何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

in the heaven, a perfect round

2017-07-19 23:49:49 | ひとりごと
「追悼 命の授業を全うされて」より

日野原氏の著書はかなり読んできたのだが、思い返すと それらはクリスチャンの上司にお借りして読んだので、今手元にあるのはベストセラになった「生き方上手」「10歳の君へー95歳からの手紙」の二冊だけだ。
だが、私の読書備忘録には日野原氏の言葉が多く記されている、その幾つかを理由とともに、ここにも残しておきたい。

ワンコが天上界の住犬になってしまい落ち込んでいた頃、「生きること(命)=時間」という説を読み、ショックを受けたことがある。
その説は、たとえワンコに触れることができなくとも、ワンコと過ごした時間は私のなかに息づき続けるし、ワンコがいない季節をいくつ重ねようとも そこにワンコを感じ続けると信じている私には(今でもそれは信じているが・・・)、頭では理解できても、心が受け容れられるものではなかったからだ。
だが、読書備忘録にあった日野原氏の言葉はワンコ先生の言葉に重なり心を救ってくれた。
「一瞬の命の結実 命の器」

日野原氏が断続的に続けておられた子供への’’命の授業’’での一コマとメッセージ。
日野原氏が子供に「命をどこに持っているのか」と問うと、多くの子は「心臓」という。
そんな遣り取りから日野原氏は子供たちに、「命も時間も見えないけれど、皆さんが持って使える時間こそが命だから、どういうふうに時間を使うかが大切だ」と語られたそうだが、その想いは「10歳の君へ」で更に詳しく記されている。

『わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間を削っていくというのとはまるで反対に、
 寿命という大きなからっぽの器のなかに、精一杯生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。』
『時間というものは、止まることなくつねに流れています。
 けれども時間というのは、ただの容れ物にすぎません。
 そこに君が何をつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質が決まります。
 君が君らしく、生き生きと過ごせば、
 その時間はまるで君に「いのち」をふきこまれたように生きてくるのです。』

日野原氏のこの言葉を再読した時、ワンコ病院の先生が最後の挨拶のおりに掛けて下さった言葉が甦り、涙がこぼれて止まらなかった。
そうして、素直な気持ちで日野原氏が書かれたものを読み返せば、そこにあるのは これから立ち向かわなければならない問題への処方箋となるものばかりだった。

『死は自然から永遠への通路』(「ハムレット」より)
『一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。
 死なば多くの実を結ぶべし』(「カラマーゾフの兄弟」より)
『人は始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くある』(マルティン・ブーバー)

日野原氏が著書で引用されているこれらの名言は、人生も中盤戦を迎えようとしている私にとり指針となるものだが、他にも、私が仕事をするうえでも又 心をこめて誰かを応援するうえでも支えにしている大切な言葉がある。
それは、ここでも何度も記しているR・ブラウニングの言葉である。「素晴らしい朝(あした)を重ねて」
『地上では欠けた弧、天上では全き円』
『小さな円を描いて満足するより、大きな円の、その一部分である弧になれ』

日野原氏の父上が日野原氏に語って聞かせた このブラウニングの詩の一節について、日野原氏が更に若い人々に『私が生きている間は私が頑張ってなるべく描く円を大きくし、次の代の人が、この円を完成してくれることを願っています』と語って聞かせておられるところが、まさに この詩が意図するところに重なり素晴らしい。

105歳 大往生のニュースに改めて日野原氏の著書を手にとった人も多いと思う。
そしてそこに、生き方のヒントを見つけた人も多いと思う。
今まさに生き方の方向性に迷う私も、この機会に何冊か読み直し、自分が描きたい円はどのようなものなのか、じっくり考えたいと思っている。

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