テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

夜霧の恋人たち

2007-01-29 | 青春もの
(1968/フランソワ・トリュフォー監督・共同脚本/ジャン=ピエール・レオ、クロード・ジャド、デルフィーヌ・セイリグ、マリー=フランス・ピジェ、ミシェル・ロンズデール/101分)


 トリュフォーの“アントワーヌ・ドワネル”シリーズの第3作。前作の「アントワーヌとコレット(<二十歳の恋>より)(1962)」を去年の11月に観た時に“アントワーヌ”は製作順に追っていこうと決めていたので、今回はコレです。

 トリュフォーはSFやミステリー、悲劇的なロマンス等色々と作っていますが、このシリーズは1作目の「大人は判ってくれない(1959)」が暗い少年時代を描いたのを出発点として、段々と喜劇性を帯びてくるとのことです。“アントワーヌ”がトリュフォー自身を投影した人物らしいので、映画人として、大人として人生が安定してくるに従い、自分を客観的に見る余裕が出てきたということでしょうか。主人公は同じですが、“アントワーヌ”ものに厳密にはストーリーの繋がりはありません。

 彼女との関係が上手くいかずにヤケになって兵役に志願するも当然身が入らず、不服従と脱走を繰り返したアントワーヌ(レオ)が僅か数ヶ月で軍隊を追い出される所が今作の始まりです。この辺りはトリュフォーの実体験がそのまま描かれているようですね。
 シャバに出てきたアントワーヌが最初にしたことは、馴染みの街角で娼婦を買うこと。その後、しばらく放置していた為に蜘蛛の巣がはってしまったアパートに帰り、一息ついて向かったのはクリスティーヌ(ジャド)という恋人の家。軍隊に入った原因はクリスティーヌのようで、どうやら男女の関係にまでいけない事がアントワーヌの悩みだったようです。この夜、彼女は留守だったが、彼女の両親が優しくしてくれて、ついでにホテルの夜警の仕事まで世話してくれる。
 前作でもそうですが、アントワーヌに関しては彼の両親など肉親の影がありません。前作ではコレットの父親との会話の中で少し出てきますが、親とは絶縁状態にあるというのが基本のようです。「大人は判ってくれない」を見ればその辺の事情は察することが出来ますがね。
 せっかく恋人の父親が探してくれた仕事ですが、人妻の浮気を調査中の探偵に騙されて、宿泊中の件の女性と間男の部屋を開けてしまうという失敗をおかしてホテルの夜警を首になってしまいます。確かにこれはアントワーヌの未熟さ故の過ちですが、いきなり首というのも厳しい。探偵からの謝礼のお札をアントワーヌからひったくったホテルのオーナーが、二つに引きちぎって片方は「退職金」、片方は「年末手当」と言って渡すのが可笑しいです。

 「夜霧の恋人たち」という如何にもフランス映画らしいロマンチックなタイトルなんですがねぇ。中身は20代前半の若者が初めて実社会に出て行った時の失敗や予期せぬ喜び等が皮肉っぽく、コミカルに描かれた作品であります。

 この後、無職になったアントワーヌは騙した探偵に誘われて探偵事務所に雇われることになります。ここでのエピソードが一番長いんですが、この仕事の中で従業員に嫌われている理由を知りたいという靴店のオーナーの依頼に関わる件で、アントワーヌは新入社員として靴屋に入り込みます。ところが、調査中にオーナーの美人の奥さん、つまり社長夫人(セイリグ)にのぼせてしまい、女子社員の話しからその辺の事情を察した夫人と一回限りのアヴ・アフェアーに付き合うことになります。自宅の鏡に向かって、奥さんの名前やクリスティーヌの名前、更には自分の名前を連呼するところは、似たような経験をもつ男性も多いのではないでしょうか。

 社長夫人とのシーンを観ていて、ふと同時期に作られたアメリカ映画「卒業(1967)」を思い出し、ついでにJ=P・レオの役をダスティン・ホフマンが演じたら・・・と考えてみました。いや、この社長夫人とのエピソードについてだけではなく、全体として当時のニュー・シネマに登場したダスティン・ホフマンがアントワーヌのような青年を演じたらどんな風だったろうかと考えたんです。
 探偵となって調査対象を尾行しているときのアントワーヌがあまりにお間抜けで、ホフマンがコミカルに演じても当時のアメリカ映画ではあんな風には描かないだろうなあと思ったからですが、ジャック・タチといい、どうもこの辺のフランス人のコメディ感覚は私にはしっくりこないところがありますネ。

▼(ネタバレ注意)
 社長夫人との事でゴタゴタしている頃、最初に紹介してくれた先輩探偵が急死し、アントワーヌも探偵事務所を辞めます。その後、電気製品の修理会社に勤めたアントワーヌを、両親の外出中にTVが壊れたと嘘をついてクリスティーヌが呼び出し、めでたく結ばれるという結末です。
 結ばれた次の日の朝食のテーブルで、若い恋人同士が交わすメモの筆談が微笑ましいシーンでした。

 途中、クリスティーヌを尾行する男が出てきますが、コヤツも探偵か? と思っていたら、ラストシーンでアントワーヌの目の前で彼女に愛の告白をする変なストーカーだったことが分かります。靴店の社長夫人を尾行する探偵も出てくるので、すっかり騙されました。ひょっとして、次回作に絡んでくるのかな?

 そういえば、ホテルの夜警をしているアントワーヌが椅子に座って読んでいたのが翌年に作られる「暗くなるまでこの恋を(1969)」の原作、ウィリアム・アイリッシュの「暗闇へのワルツ」でした。
▲(解除)

 探偵としてある男を尾行中のアントワーヌに、『久しぶりねぇ。』と声をかける若い夫婦が出てきますが、どうやら奥さんの方が前作のコレット(マリー=フランス・ピジェ)のようでした。

 アメリカ映画の様に或るテーマをもって作られたモノではなく、青春の1頁を流れるようなタッチで綴った佳編。
 あまりシンパシーを感じない主人公ですので、個人的に最も印象に残ったのは久しぶりに見たデルフィーヌ・セイリグの美しさでありました。

・お薦め度【★★★★=フランス映画好きの、友達にも薦めて】 テアトル十瑠

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4 コメント

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TB致しました (オカピー)
2007-01-31 02:24:04
遅くなりました。
私は理に落ちないフランス流のお笑いは大好きです。
家族、と言っても父親はいないに等しいのですが、ドワネルものを最後まで見るとトリュフォーの親に対する気持ちの変遷がよく解ります。この作品は過渡期で、クロード・ジャドの家族は彼の家庭への思いを写した鏡と理解できます。次回作「家庭」は言わば回答編ですね。

トリュフォーはバルザックが好きなようです。本作では「谷間の百合」からの引用があり、「暗くなるまでこの恋を」では著書「あら皮」が出てきます。細かいところまでチェックすると実に面白いです。
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家族 (十瑠)
2007-01-31 10:17:11
コレットの両親、クリスティーヌの両親共アントワーヌには優しく接していましたねぇ。殆ど同じように描かれていました。
「家庭」の大まかな内容は予想できます。私小説の雰囲気が濃くなってくるような気がしますが、それはそれで、面白そう。

大文豪バルザックの本は実は殆ど読んでいませんのです。「谷間の百合」も家にはありましたが、結局読まずじまい。
モームは「ゴリオ爺さん」を代表作としていましたね。「ゴリオ爺さん」もあったなぁ。
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Unknown (TARO)
2007-02-01 00:29:36
初めてみたトリュフォーが、この「夜霧の恋人たち」でした。しかも中学生か高校生の時に・・・。
おかげでいまだにトリュフォーは苦手分野に入ります。「アメリカの夜」とか「アデルの恋の物語」とかから、入ってれば相当に違ったんでしょうけど。
ストーリーもすっかり忘れてました・・・。
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フランス人はよう分からん (十瑠)
2007-02-01 08:06:59
私もそうですが、アメリカのTV番組や映画を見慣れた者からすると、アントワーヌもクリスティーヌも分かりにくい所がありますよね、考え方とか、感じ方とか。
中高生だと尚のことかも。

そんなもんだと割り切って観ていると、その分かりにくさが気になったりします。特に女性について。
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