オレが経験した学校でのガス爆発事故の話が、郡山の事故のためにかなりの数、閲覧されている。それで読み返して、面白い展開があったのを思い出した。
あの時、県庁の総務課から凄い勢いでオレを怒鳴りつけたヤツが、世紀末になろうとした頃、事務長になってオレの居た進学校にやって来た。
オレは事務長補佐という有難い名前になっていたから、正に直属の上司ってわけだ。
しかしその頃の彼は、丸くなっていた。体に持病があるらしく、パッとしない。なにかにつけて弱気な面が顔をのぞかせた。しかもあの時の事を覚えていない。そうだろうとも。顔も名前も知らない現場の人間だ。知ってるわけがない。
事務長職は便利なポジションだ。たたき上げを差し置いて本庁からポンとやって来る。だから現場の学校のことに関しては全くのシロウトだ。
こういう事は良くある。広く国でも行われているだろう。人事交流と称してね。
タイミング悪いことに、その頃、食糧費問題があった。官官接待だ。
そのツケを現職が払うことになった。一番いい思いをしたリタイア組は逃げた。
オレは絶対払わないぞと心に決めていた。毎月5千円、給料から天引きされる予定だった。もちろん強制ではない。それでは法律に引っ掛かる。あくまでも同意したという文書を提出する。
その説得役が事務長だった。その本人の事務長が、体調を壊して休んでしまった。おはちがオレに回って来た。
これには困った。絶対に、という信念が揺らいだ。「ずるいよ~、こういうの」と思った。
なぜオレは協力してしまったんだろう。バランスの取れた人間だったんだろうなあ。いずれ他の選択肢は考えられなかった。校長から、やってくれ、と言われて、やるしかなかった。
あれがあったら、10万円どころじゃないわ。今考えると、大きいわ。当時も、痛かったけどよ。
戻って来た事務長は、一層弱気になって見えた。その頃からオレは、調子に乗る人間になっていったのだろうな。
借りを返すどころか、貸しを作ってやったんだから。