編の小説のごとく何故ここまで時を超えて残されたのでしょうか?

(昭和36年初版・平成2年再販・角川書店刊)

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