何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

桜色の頬のお姫様ものがたり

2016-12-01 00:00:00 | ひとりごと
その時、その本を読んでいなければ、何気なく通り過ぎてしまう風景というものがある。
このニュースも、その時その本を読んでいなければ、「かわいい猫ちゃんだね」とは思うものの、多くのニュースの一つに過ぎなかったのかもしれない。
<名誉宮司は猫の「あいちゃん」 岡山・伊勢神社で参拝者の人気者>山陽新聞2016年11月25日 22時50分 更新より引用
岡山市北区番町の伊勢神社に「名誉宮司」を任された猫がいる。「あいちゃん」と呼ばれる雄の6歳。人懐っこい性格とかわいいルックスで、参拝者の人気を集めている。
あいちゃんは、白と薄茶色の毛並みで、くりっとした大きな目が特徴の“美猫”。首輪に「伊勢神社 名誉宮司」「あいちゃん」と書かれた名札を着けている。
日課は境内と町内のパトロール。参拝者の多い正月には、授与所でお守りの授与を見守っているという。ファンが多く、交流サイト・フェイスブックや写真共有アプリ・インスタグラムによく写真が投稿されているそうだ。
あいちゃんが初めて神社に姿を見せたのは2010年。雰囲気が気に入ったのか、その後も頻繁に現れるように。その頃あいちゃんは近所の飼い猫で、神社の関係者が何度か飼い主の元に連れて行ったが、とうとうすみ着くようになったという。
参拝者が訪れると、一緒について回るなど愛想がいい。人気者になったことから、和歌山電鉄の「たま駅長」をヒントに、見垣安邦宮司(78)が3年ほど前に名誉宮司に任命した。あいちゃんに会うためだけに神社を訪ねる人もおり、見垣宮司は「皆さんの癒やしになっているようだ。長生きしてほしい」と話していた。
http://www.sanyonews.jp/article/452275

このニュースに特に心惹かれたのは、その時読んでいた本のおかげだ。
「桜風堂ものがたり」(村山早紀)  (『 』本書より引用)
本書は、「宝探しの月原」と呼ばれるほど良書を発掘する才能がある若き青年書店員を通じて、リアル書店の実情を描く物語で、ストーリーの大半は書店の話題で占められるのだが、要所要所にアリスという名の愛らしい三毛猫が登場する。
捨て猫なのか迷い猫なのか・・・行き場のない三毛猫は、まず、両親が猫を飼うことを禁じているという女の子の部屋にこっそり匿われ、アリスと名付けられる。
本を読むことが好きな女の子の膝で過ごすことに幸せを感じていたアリスは、本の匂いが好きになるが、やがて女の子が猫を隠し飼っていることは両親の知る所となり、母親の手により遠くに捨てられてしまう。
途方に暮れたアリスがトボトボ歩き、辿り着いたのが廃校となった学校だったが、本の匂いが好きなアリスは、多くの教室のなかでも図書館に居つくようになる。
食べるものがなく、お腹が背中にくっつきそうにぺったんこになっても、女の子の膝の上で感じた本の匂いが忘れられず、図書館で過ごすアリスに、「おいしい」ものをくれる男の子が現れた。
その男の子もまた、本の匂いがした。
アリスにとって本の匂いとは、優しく『埃っぽい匂いと、枯れかけた草木のような匂い。かすかに甘いような懐かしい』ものなのだが、そのような匂いを纏う男の子は、本屋の孫であった。生さぬ仲の義父の虐待を見かねた祖父により救い出され、書店の主である年老いた祖父と暮らしていたのだ。
この男の子は、本の匂いと同時に淋しい「さよなら」の匂いも持っているのだが、ここに月原が書店員として働き始めることで、田舎でひっそりとその役割を終えかけていた本屋が甦る。
その甦った本屋の名前が、本書の題名となる「桜風堂」なのだ。
物語の最後、桜風堂に引き取られ『さよならの匂いをさせない』居場所を見つけた猫は、ある朝目覚め『今日は何だか、とてもいい日になるような気がする』と思う。
そう思った瞬間、一緒に暮らすオウムが高らかに声を上げるのだ。
『スベテヨハ、コトモナシ』
『スベテヨハ、コトモナシ』
猫のアリスは、その言葉の難しい意味は分からないが、『そうだ、今日はいい日だ』と心から思うのだ。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる。そんな日になるのだ』・・・・・これは、「桜風堂ものがたり」の中の猫アリスものがたり。

時を同じくして読んだ<名誉宮司の猫の「あいちゃん」ニュース>と「桜風堂ものがたり」について、12月1日という日に考える時、まず心に浮かぶのは、生き物には生まれ持った定めというものがあるのかもしれない、ということだ。
何度か迷い猫になったり捨てられたりという経験をしながらも、いつも本の側に居場所を見つけ、最終的には本屋の猫となる「桜風堂ものがたり」のアリス。
飼主がいながら脱走を繰り返し、その度神社に居ついては、参拝者の癒しの存在となる猫のあいちゃん。

ニャンコならずとも、人間もある年齢になれば、住まう場所・出会う人・果たすべき役割などにおいて、宿命のようなものを感じることはある。
しかし、仮にそれが宿命として決定づけられているとしても、「平穏に見える日常は二者択一の連続で成り立っている」(「氷の轍」(桜木紫乃))という言葉があるように、人は選択しながら自分の人生を生きていると信じている。 
結果的にみて宿命だったと思えることであっても、「最初から選ぶ機会も選択肢もない」というのでは、自分の人生を生きていると実感しにくいのではないだろうか。  (参照、「落とす作業の一つ カツ丼」

そんな少女が、一人いらっしゃる。
最初から選ぶ機会も選択肢もないにも拘らず、女の子だという理由で陥れられ続けている少女が、一人いらっしゃる。

これらのニュースと本を読み、このように考えたのは今日が12月1日だからだと思う。
今日12月1日は、敬宮愛子内親王殿下の15歳の御誕生日だ。
御成婚から8年の年月の間には哀しい出来事もおありになったが、それを乗り越えられ、皇太子ご夫妻と国民待望の第一子が2001年12月1日に誕生した。
御懐妊の報を受けた直後から、女性天皇を希望する声は総理をはじめ国民からあがっていたので、御誕生された時には、この方が未来を繋いでいかれるのだと国中が期待した。
しかし、圧倒的な国民の期待とは裏腹に事はそうは進まず、その後何度も女性天皇議論が起こっては立ち消え、現在皇位継承権者はたった4方という心細い状態のまま時代の転換期を迎えようとしている。

敬宮様は、誕生される前から国民がそうと信じた宿命をお持ちだと、私は信じる。
この転換期にあって、それは愈々たしかな事と思えるが、それが宿命であるにもかかわらず定まらない混乱が、15歳の少女のみならず国の未来を苦しいものとしている。
本来ならば、国民一人ひとりが向き合わねばならぬ命の尊厳という問題の、それが宿命とはいえ、最前線に立たされている敬宮様。
敬宮様が幸せになられる世となることが、一人ひとりが尊重される希望ある国につながるので、お誕生日記念の今日がその新しいスタートとなるよう願っているが
何より、敬宮様のお幸せを心より祈っている。

敬宮様 御誕生日おめでとうございます


『スベテヨハ、コトモナシ』については、少々つづく
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