昭和初期の木造建築です。当たり前に存在する、ということは
おそろしい。住民だった頃、ただの、傾きかけた、
あばら屋にしか見えなかった。
音響が素晴らしいそうだ。パンと手をたたいて、確かめたかった
が、その雰囲気ではなかった。
嫁は池田医者と呼ぶ。姪にあたる同級生がいるそうだ。
もう少し先にある。鳥海山。九十九島。
松島に並び称された景勝地にしては、
人通りが少なすぎる。
展示会は盛況だったが、もうちょっと
どうにかしないと。
昭和初期の木造建築です。当たり前に存在する、ということは
おそろしい。住民だった頃、ただの、傾きかけた、
あばら屋にしか見えなかった。
音響が素晴らしいそうだ。パンと手をたたいて、確かめたかった
が、その雰囲気ではなかった。
嫁は池田医者と呼ぶ。姪にあたる同級生がいるそうだ。
もう少し先にある。鳥海山。九十九島。
松島に並び称された景勝地にしては、
人通りが少なすぎる。
展示会は盛況だったが、もうちょっと
どうにかしないと。
池田修三という人は、作品を「うつろいゆくもの」と
考えていたらしい。
小品が7千円台で販売されていた。
気軽に手に取って楽しんで欲しかったのだろう。
普通はこの手の展示会は撮影禁止だ。
送られたり、している。これ、「のんびり」から拝借しました。
藤本智士さんが張本人だ。私も彼の取材からショックを
受けた。「池田修三 生家」で検索したら一発で
当たった。しかし嫁の実家には現物は一枚もない。
オレも象潟にいた10年間は、版画というものにさほど
興味はなかった。
普通に存在すること。当たり前の怖さを知る。
浮世絵を経て、初めて池田修三に
出会った。
朝起きて、新調のジャンパー(アウター?ジャケット?ブルゾン?)
を羽織って、ジッパーを上げようとしたら、引っかかり、
無理やり引っ張りあげた。
嫌な音と共に、かなりの抵抗があった。
見ると「YKK」のしるしはなかった。
100円ショップで買う文房具の、使い心地の悪さ。
デフレマインドが染みついて、「当たり前」の使い勝手の良さを
忘れてしまっていた。これが果たして文明国家のあるべき姿
なのだろうか。最先端の生活と言えるだろうか。
違うだろう。
きょうはこれから象潟へ行く。
池田修三の版画を見るために。
今頃、修三先生の凄さが分かった。
10年も住んでいた土地なのに。